2008年8月1日,鹿児島での放射線治療がすべて終わりました
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前回の日記,2008年8月1日に書いたものには,まだ続きがありました。
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今日は技師さんの都合で,午前中のみの治療。
いつもは夕方からなのに,少し調子が狂う。
10:30だったか11:30だったか忘れたので,センターに電話したら,珍しく植松先生が出た。
「混んでないから,来とけば~?」
と言われ,10:30くらいに到着するよう出かけた。
結局,2時間近く待って,最後の放射線照射が終わった。
技師さんたちと握手して,治療室を後にした。
看護師Sさんは所用でお休み。
昨日,最後のご挨拶をした。
その前の日,ある人に悔しいことを言われたらしく,泣くのをこらえて点滴を刺そうとした。
わたしも何度も同じような思いをしてきたので,つい一緒に泣いてしまった。
スーパー看護師だと思っていたSさんも同年代。
やっぱり普通の女の子。
大阪のFさんと3人で呑みに行けて,嬉しかったな。
Sさんがいたから,2か月も楽しく通えたんだよ。
最高の職場にいるんだから,誇りを持って,外圧や嫉妬なんかに負けちゃダメよ。
Sさんでよかった。
ありがとう。
…と言ったら,また泣かれてしまった。
なのに,診察室の待合場に戻ったら,公休のはずのSさんが来ていた。
「あたし,熱心でしょー」
用事の合間にセンターに来て,私服で仕事をこなしている。
もう脱帽。
Sさんともう一度握手を交し,受付のKさんにも,挨拶を。
「ブログとかやってないの?」
ふふっ,あるよー。
探してごらん。
植松先生も,飄々としてとぼけた人だけど,誰よりも患者さんのことを第一に考える,素晴らしい医師。
これまでに出会ったお医者さんベスト1だよ。
もちろん,先生とも握手。
「ますますお元気で」
わたしゃ,どんだけ元気イメージだったんだろか?
かわいく手を振ってもらって,センターを去った。
名残惜しいけれど,ここにいるということは,病気であり続けるということ。
それでは夢もやりたいことも,何も叶えられない。
今度会うときは,元気になった報告をするためでなければならない。
あの治療台に上ることがあってはならない。
この治療法に,このセンターに,そして,先生やみなさんに出会えて,わたしはほんとうに幸せ者です。
2か月間,ありがとうございました。
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植松先生が電話に出るなんて,本当に珍しい。
そんなこともあったんだなぁ。
「混んでないから来とけば?」と言いつつ,2時間も待たせるなんて,やはり『植松時間』は実在するようです…
受付のKさんに声をかけられた“ブログ”こそ,この日記がベースとなっていたものでした。
ですが,謂れのない誹謗中傷でコメント欄を荒らされ,この直後に閉鎖しました。
この日記には,植松先生と撮ったツーショットの写真も添えていました。
診察室で,たしか看護師のSさんに携帯のカメラのシャッターを押してもらったような。
先生はやっぱりシャツにノーネクタイ。
私も相変わらず小生意気な雰囲気を発散しまくっています。
若いなぁ。
お見せしませんが(申し訳ないです)。
まだ出していない日記もありますので,これからも折を見て,鹿児島での2か月を引き続きお見せできればと考えています。
幸せいっぱいで治療を終えました。
がんの治療とは思えないほど,好き勝手にいろんな所に行き,鹿児島の雄大さに感動し,おいしいものを食べ,本を読んだり,ひとりカラオケに勤しんだり,たくさんの人とおしゃべりしたりしました。
本当に楽しいことだらけの,バカンスを味わいました。
そして翌日,たくさんの思い出をおみやげに,鹿児島を後にしました。
子宮頸がんでの多大な苦労が待っているとも知らずに。