4次元ピンポイント放射線照射で治療中の肌の状態【閲覧注意】
前回の記事はこちらから読めます↓
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2008年6月から鹿児島のUMSオンコロジークリニック(当時の名称はUASオンコロジーセンター)で乳がんの治療を始めました。
それから4週間経過したときと,さらに6週間目の写真が出てきました。
当時の日記を紐解きつつ,現在とも比較してみましょう。
治療開始4週間後の写真
10日ほど経ったときの日記には,こんなことを書いていました。
患っている方が、やや紅潮している。 「いずれ、火傷してきますからね」 とセンターの看護師が話していたのは、こういうことだったのか。 さらに赤くなっていって、 腫瘍の部分が花が咲いたようになるらしい。
それが日に日に焼けてきて,週1回の診察では「焼け具合はどう?」と植松先生に尋ねられていました。
わたしゃステーキですか,ローストビーフですか。
そのころの写真がこちらです。
私の場合は、腫瘍が大きいのと、鎖骨の真下と脇と胸骨あたりの各リンパに転移があるのと、左乳房を縦横十字に分けて見て、中央側上部のエリアに腫瘍がありました。
後になって知ったのですが、まず最初の数週間は、全体に照射しているらしく、後にピンポイントが始まるそう。
だから、こんな焼け具合になっているのだと看護師に言われました。
そして,かゆい,とにかくかゆい。
だんだん,眠れないくらいにかゆくなるようになって,深夜にナースコールして氷で冷やしたりしたこともありました。
さらに治療開始6週間後の写真
そこからさらに2週間経過すると,さらにやけどは進行しました。
1枚目の写真よりも黒く変化しています。
徐々に皮がむけるようになりました。
脇の下と胸の皮剥けエリアがつながり、わたしの左上半身は奇妙な地図が出来上がっています。
お風呂でふやけると、ますますむけていくのがおもしろく、痛くなければ、自分の手でほろほろとむいていました。
かゆみの原因は,点滴していた抗がん剤によるものだと言われました。
抗がん剤投与の手法は,ちょっと独特です。
(この記事を参照してください↓)
2種類投与されていたうち,エンドキサンがかゆみを強く誘発するのでやめて,シスプラチンのみとなりました。
それでもかゆかった…
ところが,植松先生からのアドバイスは,
「オロナイン軟膏塗るとか」
え?
おろないん…?
彼はことあるごとにオロナインと言うらしいです。
看護師のSさん曰く、 「先生、オロナイン軟膏大好きなのよねぇ」だって。
「オロナイン塗ってから日焼けするっていう人もいるくらいでさ。ただのオイルだと、火傷しちゃうことになるけど、オロナインだと、治しながら焼けていくと言って」
へぇぇ。
「いやホント、効くんだから」
皮膚科医ではないけれど、医者が言うんなら効くんだろな…と思っていました。
「治療が全部終わったら、当分ヒリヒリするんだから、オロナインの大きいの1個買っておくといいよ」
大塚製薬から何かもらっているのか、てなくらいの激賞ぶりでした。
というわけで,結局,2か月の間で皮膚に対する処方は何もしてもらえませんでした。
治療終了12年後の写真
痕がなくなるまで1年はかかると言われていましたが,私の実感としては,3年くらいかかったように思います。
今でもたまに,脇や胸がかゆくなるときがあります。
現在のようすがこちら。
(角度がやや斜めになってしまいました・汗)
それと,お見せできませんが,一番腫瘍が大きかった中心部の肌は,今でも血が散ったような痕が5cm四方くらい残っていて,肌の表面は固くなっています。
ですが,治療を終えて9か月くらい経過した翌年には,南国へひとり旅に出かけ,水着で海ではしゃいでいました。
水着になっても気になるような痕は消えていて,よくよく見ると左半身だけ黒ずんでいるかも…という程度でした。
他人から見ると,もしかしたら「あ,あの人…」と思われていたかもしれません。
上の写真のような状態だったから隠したかったでしょうが,その状態は脱していたので,何のためらいもなく水着で南国を満喫することができました。
照射される部位や範囲にもよるでしょうが,こうした症状も副作用として起こりえることは知っておいたほうがいいでしょう。