榊英雄氏と対決したことがあるので書いてみる【彼はドMだと思う】
映画監督で俳優の榊英雄氏が,複数の女優にキャスティングをちらつかせ,性行為を強要したことが告発されました。
かつて私は,役者としていろいろなレッスンやワークショップに参加しており,榊氏が講師を務めた講座も受講したことがありました。
そのときに書いた日記を見つけたので,載せてみます。
いまから13年前のこと,とあるワークショップの10回か12回開催された中のゲスト講師でした。
以下に書く話の前の週,初めて受けた榊氏の演技指導で,こう言われました。
「ねえさん,あなた嘘つきだ」
別段,反論はありませんでした。
あぁ,そうだろな,と。
そのクラスはどこか暗く,先輩にあたる役者たちが見学に来て「なんかこのクラス,暗いな…」と漏らしていたほどでした。
本音を隠した,嘘で塗り固められた人たちが多く身近にいて,嘘つきにもなるさ…という気持ちで,毎回をこなしていました。
そりゃあ,嘘つきにもなります。
そして,自分自身,芝居とどう向き合うかで悩んでいた時期でもありました。
嘘つきだと榊氏に言われた瞬間は吐き気を催しました。
だけど,“嘘つきなんだろな,私は”とも同時に思いました。
間違ってはいないよな,それって,と。
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とはいえ,翌週もまた榊監督が来るのか…と思うと,気が重い,重すぎる。
そこで,まったく芝居とは関係のない知人や友人数名に,こんな人が来るクラスをまた受けなきゃならないと相談してみました。
それまでの榊氏のキャリアや作品も含め,ワークショップでの言動を,できる限り偏らないように伝えてみたつもりです。
すると,ある人がこう言いました。
「ちっちゃいヤツだな,そいつ」
あ、そんなに怖がることはないんだ、と思いました。
必要以上にかまえることもないんだ、と気が楽になって、なんだか不思議と嬉しくなってきました。
そして,2回目の受講を終えた数日後の日記が,これです。
日付は2009年11月18日でした。
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当日。
榊監督は,相変わらず、罵ったり、怒鳴ったり、言いたい放題。
私のやることに対しても、やはりクソミソだった。
だけど、「次はちゃんとやれよ」という問いかけに、“はい”とだけ、口答えもなく、目線を揺るがすことなく答えた。
吐き気なんてないし、あのときの私とは、もう違うの。
その後、大勢に混じって食事することになった。
いつもの私なら、そんな人間となんて会食しないし、飲みに行きたい連中でもないし、さっさと帰るのだけど、今日は言いたいことだけ言ってやろう、という気になった。
もう二度と会わないんだろうし。
しかし、意に反して相手のほうは、私のことがなんだか目について仕方がなかったらしい。
「おまえ、九州なんだって?」
あんたに“おまえ”なんて言われたくないんだけど。
だけど、“ええ!監督は長崎なんですってね!”とか、何事もなかったかのような笑顔で答えてやった。
おぉ、以前の私なら、言われたことを引きずったまんま、会話なんて成立しなかったのに。
感心感心。
えらいえらい。
相談した人たちが言った“ちっちゃいヤツ”ってことばに、すごく勇気づけられたにちがいない。
食事の場では、みんなが媚を売っていた。
どうにかして顔を売ろうとしていた。
私は、別に、もういい。
どうせ、この人から仕事もらうことなんてできないんだろうから。
飲み会に参加できなかった友人が気になって電話したり、彼氏から連絡がないか確認したり、トイレに行くときなど、中座するたび、
「おい! どこ行くんだ!?」
総勢20人以上いるし、目立たないようにしてたのに。
おやおや?
結構、目についてんの?私。
そうか。
濃いことを一瞬だけやったほうが記憶に残るんだ。
席に戻るときに、また声をかけてきた。
私は椅子には座らず、彼の席の脇の通路にしゃがんだ。
座っている彼の膝に手を添えて、というか、腿に腕をかけて、下から見上げて、彼の能書きを興味深げなふりをして聴いていた。
「う… そんな上目遣いで見られても…」
そうか。
こいつはドMだわ。
こうなったら、徹底的にキャバ嬢化してやろう。
脚と脚の間にそぅっと手を伸ばしてやったら、「うぉー♪」だってさ。
ふん、えらそうなこと言っときながら。
笑える。
彼の隣の席で媚だけ売ってる女が、嫉妬のまなざしを向けてくる。
気持ちいい。
彼の奥さんはミュージシャン。
ずっと以前にヒット曲をいくつか出している。
“奥さんの歌、好きだったなぁ”
おだてるわけじゃないけど、本当に好きな時期があった。
そんな話をしたら、まんざらでもない顔をした。
じゃあ、奥さんこの店に呼んでよ、と言ったら、
「ちょ… こえーんだよ!」
“ふん、ちっちゃい男!!”
ついに言ってやった。
凹んでた。
私のいるテーブルに移ってきたので、彼の膝の上に座ってやった。
もう一回、さっきの場所をさわってやった。
ゴキゲンな顔してた。
周りの女子たちからは冷ややかな軽蔑の視線。
あなた達にはできまい。
他の人たちに用はないので、先に帰ることにした。
「 もう帰るのか!もう二度と会うことなんてないだろうけどな!」
はいはい。
会費の小銭がなくて、近くのコンビニに走った。
店に戻って幹事に支払いをしようとしたら、彼と目が合った。
両替のために買ったチロルきなこもちチョコを、彼の口に押し込んでやった。
“二度と会わないなんてこと、ないと思うよ!!!”
そう吐き捨てて店を出た。
あぁ、すっきり。
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そして今日、ヤツから電話がかかってきた。
奥さんのライブの宣伝だった。
ま、どうせ営業の対象に過ぎないんでしょ。
「他のメンツの連絡先、知らないんだよ」
ヤツから電話もらった人なんて、あの中では私だけだろう。
不思議な達成感。
仕事くれるんなら、行ってやってもいいよ。
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もう10年以上前の話です。
自分で読み返しても,イキってて,カッコつけすぎてて恥ずかしくもあるのですが。
まだLINEなんてない頃です。
数年後,Facebookで榊氏を見つけ,DMを送ってみました。
この日記を書いた年末に結婚して姓が変わったので,「憶えてますか?」と旧姓を書き添えて送ったところ,ちゃんと憶えていてくれて,『友達』申請してきてくれました。
いまでも『友達』リストに載っていますが,もう彼は私のことなど憶えていないのではないでしょうか。
私も現在,FBはまったく使っていないので,彼とのことはすっかり忘れてしまっていました。
演技指導というものは,人間の感情を扱うためか,とてもパワハラモラハラ的な場面が頻発します。
人格否定なんてしょっちゅうです。
私も久しく芝居から離れているし,演出家や監督によってもやり方が変わってくるので,一概に言えませんが。
今回の報道記事を読んで,怒号が飛び交う現場だったという内容をいくつか目にしたのですが,相変わらずだなぁと思ったものでした。
ですが,性行為の強要(本当はもっときわどいワードが並んでいますが)など,絶対に許せないし,許してはいけない。
榊さん,あなたの名前を見るだけでフラッシュバックするという経験は,私も1週間くらいありました。
怒号と罵詈雑言が飛び交うクラスで嘘つきと言われ,吐き気を催したほどです。
でも,あのときの体験をユーモアに転換する努力,それができる余地が当時はあった。
私はそれで済んだけど,キャスティングをちらつかせて女性を襲うなんて,そこまでする人だとは思わなかった。
いや,その予感はあったのかもしれないですね,女性の尊厳を踏みにじるようなやり方をする言動というか。
被害者の方々にどう償うんでしょう。
以前のこのブログでも書いたように,これは謝られても許せないことです。
簡単には立ち直れない,同じ女性として,そう思います。
表舞台に二度と出てこないのが一番でしょうね。
名前を出して表現することは,もうやめたほうがいいかもしれない。
もう二度と会うことなんてないだろうけどな!
あなた,私にそう言いましたよね。
…こんなふうにして『再会』するなんて,ねぇ。
軌道修正【通信制大学の勉強がうまくいかないけど】
1年半ぶりに書いてみます。
通信制大学で学んでいることは何度か記事に書きました。
あとは卒論だけなのですが,どうにもこうにもうまくいかない。
うまくいかないというか,執筆しようという気になれないのです。
私の大学は,卒論指導を半年に一回しかしてくれないので,とても効率が悪く,気分的にもどんどん間延びしてしまうんですね。
まめに連絡を取ってくれる指導教員もいるようですが,私の先生は指導の直前に書いたものを送って,指導日にいろいろ言ってくれるだけというスタイル。
めぐり合わせもありますね。
卒業までの計画がかなり狂ってしまいました。
うまく進んでいる学友のTwitterとか見たくもない。
精神的にちょっとダウンしかけていました。
とはいえ,そこにフォーカスしてはいられない。
たまにメールで届くはてなからのお知らせ。
読者さんが少し増えていたりして,記事は古くなる一方なのに,こんな駄文でも読んでくれる人がいることに嬉しくなってしまいます。
軌道修正しなければ。
ブログを書いていない間にも,いくつかの小さくない出来事が起こりました。
夫がコロナに罹患して大変な事態になったり,私は仕事を辞めたり。
もう少し丁寧に,自分の人生に向き合っていかなきゃなと思い直す時期でもありました。
このブログをまた書いていこうと思っています。
あまり「〜思います」って言いたくないんですけどね。
もっと練った文章を書きたかったのですが,停滞させたくなくて,手が動くままに書いてみました。
『凪のお暇』で毎回号泣します【母と子の関係性(ややネタバレ)】
前回の記事はこちらから読めます↓
Amazon Prime Videoに『凪のお暇』が登場!
2019年夏シーズンに放映された『凪のお暇』が,Amazon Prime Videoでも視られるようになっていました。
この年の秋に,母とふたりで台湾旅行に行ったとき,日本語チャンネルで全話中国語字幕つきで放送されていました。
ちょっとだけ視ていたら,「これ,おもしろいかも…」と思いました。
日本の地上波では視たことがなく,台湾で視たときも途中からでしたので,ちゃんと最初から視てみたいなと思っていました。
すると,今年に入って,緊急事態宣言で各番組の撮影中止を余儀なくされたテレビ各局が,ドラマの再放送を始めました。
そのなかで,この『凪のお暇』も,『イッキ見SP』と題し,3〜4話ずつをまとめて放送していたので視てみました。
思ったとおりにおもしろく,録画したものをさらに何度も視ました。
「おもしろくない」「イラつく」などのご意見もあるようですが,私は,感情移入してしまう箇所がいくつもありました。
アラフィフのおばちゃんですが,このドラマで泣いてしまいます。
号泣です。
そんなに泣けるシーンあるか?
私にはあったのです。
それは,母と子の関係性です。
母と子の関係性を表すシーンで泣いてしまう
【ネタバレあります】
第2話から少しずつ,主人公・凪とお母さんとの対峙の構図が描かれ始めます。
それはこのドラマの,自己肯定感の低さを克服するというテーマの根底にある部分でもあります。
その前哨戦とでもいいましょうか,凪の隣の部屋に住む母子家庭の様子が登場します。
小学生の うららちゃん が,お友達と楽しく会話しているところを目撃した凪でしたが,おしゃべりが終わったうららちゃんは,住んでもいないマンションに入っていきます。
本当に住んでいるオンボロアパートとは似ても似つかぬ外観の建物です。
貧しい生活を知られたくなくて,嘘を演じていたわけです。
それを凪に見られたことに気づいた うららちゃん は,帰宅したアパートで,泣きながら凪にこう言います。
「だって仕方ないじゃないですか,友達と一緒にいると比べちゃうんだもん。どうして私だけゲーム買ってもらえないの?って。どうしておやつは毎日おいしくないビスケットなの?って。よそでは飼えるワンちゃんがどうして飼えないの?どうしてうちには,行ってらっしゃいとおかえりを言ってくれるお母さんがいないんだろうって」
凪は答えます。
「よそはよそ,うちはうち。…って,私,昔よくお母さんに言われたんだけど,でも,比べちゃうよね,絶対比べちゃう。だから,うららちゃんは悪くない」
凪なりに,うららちゃん を励まします。
うららちゃん と同じく,凪も母子家庭で育ったので,気持ちがわかるんですね。
お母さんのことが大好きと言う うららちゃん ですが,凪は,実は自分の母親のことが苦手です。
私はこの,うららちゃん の告白のシーンでいつも泣いてしまいます。
うららちゃん とまったく同じことを思い,嘘を演じることはしないまでも,鍵っ子で,ボロボロの集合住宅に住み,母の帰りを待っていた自分と重なってしまうのです。
そして,「よそはよそ,うちはうち」と私も言われて育ちました。
ですが,その先に凪が言ったことを,これまで誰も言ってくれたことはありませんでした。
「絶対比べちゃう。だから,うららちゃんは悪くない」
これを誰かに言われていれば,もっと救われていたかもしれません。
たくさんの比較対象がそばにある以上,クールに割り切ることはむずかしかったです。
比べても仕方ないのはわかっている。
だけど,子どもの頭では,それすらも整理できません。
年齢を重ねて,ようやく「割り切る」ということを覚えてきましたが,幼い頃から抱え続けてきた思いグセは,簡単にスパッと割り切れて直せるものでもないんですね。
直したいですが。
その後にも,凪が,母親からの呪縛が解けずに,変われない自分を嘆くシーンが出てきます。
私も,母から言われたことが頭から抜けなくて,それに縛られていることに気づくまで,かなりの時間を要しました。
「ああ,これってお母さんが言ってたことそのものだな」
「お母さんの悪い癖がそのまま似ちゃったな」
母もたぶん,私だけが生きがいで,私に依存していたのでしょう。
凪の母のように,娘からの仕送りに頼ったりすることはありませんでしたが,母から言われることは絶対である,という環境でしたから,共依存のようなものだったのでしょう。
第9話で,凪が「お母さんのそういうところ,嫌い」と言い放つシーンが出てきますが,それまでは,自分の母親のことを「嫌い」と言ってはいけないのではないかという葛藤のようなものが伺えます。
母とは一緒に旅行できるまでに なりました
このドラマを知ったのは,母との旅行先でした。
そうやって一緒に旅行に行けるようになるまでに,母との関わりを一切断っていた時期もありました。
最初にホテルのテレビで視たときは,ほんの数回の数分だけでしたので,そんな伏線があることなど,わかっていませんでしたが。
自分のことを客観視するのに,ドラマや小説は役に立ちますね。
そんなことを思いながら,10話まで一気に視てしまいました。
Amazon Prime Videoで公開されているのは,『イッキ見SP』ではカットされていたシーンが含まれていました。
というか,Amazon Prime を改めて視て,『イッキ見SP』にカットされている部分があったことに気づきました。
まだ気づいていないシーンがあるかもしれないので,また視てみます。
ここまでドハマリして視たドラマは久しぶり。
もう少し『凪のお暇』の感想が続きそうです。
「○○して欲しい」は「○○してもらいたい欲望」が強すぎる【開く】
前回の記事はこちらから読めます↓
やたらと目につく「○○して欲しい」という表記
「○○して欲しい」という表記が,やたらと目につきます。
それが私には,「○○して」と「欲しい」が分断されて見えるのです。
「そこの醤油を取って欲しい」
「お願いだから,それはやめて欲しいです」
「できれば,早く言って欲しかったです」
「欲しい」は
1. 自分のものにしたいと思う。手に入れたい
2.(補助形容詞) 動詞の連用形に接続助詞「て」の付いたものに付いて,相手に自分の望むことを求める気持ちを表す。近世以降の用法。…てもらいたい。 「はっきり言って-・い」 「こんなことは、もう二度としないようにして-・い」
3. 願わしい。望ましい。
(太字加工は当ブログによる)
とあります。
私が引っかかっているのは,この2番,「動詞の連用形に接続助詞「て」の付いたものに付いて,相手に自分の望むことを求める気持ちを表す」の使い方のようです。
辞書に載っているのであれば,その用法に間違いはないのでしょう。
ですが,あえて言いたい。
「そこの醤油を取って欲しい」
→「〜取ってほしい」
「お願いだから,それはやめて欲しいです」
→「〜やめてほしいです」
「できれば,早く言って欲しかったです」
→「〜言ってほしかったです」
これでいいと思うんです。
押しつけがましい印象になっている
要求を押しつけているような印象を持ってしまうのは私だけでしょうか。
辞書の解説にあった2番,
相手に自分の望むことを求める気持ちを表す
「望むことを求める気持ち」,まさしく,これです。
「そこの醤油を取って欲しい」
醤油をもらうことのほうが重要であって,「欲しい」がつくと,取ってもらいたい願望が前面に出過ぎてしまう。
「お願いだから,それはやめて欲しいです」
やめることのほうが重要であって,「欲しい」がつくと,その人が要求している事実のほうが前面に出過ぎてしまう。
「できれば,早く言って欲しかったです」
言ってもらうべき内容のほうが重要であって,「欲しい」がつくと,“言う”という行為だけを求める気持ちが前面に出過ぎてしまう。
…とでもいいましょうか。
編集用語で「開く」
ちなみに,書籍や新聞などで書かれたものを編集するとき,こうして漢字で書かれたものをひらがなに直すことを「開く」といいます。
先日,何かの記事に対するツイートで,「この人の平仮名の多用が気になる。頭悪い人の文章に見える」と書かれているのを見かけました。
違います。
漢字の多用で文字が密集し,読みづらい印象に見える文章を,ひらがなに「開く」ことで,読みやすい印象を与えているのです。
むずかしいことばを難しい漢字で埋め尽くせば,頭のいい文章になるというわけではありません。
読みやすい印象を与えるという作業も大事なのです。
「○○して」と「欲しい」が分断されて見える
話を戻します。
「○○して欲しい」は開いていないので,「○○して」と「欲しい」が分断されたように見えてしまいます。
「そんなの脳内変換すればいいじゃん」と言われそうですが,要求の本質がズレてしまうことになりませんか。
そこの醤油を【私に】取ってほしい。
お願いだから,それは【私は】やめてほしいです。
できれば,【私へ】早く言ってほしかったです。
私が,私が,私が。
強い自己主張の現れなのではないかなと思うのです。
日本人は奥ゆかしいとか,空気を読むとか,同調圧力に屈しやすいとか,そんなことを言われ続けてきた国民性です。
だから,自己主張をできるようになってきたのはすばらしいことです。
ですが,本当に自己主張すべきはそこじゃないんじゃない?と感じずにいられません。
やっぱり考えすぎでしょうか。
漢字を多用しなくても,きちんと順序立てていれば,話は十分伝わると思うんですけどね。
文字は映像・画像にとらわれず,頭の中だけでイメージしたい
ここ数回は,文章を読んだり聴いたりするときに抱く違和感のようなものについて書いています。
この10年くらいでしょうか,テレビでは,出演者が発した言葉がそのまま字幕に表示されることが多くなりました。
「耳に入ったセリフがそのまま文字になるから,頭を使わなくなる」
「家事をしながら雑音でテレビの音がかき消されたときなどに便利」
などなど,賛否両論あるようです。
私は,できればあまり字幕にしてほしくないなと思うほうです。
現場にいるときや,映像を視るときは,言葉を発したときの顔つきや声のトーン,場の空気感も含めて感じ取りたいほうです。
逆に,文字で読むときは,映像・画像にとらわれず,自分の頭の中のみでイメージしたいのです。
テレビはあまり視なくなったのですが,それでもたまに家族が視ているものが目に入ってくることはあります。
文字が画面に出ると,その文字からの情報をイメージ化する助けにもなりえますが,あまりに乱発されると,とてもうるさいです。
音としてではなく,頭の中がうるさくなるのです。
何度も言っていますが,“私はちゃんとしている”というつもりはありません。
国語学や言語学を勉強しているわけでもなければ,専門家でもない,ただの所感のようなことをグダグダと述べているに過ぎません。
きっと,それこそきちんと勉強した専門家から見れば,間違いだらけでしょう。
一個人が目にした文に対して,「なんだかなぁ」という思いを抱いた,その無力感というか,無念というか,そんなようなものを吐露しているだけです。
これからもどうぞ,笑って読み流してください。
「○○したいと思います」は「○○します」じゃダメなのか
前回の記事はこちらから読めます↓
「今日は○○について書いてみたいと思います」
「今回は●●を食べてみたいと思います」
「次は△△をやってみたいと思います」
ネットのいろいろな記事を読んでも,テレビ番組を視ていても,必ず出てくるのが,この「○○したいと思います」ということば。
「○○します」だと,紋切り型に見えてしまう感じがするのでしょうか。
「思う」ということばを,前回と同じく三省堂の大辞林・第三版で調べてみますと,
1. 考える
2. 感じる
3. 想像する
4. 追想する
5. 願う
6. 恋する
なんだそうです。
これらの意味を見ると,一人の人間個人が考えたり,感じたりしているような印象があります。
「○○したいと思います」と言うときは,一人の人が,頭の中で考えた結果を発するのがふさわしいのではないでしょうか。
なのに,まるで公共の意見というか,団体の総意を述べるようなときに,さも個人が考え出した結果であるかのような使われ方をしている気がしてなりません。
あるテレビ番組で,司会者が「次のコーナーは,女優のAさんに登場してもらいたいと思います」と言っていました。
その進行は,あなたが一人で考えて決めたの?と感じてしまうのです。
テレビやラジオの番組は,司会者一人で成り立っているわけではありません。
大勢のスタッフや共演者がいて作られるものです。
なおかつ,番組という形式でひとつのものであり,そこに『一人の個人』が動かしているかのような進行をするのはどうなの?と思えてしまいます。
統計を取ったわけではありませんが,NHKではまず聞いたことがありません。
たぶん,そのような指導が徹底されているはずです。
お笑い芸人が言うこともあるようですが,少なくとも,アナウンサーが言うのは聞いた記憶がありません。
ですが,民放の番組,特にバラエティではよく耳にします。
正しい日本語で読むべきニュースや報道番組ですら,たまに聞くときがあります。
(どこの局が多いかは,あえて明言しないことにします)
ブログ記事でもそうです。
ブログは個人で書くものが多いようなので,別に細かく気にする必要はないのかもしれません。
とはいえ,それならなおさら「今日は○○について書きます」でいいと思うんです。
たとえば,はてなブログをちょっと覗いてみただけでも,こんな感じでした。
お題に沿って記事を書いてみたいと思います。
→「お題に沿って記事を書いてみます」でいいのでは?
どんなものがあるだろうと振り返っていこうと思います。
→「どんなものがあるのか,振り返ります」でいいのでは?
今日は■■ランキングベスト5を発表したいと思います。
→「今日は■■ランキングベスト5を発表します」でいいのでは?
「〇〇したいと思います」と書くと,どうにも I think , I want ... というクドイ感じがしてしまうんですよね。
「したいと思います」とワンクッション入れることによって,少し距離を置く意識が働くのでしょうか。
別に,言い切ってもいいと思うんですけどね。
「思う」ということばそのものには,個人が使うだけでなく,団体が使っても違和感がないものなのでしょうか。
それに,実は,言う人自身の欲求が組み込まれていることになるんですよね。
「○○したい」という欲望というか,欲求というか,そういう印象をも抱いてしまうのです。
細かいですね,私。
国語学者でも言語学者でもないので,もっと詳しく勉強してから言うべきなのでしょうが,普通に読んだり聞いたり話したりするなかで,ふと感じる疑問でありました。
自分がちゃんとしているという気は,さらさらありません。
だけど,どういうわけか,どうしても気になってしまいます。
理由はわかりません。
もっと寛容になりたいのですが。
「参考にします」と言われると“所詮その程度でしかないのか”と思う
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「参考にします」
「参考になりました」
こう言われると,“所詮,その程度だったのね…”と思うのは私だけでしょうか。
『参考程度』にしかならないものしか発することができないなんて,まだまだ力不足だなと思ってしまいます。
なんだかモヤモヤするので,「参考になりました」について書いてみます。
1. 考えをまとめたり,物事を決める際に,手がかりや助けとすること。また,その材料。
2. 種々の資料などを利用し,考えること。また,その資料。
だそうです。
1の「手がかり」とか「助け」の意味ならば,“ああ,お役に立てたのか”と思うかもしれません。
ですが,2の「利用」となると,なんとなく『ちょい足し』のような含みを感じる気がするのですが,どうなんでしょう。
「もう決めてるんだけど,もしくは,もうわかってるんだけど,ちょっと足しとくわ」みたいな。
それに,品定めというか,なんというか,勝手に評点をつけられているような感覚になります。
考えすぎでしょうか。
相手から「あなたの言ったことは,つけ足し程度にしとくね」と言われているような気になってしまうのです。
自分がそう感じてしまうので,私はできる限り「参考になった」という表現は使わないようにしています。
「お手本にします」
「使わせてもらいます」
「勉強させてもらいました,勉強になります」
「助かります,助かりました」
…といったところでしょうか。
かといって,「目からウロコです」などといってしまうと,取ってつけたようなおべんちゃらに聞こえてしまいそうなので,使いません。
ここまで書いてみて,私が「参考になります」と言われたときのシーンを思い出すと,相手から質問されたときや,アドバイスを求められたときが多かったように感じます。
「訊いといて,それだけ?」と思ってしまっているのかもしれません。
そもそも,訊いた内容そのものに対する反応じゃないですよね。
「よくわかりました」でいいと思うのです。
気にしすぎでしょうか。
それだと味気ないというのであれば,「ありがとうございます, 理解が深まりました」,これくらいまででいいのではないのかなと思います。
細かいですね。
どこかで「揚げ足取りじゃん」と言われているかもしれません。
納得できる語彙力を身に着けたいものです。
夏はやっぱりTUBEでしょ!…と思ったのですが【音頭だった】
前回の記事はこちらから読めます↓
はてなのお題に乗っかります。
きっかけはTUBEのライブに当選したこと
数年前,某衛星放送のプレゼントに当選し,TUBEのライブに行きました。
ペアで当選したのですが,一緒に行く人がなかなか見つからず,問い合わせたところ,「それだと当選取り消しとなります~」と冷たく言い放たれました。
なんとか同行者を見つけ,行ってみたら…
横浜スタジアムの一番後ろではないですか!
タダで行かせてもらって文句言うのは申し訳ない気がしなくもない。
ですが,一番後ろの,一番見えにくい,端っこの席。
もったいぶって「取り消すわよ」と言われたわりに,この扱い。
わざわざ用事を変えてまで一緒に行ってくれた友人に,本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
とはいえ,その友人は何も言わずに楽しんでくれました。
生で聴くTUBEは,やっぱり迫力満点。
野球場でのライブ初参戦ということもあって,ワクワクしながら楽しむことができました。
それ以来,TUBEの曲もプレイリストに加わるようになりました。
『シーズン・イン・ザ・サン』が好き
「夏はやっぱりTUBEだなぁ」と思うのが,『シーズン・イン・ザ・サン』でしょうか。
騒がしすぎず,ちょっと切なさもあって,でも開放感にあふれていて。
キリンビール CM (1986年) シーズン・イン・ザ・サン - TUBE
この歌がリリースされたのは1986年だそうです。
もうそんなに昔のことですか…
当時はビールなんて飲めない子どもでしたが,今になって視ても,ビールの爽快感そのものの曲ですね。
昔から,サザンオールスターズとともに,日本の夏,湘南の海をイメージさせるバンドとして挙げられてきましたが,TUBEが30年以上も活動していたとは。
今年で35周年!!
冷静に考えると,それくらい経ちましたか…
改めて時の流れの早さに驚かされます。
この後にも,『あー夏休み』『SUMMER DREAM』『夏を待ちきれなくて』など,タイトルに夏というワードが含まれる曲がいくつも発表されています。
個人的には,夏のイメージの曲ではない,『きっとどこかで』が好きです。
熱狂的ファンではないので,最近の曲を探してみました
熱烈なファンというわけではないのですが,夏になると必ず聴きたくなるTUBE。
ということで,最近の動向は存じ上げないので,YouTubeで探してみました。
ところが。
音頭…
びっくり。
前田さんの圧倒的な歌唱力で歌われると,それはそれは説得力ありますけども。
音頭に乗せて踊る盆踊りは日本の夏の風物詩。
日本の夏,TUBEの夏。
いいじゃないですか,全然問題ないです。
暗い雰囲気が漂い続ける世の中に,楽しませてくれるスタンスがとても好きです。
いえ,ご本人たちは笑わせようとしているわけではないのでしょうけど。
たぶん,きっと大真面目でしょう。
近頃は,なかなか遠出ができない世の中ではありますが,TUBEのアルバムをカーステレオに仕込んで,ソーシャルディスタンスに配慮したドライブにでも出かけてみるとしますか。
今週のお題「夏うた」