生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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鹿児島に到着、さっそく治療1回目、わくわくと不安が入り混じるスタート

2008年6月4日の日記をほじくり返してみます。

 

ひと通り読んでいたら「昨日」と書いていたので、6月3日に出発した模様です。

細かい日付はもうあまり覚えていません。

なんせ、12年が経ったわけですから。

こうして、過去の日記を読み直してみて、「ああ、そういえば梅雨入りした頃だったな」とか思い出されてきます。

 

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たしか、鹿児島空港からエアポートバスで鹿児島市内に向かっていたら、右翼団体街宣車が高らかなラッパの音楽を大音量で流していましたっけ。

 

UMSオンコロジークリニック(当時の名称はUASオンコロジーセンター)には入院施設がないので、提携している病院に入院することにしました。

私が治療したときは、入院における部分は保険適用でしたが、現在ではそれも適用されず、完全に自費治療になっているようです。

 

提携先に過ぎないので、ここでの治療はないはずですが、病院に入院するわけですから、それなりに診察も必要です。

血圧を測ったり、栄養指導的なことをしてもらい、歩いてオンコロジークリニックへ移動しました。 

 

(※このブログでは、名称を当時のまま表記しています)

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小一時間ほどの問診などをへて、いよいよオンコロジーセンターへ。
植松先生は今日も三揃いのベストにネクタイ。
白衣は着ない主義なんだって。

 

「“化学療法が必要になるだろう”と言ったと思うけど、こうなりたくない!てのある?」


…なんて訊かれて、はて?と止まってしまった。意外すぎる質問。
例えば?


「髪が抜けちゃうとかさ」
いやーっ! それは一番イヤです!


「ははは。わかりました。じゃあ髪の毛が抜けないお薬にしましょう」
へ? 抗がん剤の副作用の典型じゃないの?


髪が抜けるとか、爪が変色するのは、複数の薬をいろいろと使っているからなんだって。

 

「ボクの連載、読んでみた?」


『明るいがん講座』と題して、某全国紙に1年ほど載っていたもの。


「あれにも書いたけど、いろんなケースを見てきて、髪が抜けることなく、効果を出せるやり方がわかっちゃったんだよね。
なぜか、まだまだ信用されていないんだけど…
ただし、少量を毎日やっていくよ」

 

毎日やるって言われることに、いささか恐怖心があると訴えてみた。

「こちらは、あなたが初めてじゃないんだから大丈夫だって!」

うん、そうだ。信じなきゃ。

前回お会いしたときよりも、かなり身近に感じられた。

この人にすべてまかせるって、覚悟を決めたんだった。

 

触診してもらう。
セカンドオピニオンのデータよりも、大きくなっていると見た先生、

「これは、やはりお薬を使いましょう」

やはり化学療法は避けられなかったか。

目立つ副作用としては、ムカつきが出る人がたまにいるくらいらしい。

 

これは現実だ、受け容れよう。


明石家さんまさんも、何か試練が訪れると、自分にこう言い聞かせるんだって。


病変だけに、うまく効きますように。

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セカンドオピニオンのとき、どっさりと持っていった資料をざっと見た先生、

「6週間」

と見積もりされました。

 

しかし、この触診により、さらに大きくなっていることがわかり、当初は6cmくらいだったのが、1ヶ月の間で10cmにまで大きくなっていました。

 

その結果、明治記念館のソファで言われた治療期間よりも長い、8週間になりました。

 

やはり、抗がん剤というワードは、恐ろしいですよね。

こうして治療が終わった12年後のいまでも、「抗がん剤」と聞けばたじろぎます。

 

ですが、先生が後に『抗がん剤治療のうそ』という本も出版されているように、熟考された使い方と量であれば、かなりの高い効果を期待できる。 

 

この本に書かれていることは、私のような治療パターンというよりも、ただ医者が「抗がん剤抗がん剤」と言ってくるのを鵜呑みにすることなく、こんな考え方でがん治療を選択してみてはどうですか?という内容がメインです。

 

後々にも触れるつもりですが、私は8週間の期間中、3種類の抗がん剤を毎日使いましたが、副作用はほぼゼロでした。

髪はまったく抜けませんでした。

ショックを受けることに備えて、髪を短く切っていったのですが、その心配は杞憂に終わりました。

 

とはいえ、「私がレアケースだったらどうしよう」という心配は、治療中のわりと長い間抱いていたのも事実です。

嫁入り前だというのに、乳がんの前にも別のがんを患っており、最初のがんの主治医から言われました。

 

「あなたのがんは、どちらも原発(転移ではなく、もともとのオリジナルで発症したということ)。

 こんな短期間で、あなたの年齢で2種類も発症したのは、まず見たことがないです」

 

だから、“レアケースであることがまたここでも起きたら”という、不安も湧いていたことは確かです。

 

抗がん剤と聞いて、「よく効くよね、治るんだよね」というよりも、髪がごっそり抜けるとか、猛烈な吐き気とか、手がしびれるなど、副作用のイメージのほうが先行しているのは、現代でも変わっていないでしょう。

 

このクリニックでは、放射線での治療もさることながら、抗がん剤の使い方にも、斬新な取り組みがなされています。

その手法も、後日書いてみますね。

 

こうして、鹿児島での治療生活がスタートしました。

この日の日記はもう少し続きます。