生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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はてなブログに「今週のお題」という企画があることを知ったので。

前回の記事はこちらから読めます↓

blueguitar.hatenablog.com

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はてなブログに「今週のお題」という企画があるんですね。

アカウントを作って何年か経ちますが,最近になって本腰を入れてブログに力を入れたら,こんなものがあるなんてことを知りました。

遅い。

「今週」って,いつからいつまでなのでしょうか。

ググってみたら,毎週木曜午後に更新しているとか,毎週金曜だとか,ちょっとバラバラですね。

 

この記事を執筆している時点での「はてなブログ ヘルプ」の最新記事に則ればいいかと判断して,今週のお題は「会いたい人」とのこと。

 

今回は,いま会いたい人について書いてみます。

 

乳がんだったこと,子宮頸がんだったこと,この事実を振り返ってみると,2008年はたくさんの出会いがあり,それまでの人生,そしてそこから現在までの人生においても,比べ物になりません。

 

同じがんという病気を抱えた人たちとの交流によって,いろんな人のいろんな人生があることを知りました。

 

その中でも,いま会いたいのは誰かと言えば,2004年に最初の子宮頸がんで主治医となったS先生でしょうか。

 

乳がんの治療後に再々発したときには,病院としては子宮全摘を勧めるといわれたことに強く抵抗した私を慮って,あらゆる伝を探してくださいました。

中規模のK病院が,子宮を温存する術法で名高いとのことで,そちらに行ってみたらどうかと勧められました。

 

当時の日記には,こう書き残していました。

2008年9月初旬でした。

朝からK病院に予約の電話を入れてみた。 なんと、一番早くても10月10日だという。 待てるかーい!!!!!!!!!!! …と怒る(いかる)のを押さえて、とりあえずその日にブッキング。 S先生にすかさず電話した。

 「うん、うん。大丈夫ですか?  変わったことはありませんか?  そしたらね、わたしがK病院の部長先生に電話して、なんとかならないか訊いてみますから」

この電話の数時間後,S先生からコールバックがきました。

「部長先生もお忙しい方ですから、手元ではわからないと。 それで、メールであなたの情報を送れということになり、それからK病院の方からあなたに連絡するということで、あなたの連絡先を教えてもいいですか?」

今日中は無理だろうけれど、来週かな…と前置きされて、「いつでも力になりますからね。なんでも言ってくださいね」  

さらに約2時間後,K病院から連絡が来て,4日後に来てくださいと言われました。

 

私個人が依頼すれば1か月以上先の日程でしか予約できないところを,S先生のおかげで,入り込むことができました。

それ以前も,小憎らしいことしかいわない私に,やさしく,だけど適度な距離感で接してくださいました。

初めての入院からのS先生とのやり取りも,いずれ書いてみましょう。

 

最後にお会いしたのが,その診察前後だったので,2008年以来お会いしていません。

その翌年に私が結婚した際には,挙式の写真を添えて,先生に手紙を出しました。

数日後には,お忙しいのに返事を送ってくれました。

お祝いのメッセージとともに書かれていたことばが忘れられません。

 

「がん専門医である私も,できることなら手術はしたくありません」

 

お医者さまだって人間です。

いま,新型コロナウイルスによる医療崩壊の危機が叫ばれていますが,人間である医療従事者のみなさんがいてこそ,感染拡大が防げています。

 

専門分野が何であれ,人の命を預かる仕事に従事している人たちのおかげで,自分がいま,生きていられます。

それのなんとありがたいことか。

 

もちろん,医療機関だけでなく,最前線で働くみなさまそれぞれに人生があることをイメージできるようになったのも,がんにかかった経験があったからだと思っています。

 

S先生だけでなく,私がお世話になった人たちみなさんに,いま会いたい。

連絡先をなくしてしまった人もいるけれど,元気でいてほしい。

 

どうか,みなさん,ご無事で,お元気でいてください。