がんだった
がん患者同士で傷をなめ合っていては,治るものも治りません。ちょっと辛口になってしまいますが,子宮頸がんの手術のために入院した最後の病院での思い出を元に書いてみます。
前回の日記,2008年8月1日に書いたものには,まだ続きがありました。
2008年8月1日,鹿児島市のUMSオンコロジークリニックで2か月にも及んだ乳がんの治療が終わりました。また,当時の日記をほじくり返してみます。
いつだったかの記事で,乳がんの治療前と治療後を比較した写真があったはずだと書いた記憶があります。それが見つかりました。その頃の日記とともにお見せします。日付は2008年7月31日となっています。
普段よりも,人の死について思う2週間でした。2020年7月18日,三浦春馬さんが亡くなりました。特段のファンというわけではありませんでしたが,NHKの『世界はほしいモノにあふれてる』という番組をたまに視ていて,「綺麗な人だな,いい子だな」と思ってい…
今日も過去の日記を掘り起こしてみます。2008年7月25日の日付です。 鹿児島ローカルの放送局が取材に来ていました。CTの画像を一緒に見ながら,医師と患者のやりとりを撮影。 取材クルーからいくつかインタビューを受けました。
鹿児島での乳がんの治療中,Tちゃんという女の子と知り合いました。私は提携先の病院に入院していましたが,治療期間の途中で転院しました。そのときに同室になりました。いくつか年下で,長いまっすぐな黒髪が印象的な子でした。
がんにかかった2008年当時に書いていたブログの下地となる日記を読み返していました。そうしたら,走り書きというか,メモ書きのようなものを見つけました。どこかで読んだ本の抜書きらしいです。しかし,著者の名前もタイトルも控えてありません。
子宮頸がんを告知されたとき,親しくしていた友人から受けたデリカシーのない発言について書いてみます。Mさんは,面倒見がよくて,誰からも頼られる人でした。私も,そう思っていました。
2005年に子宮頸がんが見つかったことから,私のがん患者生活は始まりました。ひょんなことから受ける羽目になったがん検診で,告知されました。それから3年後,乳がんの発症と同時に,子宮頸がんの再発がわかりました。さらに,鹿児島で乳がんを放射線治療…
今回は,この『抗がん剤治療のうそ 乳がんをケーススタディとして』という本について書いてみます。タイトルからすると「抗がん剤は効かない」「抗がん剤は使うな」という内容のように感じる方もいるかもしれません。そうではなく,正しくデータを読み解いて…
前回に引き続き,2008年7月8日の日記からです。 素人である限り,少しでも疑問に思ったことは医師に伝えないと,万が一,間違った認識のまま治療が進められてしまえば,痛い目に遭うのは患者です。自分を守るためにも,賢くあるべきなのです。
治療当時に書いていたブログの下書きである日記が,まだ手元に残っています。この中からピックアップして,UMSオンコロジークリニックで治療していた日常を思い返す『UMSオンコロジークリニックでの入院生活をほじくり出そうシリーズ』です。今回は200…
イマジネーションの力は絶大です。2008年,鹿児島のUMSオンコロジークリニックで放射線治療を受けていたときに起こった,不思議なできごとを書いてみます。
植松先生の本のレビューを前回まで書いてきました。そのなかで,樹木希林さんのお嬢様や,筑紫哲也さんのご家族の話を読んでいて,ふと考えました。いくら自分ががんだったからとは言え,いざ家族ががんになったとしたら。私は逆に,経験者としての威厳を振…
引き続き,植松先生の著書『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年の軌跡』についてです。私と同時期に,樹木希林さんが治療なさっていたことを前回に書きました。そして,この本には,また同時期にいらした筑紫哲也さんのことも,奥様,…
前回は『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年の軌跡』という本について書いてみました。UMSオンコロジークリニックの植松稔先生の新著です。私が治療を受けていた2008年と変わっている点を挙げましたが,基本的なスタンスは変わって…
前回,『明るいがん治療3』という本を軽くレビューしました。レビューといえるものになったかどうかはさておき,他の本も読み直していましたら,「私が治療を受けていたときとは違ってるな」と感じた箇所がいくつか出てきました。きちんと読んでいなかった…
UMSオンコロジークリニックで治療したと散々書いておきながら,植松先生のご著書に関してはこれまでほとんど触れていませんでした。『明るいがん治療3「明るいがん講座」30話』を読み直してみました。 私が治療していた年の翌年2009年に出版されたもので…
「鹿児島 オンコロジー 胡散臭い」この検索ワードから,おびただしい検索数でヒットしているようです,このブログ。そんなに胡散臭いと思われているのでしょうか。
人生なんとかなるものさ 生きていればいいことあるから 明けない夜はないから 2つのがんになって,丸1年を治療に費やしている間,たくさんの人からこういうことを言われてきました。そこから12年が経ち,今日までも言われてきました。
たまに訊かれます。「鹿児島まで行って乳がんの治療なんて,お金もかなりかかったでしょうし,後悔してない?」と。するわけありません。楽しいことしかなかったから。
入院したことのある人なら,患者さん同士で仲良くなるということは,多かれ少なかれ経験があるでしょう。鹿児島に滞在し,UMSオンコロジークリニックで治療しているときに知り合った人のうちでも,特にMさんとHちゃんの二人とは,今でも長いおつきあい…
子宮頸がんの入院・手術から約3年後,乳がんが見つかりました。子宮頸がんは2回手術を受けました。円錐切除という,わりとよく知られている術式です。最近では,日帰りで受けたという人もちらほらいるようですが,私は1週間ほど入院しました。
2005年に子宮頸がん,2008年に子宮頸がんの再発と乳がんを同時に発症したのですが,最初に子宮頸がんが見つかったのは,とある偶然からでした。
幡野広志さんという写真家の方がいらっしゃいます。多発性骨髄腫で余命宣告を受けています。ブログでがんのことを公表し,大きな反響を呼んだといいます。その幡野さんが,新R25のインタビューに答えていました。
『UMSオンコロジークリニックでの入院生活をほじくり出そうシリーズ』です。前回と同じ2008年7月4日の日記から。私の乳がんは,直径10cmにも大きくなっていたため,ピンポイントより先に胸全体に放射線をかけることから始まっていました。そのやけどが,…
以前に,放射線照射で治療しているときの写真を記事に載せました。治療開始4週間が経過した時点と,さらに6週間後,そして現在の比較をしてみました。放射線治療をすると,皮膚が焼かれてやけどが起こります。その頃の日記を読んでいましたら,とにかくか…
2008年6月25日の日記を見ていました。UMSオンコロジークリニックで治療していたときに書いていたブログ記事の原型です。この日は,クリニックではなく,入院していた提携先の病院の厨房から,メニューに関するアンケートが来ていました。
お笑いコンビ『ペナルティ』のワッキーさんが,中咽頭がんのステージⅠで治療に専念することを公表しました。所属事務所が発表したところによると,4月上旬に自分で異変に気づき,先月5月に診断確定されたということですから,ほぼ1か月かかっているんです…