生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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がん患者同士で傷をなめ合ってはいけない

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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咽頭がんの治療のために入院していた,ペナルティのワッキーさんが退院したそうです!

おめでとうございます!

最初に報道されたときはステージⅠ とのことでしたので,たぶん順調に完治へ進むんじゃないかなと思います。

 

どちらの病院で,どのように治療されたのかまでは存じませんが,「治療の辛い時」と書かれているので,ご本人にしかわからないこともたくさんあったことでしょう。

副作用がつらいようなことが別の記事で書かれていたのを,どこかで見ました。

 

私の鹿児島での乳がんの治療は,もうパラダイスとしか言いようのない毎日でした。

ですが,その後の子宮頸がんの再々発では,開腹手術もしましたし,つらいことのほうが多かったです。

 

というか,つらいことしかなかったように記憶しています。

たまにお見舞いに来てくれる方々に救われていました。

開腹手術や,その後の検査などの治療もさることながら,人間関係も,そのつらいことのうちの一つでした。

 

群れでしか行動しない患者同士の中にいるのが苦痛で仕方なく,つらいなこの環境…と思い続けた1か月半でした。

がん患者同士で傷をなめ合うような人たちのいざこざが,目の前で毎日のように繰り広げられ,自分のベッドがある病室なのに,居心地が悪すぎました。

 

今回は,子宮頸がんの手術のために入院した最後の病院での思い出を書いてみます。

ちょっと辛口です。

同じ病気の患者同士で傷をなめ合っては治らない

がん患者以外と話していた

1か月半の入院中,特に後半はほとんど患者同士で話すことがありませんでした。

がんだけでなく,他の病気の患者さんもいたのですが,私はできるだけ,その人たちと話すようにしていました。

 

2008年の乳がん発覚と同時に見つかった子宮頸がん再発で,癌研有明病院(現在の表記は がん研有明病院)に入院しました。

癌研と最後の病院とで決定的に違ったのは,がん患者だけで徒党を組んで,傷のなめ合いをしていたということです。

 

治療はつらいものでしたが,それはみなさん同じでしょう。

徒党を組み,傷をなめ合うがん患者たち

ですが,がん患者チームから聞こえてくる話題は,なんとも発展性に欠けるのでした。

もちろん,前向きに病気と相対してはいるのでしょう。

 

“今日はあれが痛かった”とか,

“あの点滴が気持ち悪い”とか。

“あの患者さんに聞いてみよう”とか。

“あの患者さんなら詳しい”とか。

 

いろんな話し声が聴こえてきます。

主に愚痴です。

わかります,わかります,よーくわかります。

愚痴や弱音を吐きたくなる気持ちはわかるのです。

 

なかでも一番びっくりしたのは,別の病室からやって来たおばさまが,私と同室の女性の所に,別の患者を引き連れてきたときのことでした。

ヌシにお伺いを立てる患者たち

その同室女性は,いわゆる『ヌシ』のような存在でした。

といっても,年齢は若く,たぶん20代後半か,30代の初めくらいか。

退院するまでまともに会話することはなかったのですが,たしか,子宮を全摘したか,そんな患者さんだったと思います。

リーダーシップのようなものを発揮し,フロア全体のがん患者を束ねているような印象でした。

 

そのヌシの所に,3部屋くらい隣の病室のおばさまが,もっと若い20代くらいの女の子を連れてやって来ました。

本当にもう,女の子という表現がぴったりな若さでした。

 

具合悪そうです。

歩くのもやっと。

 

おばさまは,ヌシに言いました。

「この子,今朝からお腹痛いって言ってるんだけど,あなたも同じようなこと,前に話してたことあったわよね?

 そのとき,腸捻転だって言ってなかった? 症状が似てるんだけど」

 

ヌシは答えます。

「たぶん,そうだと思う。腸捻転じゃないかな。

 ●●先生がそのあたりの専門だけど,火曜日と木曜日しか来ないからねぇ。

 今日の回診は▲▲先生だから,私が聞いてみようか」

 

この人,この病院のスタッフだったのでしょうか。

きっとそうかもしれません。

今になって,そう思います。

いや,先生との話しぶりからして,それは違うな。

 

…いいえ,そういうことを言いたいのではありません。

 

あなた達が今いるのは,病院でしょ。

医療のプロがいる場所でしょ。

そう思ったのです。

 

お腹が痛いのなら,なぜ医師に尋ねないのでしょうか。

看護師に伝えればいいでしょう?

ヌシや私がいる病室より,この人たちの病室のほうが,スタッフステーションに近いのに。

彼女が言うからといって,回診の時間を待つのですか?

 

まったく理解できません。

 

ちなみに,女の子のその後の容態は耳に入ってきていません。

距離を置いていましたから。

そんなに仲間が欲しいですか?

なぜ,そんな仲間で群れるのでしょう?

そんなに,がん仲間が欲しいですか?

 

気持ちはわからなくもないのですが,同じ部位のがんでも,一人ひとり,対処法はまったく違ってきます。

だから,他の人の情報はあまりあてにならないのです。

 

心細かったりもするのでしょうが,気持ちを分け合うのとは意味合いが違って見えたのです。

がんをはじめて告知されたときの自分を見ているようでした。

『誰か助けて』

依存心のかたまり。

かの患者グループは,それの吹きだまりでした。

 

気持ちを分かち合うことも大事です。

ストレスを溜め込んでいては,治る病気も治りません。

共感し合うことで,心が安らぐことがあるのは言うまでもないでしょう。

 

ですが,がんという病気にフォーカスしすぎていてはいけません。

もちろん,自分のがんという病気と向き合う時間は必要です。

 

どのような現状なのか。

どういう方法で治していくのか。

 

向き合い方は人それぞれでしょう。

ですが,向き合い方を間違えてはいけないのです。

いくら同じ病気の人が物知り名人だったとしても,聞くべき内容を聞くべき相手なのか,それを判断することくらいは,ほんの数秒でできるはずです。

 

上で書いたおばさま達は,そんなに自分を見失ってしまっていたのでしょうか。

そしてヌシは,なぜ「私が聞いておく」というようなアドバイスをする必要があったのでしょうか。

 

この最後の病院では,患者同士でも特に,がんという共通点がある人たちばかりで群れていることに気づいて,私は距離を置きました。

現にその人たちは,何度も同じ病院での入退院を繰り返す仲間だったのです。

 

それが再発に結びついているとか,だから治らないんだという気はありません。

ですが,以前にも書いた『疾病利得』を享受している人たちだという印象でしかなかったのです。

(過去記事:「がんになったくらいでおとなしくなるな」【疾病利得だったのかも】

 

明るい気分ばかりでもいられないのは承知しています。

私だって,2つのがんを同時に患ったんですもの。

 

その上で,あえて言いたいのです。

同じ病気をわかり合えるからといって,ずっと群れていてはいけません。

治りたいのなら,がん患者同士で傷をなめ合うのも,ほどほどにしておきましょう。

 

治った後に,いくらでも元気に楽しく笑って会えるのですから。