生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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「○○したいと思います」は「○○します」じゃダメなのか

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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「今日は○○について書いてみたいと思います」

「今回は●●を食べてみたいと思います」

「次は△△をやってみたいと思います」

 

ネットのいろいろな記事を読んでも,テレビ番組を視ていても,必ず出てくるのが,この「○○したいと思います」ということば。

「○○します」だと,紋切り型に見えてしまう感じがするのでしょうか。

 

「思う」ということばを,前回と同じく三省堂大辞林・第三版で調べてみますと,

1. 考える

2. 感じる

3. 想像する

4. 追想する

5. 願う

6. 恋する 

なんだそうです。

これらの意味を見ると,一人の人間個人が考えたり,感じたりしているような印象があります。

 

「○○したいと思います」と言うときは,一人の人が,頭の中で考えた結果を発するのがふさわしいのではないでしょうか。

 

なのに,まるで公共の意見というか,団体の総意を述べるようなときに,さも個人が考え出した結果であるかのような使われ方をしている気がしてなりません。

「○○したいと思います」は「○○します」じゃダメなのか

あるテレビ番組で,司会者が「次のコーナーは,女優のAさんに登場してもらいたいと思います」と言っていました。

 

その進行は,あなたが一人で考えて決めたの?と感じてしまうのです。

テレビやラジオの番組は,司会者一人で成り立っているわけではありません。

大勢のスタッフや共演者がいて作られるものです。

なおかつ,番組という形式でひとつのものであり,そこに『一人の個人』が動かしているかのような進行をするのはどうなの?と思えてしまいます。

 

統計を取ったわけではありませんが,NHKではまず聞いたことがありません。

たぶん,そのような指導が徹底されているはずです。

お笑い芸人が言うこともあるようですが,少なくとも,アナウンサーが言うのは聞いた記憶がありません。

 

ですが,民放の番組,特にバラエティではよく耳にします。

正しい日本語で読むべきニュースや報道番組ですら,たまに聞くときがあります。

(どこの局が多いかは,あえて明言しないことにします)

 

ブログ記事でもそうです。

ブログは個人で書くものが多いようなので,別に細かく気にする必要はないのかもしれません。

 

とはいえ,それならなおさら「今日は○○について書きます」でいいと思うんです。

たとえば,はてなブログをちょっと覗いてみただけでも,こんな感じでした。

 

お題に沿って記事を書いてみたいと思います

→「お題に沿って記事を書いてみます」でいいのでは?

 

どんなものがあるだろうと振り返っていこうと思います。

→「どんなものがあるのか,振り返ります」でいいのでは?

 

今日は■■ランキングベスト5を発表したいと思います。

→「今日は■■ランキングベスト5を発表します」でいいのでは?

 

 「〇〇したいと思います」と書くと,どうにも I think , I want ... というクドイ感じがしてしまうんですよね。

 

「したいと思います」とワンクッション入れることによって,少し距離を置く意識が働くのでしょうか。

別に,言い切ってもいいと思うんですけどね。

 

「思う」ということばそのものには,個人が使うだけでなく,団体が使っても違和感がないものなのでしょうか。

 

それに,実は,言う人自身の欲求が組み込まれていることになるんですよね。

「○○したい」という欲望というか,欲求というか,そういう印象をも抱いてしまうのです。

 

細かいですね,私。

国語学者でも言語学者でもないので,もっと詳しく勉強してから言うべきなのでしょうが,普通に読んだり聞いたり話したりするなかで,ふと感じる疑問でありました。

自分がちゃんとしているという気は,さらさらありません。

 

だけど,どういうわけか,どうしても気になってしまいます。

理由はわかりません。

もっと寛容になりたいのですが。