営業スキルで夢を叶える前に講師が信じられなくなったセミナーの話
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がんの治療を終えて12年,いま思い返しても,自分はなんと弱くて浅はかな考えしか持たなかったのだろうと,昔のことをぐずぐずと考えてしまうことがあります。
最近はまったく行かなくなりましたが,いわゆる“自分探し”的な意識が高かった頃は,よくセミナーに行ったものでした。
一言でセミナーと言っても,「モチベーションを上げよう」とか「集中力向上」といったビジネス的自己啓発ものから,タスク処理のためのライフハック系,ヨガとか太極拳なんかのボディワーク系まで,試して試して試しまくりました。
とはいえ,大金をどどーんとつぎ込む勇気もなく,無料のものや,一回限りのお試し体験や,ほんの3回ほどで終わるものくらいに留めていました。
『自分に合うかどうかを見極める』というのが大義名分ですが,ほとんどの場合,単なるつまみ食いでした。
セミナー講師のみなさん,ごめんなさい。
その中でも,願望実現系のものは,ハマってよく参加していました。
がんを告知される前は,スピリチュアル系のものに引っかかりかけたりもしたのですが,後頭部からおよそ20cmくらいの距離で「なんか違う」という気持ちが常に湧いていました。
そのおかげか,結局は深みにハマることなく,現在はこの手のものはまったく興味がなくなりました。
この紆余曲折は,機会を作って改めて書いてみるかもしれません。
あるセミナーというか,講座というか,夢を叶える系の5回シリーズがお安く受けられる情報を仕入れ,申し込んで受けていたときがありました。
かれこれもう10年以上は経過しているので,自分の気持ちも整理したく,実名こそ出しはしませんが,ここで吐き出してみることにします。
「夢を叶えるには営業力が大事です」だと?
その講師は,某企業のカリスマ営業だという触れ込みでした。
セールスの手法を使えば,夢は叶うというのです。
営業なんてできやしないわ。
できることなら,誰とも話さずに毎日を過ごしたい。
芝居をやる以外は他者とのふれあいなんて,まっぴらごめんです。
そんな私ではありましたが,どうしても,芝居の面でグンと成長する体感が得られていませんでした。
フリーで活動し,スキルもあまり上がらず,区民会館なんかで細ぼそとやっているような“お教室”めいた所で,レッスンを受けていたりしたものでした。
というわけで,売り込みをかけるには,そりゃ営業的なマインドも必要だろうな,という意識が芽生え,申し込んでみることにしました。
いま思えば,典型的なビジネス書に書かれていることばかりでした…
やりたいことを100個書き出しましょう。
なるほど,よくあるやつね。
やりたいことは山ほどあるわよ。
一気呵成に書き上げました。
叶えたい夢を叶えるには,PDCAサイクルを回しましょう。
なるほど,叶えるに必要な作業を抽象から具象へと変換していくわけね。
それを淡々とこなしていかないとね。
ひとつやり終えたら,自分にごほうびを与えましょう。
なるほど,脳に刺激を与えることで,苦行も乗り越えられるというわけですか。
腹の中にたまっている,嫌なこと,苦しいことを全部出し尽くしましょう。
なるほど,それらを解決しないことには,夢を叶える作業の邪魔になるから。
と,ここまで来たところで,各々の生育過程だとか,家族の事情だとか,恨みつらみも含めてつぶしてしまいましょう,ということになりました。
4〜5人くらいのメンバーの少人数制だったのですが,各自の過去や思いをさらけ出すと,やっぱりみんな泣きました。
やや怪しい怪しい宗教の様相を呈しつつも,それは免れ,どうにかみんな各個人の人生をバカにすることなく笑うこともなく,ほとんどの話を受け入れ励まし合いました。
心を開くって大変だもんね。
母子家庭で育ち,ほぼ育児放棄のような育てられ方をされ,他人との距離感がつかめず,大した結果も残せないまま,放っておいたら死ぬような大病にかかってしまい,奇跡的に先進治療を受けさせてもらえて,復活することができた。
親に対する不満やわだかまりは完全に解けたわけではないが,それらを消化しないことには,先へは進めないもんね。
そんな思いを膨らませ始めたとき,一つの疑問が生まれたのです。
講師に抱いた疑問
無言を貫く講師
ふと抱いた疑問,それは,講師。
この講師は,基本的には口を出さないというスタンスでいる,とシリーズ開始当初から言っていました。
それは,ディスカッションする中で自分で気づきを得てもらいたいから。
それはわかる。
誰かに答えをもらうというよりも,自分でもがいて悩み抜いてこそ,道を切り拓くことができる。
だけど,「心を開け」という講師の真意が見えてこないのです。
「営業の基本は自分をさらけ出すこと」なんてことを言っておきながら,受講生の生い立ちやらを聞いている割に,自分のことは話さない。
なんかモヤモヤするなー。
そんなことを疑念に抱きつつも全5回のうちの3回目が終わった頃,あまりにも悩みすぎて行き詰まってしまいました。
「もう限界です」とグループのメーリングリストに書いてみました。
「何が限界なんですかー?」と,銀行の名前に似た社名の某通信企業に勤める人がヘラヘラ無神経に書いてきたりもしましたが,無視。
数日後,やっとというか,講師が「なんか様子がおかしいなと思っていたけど……」とメールしてきました。
なんかどうしても心を開くということがわからないし,八方塞がりな感じがして,先へ進めない感覚があって,もうよくわからない。
たしか,そんなことを伝えたと思います。
講師からは,やっぱり答えを出すのは本人だからという意味なのか,そのまま放置というか,「わかりました」と返事が来ただけでした。
ある日突然開示された講師の過去
モヤモヤが拭えないまま,4回目になりました。
自分の中にある不安や恐怖を吐き出すという作業はもう少し続きましたが,とてもじゃないが3ヶ月ではスッキリできそうもない。
本当の,心からの願望を見出せそうにもない。
だけど,こうして浄化作業を繰り返して真っさらにしてかないと,叶うものも叶えられない。
うん,それはわかるんだ。
頭で理解はできている。
そう考えた瞬間,突如,講師が口を開きました。
講師自身の生い立ちについてでした。
特殊な環境で育ち,苦労して大学に入り,就職も失敗し,みたいな。
は?
ちょっと待って。
なんで今,ここで言う?
かなり壮絶な家庭環境の話を持っていながらも,なぜ我々受講生が話しているときには,高みの見物していたの?
静観?
心を開いてと言っていたのにあなたは,なぜここで後出しジャンケンするのさ?
自分でもよくわからないのですが,途端にこの講師に対する不信感が一気にあふれてきました。
そうなると,もうダメ。
ちっとも話が頭に入ってこない,この人の講義。
おいしい名店のランチがついているのが特典だったので,食い意地が張っている私は,最終回まで参加はしたものの,それ以降,この人との接触は一切断ってしまいました。
完全に信じられなくなってしまったのです。
ただ,この怒りというか,やるせなさというか,自分の感情が理解できずにいました。
なんでこの講師のやり方に頭にきているのか,自分でもよくわかっていませんでした。
プロの心理カウンセラーが説く講師の欠点
数年後,この話を知人のプロの心理カウンセラーにしたところ,やっと腑に落ちる解答を得られました。
まず「自分が悩んだから,同じ悩みを持つ人を救いたい」という理由で,人をカウンセリングしたりコンサルティングしてはいけないというのです。
客観的なようでいて,実は自分もその悩みに入り込んでしまっていて,真の解決はできないからだそうです。
そして,この講師が自分のエピソードを後出しジャンケンしたのは,もっとも悪い例だということ。
おそらく,そのこと自体に講師は現在でもコンプレックスを持っていて,話すことをためらったのだろうが,そうしたスタイルで講義を行う以上は,自分から先に発信すべきだったと。
言わないなら言わないで,もっとうまく講座を方向づけるべきで,それが受講生を傷つけることになるという仮説にまで至らないのなら,やはりそのような手法を用いてはいけない,とのことでした。
この講座の期間中のいつだったか,“いずれ起業なんてできたらいいなぁ,という薄い願望はある“と講師に話したことがありました。
すると,「あー,無理無理ー,無理だからー」と手をヒラヒラさせながら一笑に付されて終わりました。
そのときは,まあそうかもなと引き下がったのですが,このプロの心理カウンセラーの見解を聞いて以降,考えを改めました。
ああ,こんな人に引っかかった私もアホだったけど,この講師が言うことだから,きっと間違っている,私だっていつかは起業できて成功できる。
実にならないわけでもなかったが,またひとつ,人間を見抜く術を身につけたと思えば,そんなに大した金額でもない。
そう思うことにしました。
今でもその講師は,どこかで誰かをがっかりさせているのでしょうか。
実名晒したろか。
いや,これを読んだ人の記憶に名前がまず刻まれて,結局はその人の宣伝へと転換されるだけので,それはやめておきます。