生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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UMSオンコロジークリニックのセカンドオピニオンを受けたときの記録を再現する〜その3〜

「その1」「その2」はこちら↓

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2008年4月29日の日記の続きです。

 

明治記念館のロビーで、ただのデートみたいな雰囲気に見えたかもしれません。

 

別のがんが再発して、その10日前まで、癌研有明病院(現在の名称は がん研有明病院)に入院していました。

入院患者のよしみで、乳腺外来も紹介してもらい、そこで乳がんを告知されました。

 

一度がんにかかった経験から、「左胸に感じている硬いしこりが乳がんだったらどうしよう?」と思い、ネットで乳がんの治療法を検索しまくっていました。

そして、UMSオンコロジークリニック(当時の名称は UASオンコロジーセンター)を見つけました。

 

入院直前に、セカンドオピニオンをお願いし、やっと、この日までこぎつけたわけです。

 

その際、「癌研に入院しているのであれば、その間に受けられるだけの検査を受けてきてください」と言われました。

 

それらの書類を携え、1時間弱くらいだったかな、植松医師といろいろなお話をしました。

 

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あと、失礼を承知でこんなことを訊いてみた。


今の主治医に植松先生のお名前を出したら、「乳腺の専門家じゃないからちゃんとした答えが返ってくるのか疑問だ」と言われたと。

 

(苦笑して)
「何をもって専門家と言っているのかわからないけれど、私は乳癌学会の認定専門医であり、そのランクは最高位です」

 

実際、帰ってネットで調べてみたら、名簿にお名前がありました。
今の主治医のすぐ近くにね。

(※現在は退会していらっしゃいます)


「日本の温存手術の第1例目から診ている。

 『患者よ,がんと闘うな』の著者・近藤誠医師とともにやってきた」

「最近は近藤医師とはやっていないが、その本が出る10年近く前から、温存に関しては研究し続けている」

(※私の調べでは、近藤医師のやり方に疑問を持つ人もいる。温存しなければ、延命できたという患者もいるらしい)

 

「鹿児島の出身というわけではなく、どこで仕事してもいい」


慶應大学病院の年間の予算は5億円ほどだが、このピンポイント照射という治療法はできないのかなと思っていたら、厚地先生という方が、お金を出してあげると言ってくれて、150億円をかけて、専用の機械を開発した」

 

「どこの医療機関とも組むことなく、鹿児島でやっている」

 

「この治療法を確立してから今年で9年。100人以上を診てきたけれど、再発した人は1人もいない」


こんなお話など。
淡々と、しかし口調はとても柔らかく穏やかで、余計な話は一切しないが、厳しく遮るような棘はまったくない。


植松先生との出逢いは、今後の治療方針を決定するのに、大きな揺さぶりを生んだ。
おそらく、鹿児島へ行くことになるだろう。

 

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このとき、治療方法もさることながら、植松医師の、にじみ出るお人柄の良さも決め手となったと思います。

 

あとあと、鹿児島に行って治療する期間、本当に楽しかったもん。

 

自分の病状が深刻なものとは思ったことは、一度もなかった。

むしろ、別のがんのほうがヤバかったけど、このブログでは、当面の間は乳がんのほうをメインに書いていきますね。

 

もう少し続くかな、セカンドオピニオンの話。

いや、どうだろ。