生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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私が選択した治療方法に対する外野のネガティブ反応を振りはらう日々だった

過去の日記をずっと拾っていて、こんなことを書いているのを見つけました。

 2008年5月26日、もうすぐ鹿児島へ出発するという頃のことです。

 

(※このブログでは、名称を当時のまま表記しています) 

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そもそもわたしは、がんは死ぬ病気ではないと頭っから思っている。
今でも、その考えは変わっていない。

それなのに、他人のせいにしたくなるほど、心無い人たちの無意味なアドヴァイスに踊らされている。
「相手にしなくてもいい」と頭ではわかっているのに。


死ぬと思え、ってか。


鹿児島での治療スケジュールが固まるまでの期間に、とある一部の外野の人々から、
死ぬだの、早く手術しろだの、癌研に入院しとけばいいのにだの、なった人にしかわからない思いを無視して、従来の治療法がすべてであるかのようなことを聞かされ、ただでさえ弱っている精神に叩きつけられていた。

わたしはわたしなりにいろいろと調べ、自分なりにできることを模索し続けたのに、 ケチをつける輩まで現れた。

心配の押し売り。

周りから、わたしの人生の意味について、 「よくぞ気づきましたね! えらいです!」なんて、 そんな上から目線で言われなくても。

病によって“本人がどう感じたか”に価値があるわけで、 “気づき”の中にある、その人の生き方を尊重すべきではないのか。


別に現実から目を背けたりしていませんよ。
だって、この病気は2回目だもの。
わたしのもてる知力・感性・情報収集力を駆使して、取捨選択して、吟味して、十分理解できましたよ。

自分がなってみたら、どう思うんだろう、こんな方々は。
がん患者になるなんて、普通はお年寄りにならないと経験できないんだぜ。
おかげでわたしの経験値は、ますます上がっていますよーん。


悪いね、先取りしちゃって。
 
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思い出した。
 
このとき、いろいろな方面に、乳がんの治療法や、納得の行く応対をしてもらえる病院を探しまくっていました。
 
もちろん、その中からUMSオンコロジークリニック(当時の名称はUASオンコロジーセンター)を選択したわけですが、なかには、自分の意見を押しつけようとする人も少なからずいました。
 
ある人に至っては、自分の知人の医者に私のことを話し、「そういう症例は、手術以外に治る道はないと言われた」とか、また別の知人が保険会社に勤めていて、「そういう症例は、だいたい保険金請求後3年くらいで再発していると言われた」とか、またまた別の知人の親御さんががんと診断されて、「うちの親だって、本当は癌研に入院してもらいたいのにと言われた」とか、友人4人で集まって「あなたの治療は癌研で手術という結論になったから」とまで言い、「手術しないと死んじゃうんだよ!」と叫んでいました。
 
これらすべて、ある一人から発せられた話ですよ。
 
医者に相談してくれたのはありがたい。
実際、電話を取り次いでくれて、乳がんの治療で一定の評価のある大病院の名前を出して、融通してくれようともしたっけ。
顔が広いんですね。
 
外資系保険会社の部長だか誰かに聞いてくれたのもありがたい。
顔が本当に広いんですね。
 
別のお友達の親御さんのがん、どこの部位かは失念したが、癌研有明病院(現在の名称は がん研有明病院)は、なかなか予約が取れないとか、取れても2ヶ月待ちだとかで、その頃には病気も進行しちゃうという噂で、「癌研にかかれるのならかかっとけばいいのに」とかなんとか。
私がかからなくなる枠を分けてあげられればいいけれど。
 
お友達4人でお食事しながら、私のがんについて談義したなんて、それはおいしいごはんになったのでしょうか。
 
 
大病を患うと、どうやら他者のいろんな面が見えてくるようです。
この人も、きっと心配してくれたんだろう。
 
乳がんの告知と同時に再発が判明した別のがんを手術するとき、お見舞いに来てくれた。
手術は簡単なもので、成功してすぐに終わったとはいえ、入院中にいろいろな検査を受け続けてはマイナスなことを言われていたから、その人が帰るときに、つい肩を借りて泣いてしまったりしたもの。
 
だけど。
 
いつの間にか、その心配がその人のイベントになってしまっていました。
あとあと振り返って、共通の知人にこのことを話したら、みな一様に「ああ、あの人はそういうところあるよ」と言われました。
 
私の見る目がなかったんですね。
 
救いを求めて、誰かれ構わず身の上話をしてしまっていた。
そう言えば、最初のがんでも、他の誰かからも、同じような目に遭ったことがありました。
ぜんぜん成長していなかった。
 
何度もがんにならないと気づけないくらい鈍かった感性。
 
治療が終わってから12年。
ようやく少しは人を見る目が養われたでしょうか。
 
特に、この「4次元ピンポイント照射を選ぶ」と言ったら、いまでも変人扱いされるかもしれません。
実際、お亡くなりになった有名人の方への意見として、「なんで最初から標準治療を選ばなかったの?」という声をよく耳にします。
 
ですがそれは、誰の、どういう知見からの、どんな意図で発せられているものでしょうか。
単なるお節介かもしれないし、まったくの当事者ではない、経験したことのない外野からのつぶやきに過ぎないかもしれません。
たとえ医師や看護師などの医療分野の専門家からの情報であったとしても、納得できないものは、選んではいけないと思います。
 
ただし、人間はそう思いたいものをそう思ってしまう。
こうありたいと思う方向に、自分を仕向けてしまう。
 
本当に必要な情報は何なのか。
がんと診断されて、本当に必要なのは、心配よりも、医療従事者のプライドよりも、情報の収集力と取捨選択力、そして冷静な判断力が必要なのではないでしょうか。
 
私もこのブログで、UMSオンコロジークリニックをおすすめはしますが、決して押しつけたりしないように気をつけながら書いていきたいものです。