生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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2008年8月1日,鹿児島での放射線治療がすべて終わりました

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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前回の日記,2008年8月1日に書いたものには,まだ続きがありました。

さらなる苦労が待ち受けているとも知らずに

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今日は技師さんの都合で,午前中のみの治療。

いつもは夕方からなのに,少し調子が狂う。

 

10:30だったか11:30だったか忘れたので,センターに電話したら,珍しく植松先生が出た。
「混んでないから,来とけば~?」

と言われ,10:30くらいに到着するよう出かけた。


結局,2時間近く待って,最後の放射線照射が終わった。

技師さんたちと握手して,治療室を後にした。


看護師Sさんは所用でお休み。

昨日,最後のご挨拶をした。

 

その前の日,ある人に悔しいことを言われたらしく,泣くのをこらえて点滴を刺そうとした。

わたしも何度も同じような思いをしてきたので,つい一緒に泣いてしまった。

 

スーパー看護師だと思っていたSさんも同年代。

やっぱり普通の女の子。

大阪のFさんと3人で呑みに行けて,嬉しかったな。

Sさんがいたから,2か月も楽しく通えたんだよ。

 

最高の職場にいるんだから,誇りを持って,外圧や嫉妬なんかに負けちゃダメよ。

Sさんでよかった。

ありがとう。

…と言ったら,また泣かれてしまった。

 

なのに,診察室の待合場に戻ったら,公休のはずのSさんが来ていた。

「あたし,熱心でしょー」

用事の合間にセンターに来て,私服で仕事をこなしている。

もう脱帽。

 

Sさんともう一度握手を交し,受付のKさんにも,挨拶を。

「ブログとかやってないの?」

ふふっ,あるよー。

探してごらん。


植松先生も,飄々としてとぼけた人だけど,誰よりも患者さんのことを第一に考える,素晴らしい医師。

これまでに出会ったお医者さんベスト1だよ。

 

もちろん,先生とも握手。

「ますますお元気で」

わたしゃ,どんだけ元気イメージだったんだろか?

かわいく手を振ってもらって,センターを去った。


名残惜しいけれど,ここにいるということは,病気であり続けるということ。

それでは夢もやりたいことも,何も叶えられない。

今度会うときは,元気になった報告をするためでなければならない。

あの治療台に上ることがあってはならない。


この治療法に,このセンターに,そして,先生やみなさんに出会えて,わたしはほんとうに幸せ者です。

2か月間,ありがとうございました。

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植松先生が電話に出るなんて,本当に珍しい。

そんなこともあったんだなぁ。

「混んでないから来とけば?」と言いつつ,2時間も待たせるなんて,やはり『植松時間』は実在するようです…

 

受付のKさんに声をかけられた“ブログ”こそ,この日記がベースとなっていたものでした。

ですが,謂れのない誹謗中傷でコメント欄を荒らされ,この直後に閉鎖しました。

 

この日記には,植松先生と撮ったツーショットの写真も添えていました。

診察室で,たしか看護師のSさんに携帯のカメラのシャッターを押してもらったような。

 

先生はやっぱりシャツにノーネクタイ。

私も相変わらず小生意気な雰囲気を発散しまくっています。

若いなぁ。

お見せしませんが(申し訳ないです)

まだ出していない日記もありますので,これからも折を見て,鹿児島での2か月を引き続きお見せできればと考えています。 

 

幸せいっぱいで治療を終えました。

がんの治療とは思えないほど,好き勝手にいろんな所に行き,鹿児島の雄大さに感動し,おいしいものを食べ,本を読んだり,ひとりカラオケに勤しんだり,たくさんの人とおしゃべりしたりしました。

本当に楽しいことだらけの,バカンスを味わいました。

そして翌日,たくさんの思い出をおみやげに,鹿児島を後にしました。

 

子宮頸がんでの多大な苦労が待っているとも知らずに。