乳がんの治療が終わった日
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2008年8月1日,鹿児島市のUMSオンコロジークリニックで2か月に及んだ乳がんの治療が終わりました。
(当時の名称はUASオンコロジーセンター)
また,当時の日記をほじくり返してみます。
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わたしは,がんをなめていたと思う。
子宮頚がんのときは,計3回とはいえ,簡単な手術だけで済んだ。
乳がんも,少ない時間と少ない量の抗がん剤の点滴, それに,さらに少ない時間の放射線照射で, 一日に合計約1時間程度寝ているだけだった。
だけど,もっと大変な思いをしている人がたくさんいた。
抗がん剤の強い副作用に長く苦しみ続ける人もいる。
先日,入院先の隣のベッドに2泊3日で検査入院しに来たTちゃんは, たぶん同年代。
乳がんを放っておいたら骨に転移したという。
(※ 過去記事:Tちゃんの生きた証)
定期検診で大阪から来たFちゃんも,同年代。
膠原病も持っていて,週に3回透析もしているという。
同部屋にいる,函館から来たNさんは40代半ば。
数年前に乳がんを手術したうえに,橋本病があるという。
以前の入院先やセンターの待合室では, 治療以外はずっと寝ている人, 何度も転移を繰り返している人, がんと一口に言っても,さまざまな姿を目の当たりにした。
最後の砦としてこのセンターに来る人がほとんどで, その方々のお話を聴くにつけ,痛感させられた。
わたしは断然ラクをさせてもらっている方で, それはなんとありがたいことかと。
わたしが,がんだと友達に話したとき, みんな,口々に言ってくれた。
「大変な思いをして…」
「わたしだったら,どうなっていたか」
「自分なら,もう耐えられない」
泣いてくれた人もいた。
だけど,癌研やセンターで出会った人たちに比べたら, 全然問題じゃない。
「あなたは血が強いねぇ」
血液検査の結果を見た植松医師は,いつも感心していた。
何が強いのかは,結局聞けずじまいだったけど。
そんな強いはずのわたしが, 30歳代にして2度もかかってしまったがん。
きっと,多くの人がかかる可能性のあるこの病気を, この歳で二度も経験したのは, もっと有意義に生きろ,まだわからないのか! このばかが! と教えてもらうためだったのだろう。
誰かに頼ること,誰かを信じること, 何ごとも楽しむこと,足元を固めること,自然に親しむこと, 何よりも自分自身をまず大事にすること,そして,心を込めて物事に臨むこと,etc...
ありとあらゆることを学び直すために病は現れたのだろう。
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ちょうど今頃の時期です。
12年後に,とんでもない感染症が世界中に蔓延しているなんて,もちろん想像なんてできやしません。
そんななかでも,どうにか生きさせてもらっています。
よく,芸人さんが何でもかんでも「●●させていただく」という言い方をしているのが,私は好きではありません。
ですが,私が生きていることに関してだけは,やっぱり「生きさせてもらっている」という感じがしている12年間でした。
私ごときが,こんな素晴らしい治療法に巡り会えて,施術してもらえるなんて。
本当にもったいないくらいのことです。
この日の日記は,もう少し続いていました。
次回に書いてみます。