子宮頸がんのことをこのブログであまり書いていない理由
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2005年に子宮頸がんが見つかったことから,私のがん患者生活は始まりました。
ひょんなことから受ける羽目になったがん検診で,告知されました。
(過去記事:がんが見つかるかるまでの経緯〜子宮頸がん編)
それから3年後,乳がんの発症と同時に,子宮頸がんの再発がわかりました。
さらに,鹿児島で乳がんを放射線治療した後,子宮頸がんが再々発したのですが,最終的にこちらは手術で子宮を温存しました。
乳房も子宮も温存することにこだわりました。
その過程で,乳がんは鹿児島で苦痛なく,楽な治療を選びました。
ですが,子宮頸がんは,開腹手術となりました。
どちらのがんも鹿児島で治療できればよかったのですが,30代半ばで未婚だったこともあり,妊孕性=妊娠できる機能を維持したい意思が強く,あえなくこのような選択となりました。
どちらも温存できたとはいえ,鹿児島で楽しく過ごせたことと,東京の病院での入院・手術とでは,あまりにも違いが大きすぎました。
開腹したという事実をどこかでまだ受け入れていないような気がしていること。
入院・手術した病院での1か月半が,あまりいいものではなかったこと。
この2点が,このブログで子宮頸がんのことを今でもきちんと書けていない理由かなと,自分では感じています。
乳がんの治療が終わった当初,PDTという治療法を見つけていました。
PDT(光線力学療法)とは,レーザー光に反応する薬剤を注射し,レーザー照射するというものです。
初期の子宮頸がんには著効であるというのですが,光を遮る生活を送らなければいけないというデメリットがあります。
とはいえ,手術によるダメージや抗がん剤の強い副作用などに比べれば,苦痛は軽いものといえるでしょう。
このPDTを受けたかったのですが,何時間にも及ぶ検査の末,2回の円錐切除で頸部が短くなっていた私には,適用できないと言われました。
この治療法が適用できないとわかると,あとは子宮頸部を極限まで切除する術式しか残されていませんでした。
開腹しない手法でこの手術を行う病院があると聞いて,岡山までセカンドオピニオンを受けにも行きました。
ですが,ここで受けた検査が,なぜかClass1と出てしまい,門前払いとなりました。
最後に手術を受けた病院でこのことを尋ねたら,
「それはない。摘出した病巣にちゃんとがんがあった」
と言われました。
もう開腹してしまった後だし,検査の方法が甘かったのか,もはや真相はわかりません。
また,担当看護師との相性が悪かったことや,同室の患者さんの言動にも,あまり良い思い出がないのです。
こうしたことも含め,鹿児島での乳がんの治療が終わってから,子宮頸がん再々発の開腹手術まで2か月半,東京の病院で起きたことはつらいことが多すぎました。
10年以上が経過した今でも,まだきちんと気持ちを整理できていない部分が大きいのです。
それだけ,鹿児島の放射線照射による治療がすばらしい,ということでもあるでしょう。
今ならもう少し冷静に当時のことを振り返ることができるかな,と思い始めています。
時薬(ときぐすり)がようやく効き始めています。
こうして書くことで少しずつ整理できているのでしょう。
近いうちに子宮頸がんのことも書けるのかなとは思うのですが…
いや,やはり,もう少し時間がかかりそうです。