生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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乳がんを鹿児島で治療したことをブログに書く理由【私がエビデンス】

前回の記事はこちらから読めます↓

blueguitar.hatenablog.com

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がんにかかった多くの有名人が鹿児島のUMSオンコロジークリニックで治療を受けたことが報道され,私が治療を受けた頃に比べて,認知度も上がってきたように感じています。

そのような中で,名も知られない一個人の私が,10年以上も前に受けた治療のことをブログに書こうと思ったわけを書いてみましょう。

1. 乳がんを鹿児島のUMSオンコロジークリニックで治療したことをブログに書く理由

1-1 当時は情報が少なかった

私が乳がんと診断され,UMSオンコロジークリニックで治療することを決めた2008年,この治療法に関する情報はまだ多くはありませんでした。

「切りたくない」この一心だけで,死に物狂いで治療法を探す中,たまたま目にしたブログのおかげで,どのような治療法なのか,どんなメリット・デメリットがあるのかを知ることができました。

それは,医療従事者からの発信ではなく,その治療を受けた患者さんからのものでした。

たまたま筆者はライターさんで,文章を書くことを生業としているため,わかりやすく,そして伝わりやすい内容にまとめられていました。

これだと直感した私は,その方にダイレクトメールで連絡を取り,詳細を教えてもらいました。

その方は,まだ鹿児島でクリニックが開業される前に,某大学病院で植松先生のもと,乳がんの治療し,感銘を受けて記事にしていました。

その後もご自身の経過観察の際に私のことを植松先生に尋ねてくださるなど,親身になってくださいました。

それまでは,書籍として出版されているものや,テレビ,ラジオ,新聞などから得る情報が『まとも』なものだと信じていたのです。

ブログというものの力を実際に体感した初めての経験といっても過言ではありません。

 

1-2 逆に,現在は情報が多すぎなのでは?

2020年現在,あらゆる人がブログやSNSで発信することが容易になってきましたが,がんにかかった人すべてがブログを書くわけでもなく,ましてや,ただでさえ「怪しい」「標準治療じゃないから信用できない」と言われるこの治療法,これを選択した人が書いたものは少ない印象です。

 「正しい・正しくない」,そうした基準以前に,事実を正当に伝えているものがあまり見つけられないのです(私の検索能力にも問題があるのかもしれませんが)。

この治療を経て現在も生きているのであれば,あのとき,ブログというもののおかげで情報を得ることができた私が,今度は,少しでも社会に還元する番なのではないかと思ったのです。

 

2. 事実を伝えたい

2-1 実際の治療

治療の内容に関して,これからも書けるだけのことは書いていきたいと考えています。

今日まででたびたび書いてきたことは,切らない,副作用が少ない,治療後のダメージも少ない,ということです。

そして,すべての方に当てはまるわけではないということも含め,医療従事者の専門的な見解とは違う視点で見ることも,治療法の選択に必要なことではないのか?という思いを持っています。

標準治療ではない,だけど怪しいわけではない。

スピリチュアルなものでもないし,医療施設として運営されているクリニックで受けられる治療であるということを大前提に,これからも書いていきます。

しかしながら,私は一経験者,一患者に過ぎません。

選択のお手伝いに留まるのみです。

その上で,読んだ方が正しい選択をするため,考え抜いた文章を作る努力は惜しみません。

2-2 お金の話

さて,大事なことを忘れていました。

治療期間中にかかるお金のことです。

クリニックに支払う治療費の他に,入院のための費用や,滞在費もかかります。

当時の私は,派遣社員として都内の大手金融会社に勤務していました。

役者として活動するには正社員ではむずかしく,あえて派遣という手段を選んでいました。

ですので,決して収入は高くなく,30代で一人暮らしの独身女性としては,かなり厳しい生活を送っていました。

貯金できる余裕もなく,稼いだお金はすべて生活費に消えていました。

しかし,子宮頸がんで3年に渡って合計4回の入院・手術,乳がんでは東京から離れた鹿児島に2か月間滞在し,保険外の自由診療による治療を受けました。

 

乳がんに限っていうと,すべての治療を終えるまでの費用は概算で250万円ほどかかりました。

上述のように,貯金はありませんでした。

育った環境は,生活保護を受けたくても受けられない,ギリギリのやりくりを余儀なくされる母子家庭でした。

経済的に誰にも頼れない状況にも関わらず,私がこうした治療を受けることができたのは,生命保険を掛けていたからです。

 

といっても,「何かあったときのために」という考えで加入していたのではありません。

高卒で入った会社に来たセールスレディに言いくるめられ,何の疑いもなく,必要かどうかの判断能力もないまま,がん保険に入りました。

「23歳の若さでがんで亡くなったアイドルもいるのよ」

「いま入っておけば,掛け金はほんのわずかだから」

セールストークに関心も納得もしていないのに給与天引きの契約をさせられ,毎月いくらか引かれる税金とともに支払われていたので,自腹を切っている実感がありませんでした。

保険年齢19歳のときでした。

その数年後に会社を辞め,改めて自分が支払っていくことを自覚し,何度となく解約を思い立つものの,取扱店に連絡しても引き止められる,ということを繰り返していました。

がんに特化した保険にしか入っていなかったのに,まさか,それが本当に役に立つ日が来るとは思いもせず。

生命保険不要論も世の中にはありますが,こうして保険に生かされる人間がいるのもまた事実なのです。

 

詳しくは,また後日お伝えしましょう。