乳がんの治療を始めた頃の日記をほじくり出してアップしてみよう。〜その2〜
「半年も更新してないYO!」というメールが来てしまって、自分でもちょっと反省。
前回の更新は2017年だったのね〜。
どうやら「UMSオンコロジークリニック」という検索ワードでご覧になっている方が多そうです。
なので、これからこのブログは、そこに焦点を当てて書いてみることにします。
乳がんの発覚以前に、別のがんの再発とかあったので、そういった話題も含まれたりします。
そこらへんは、どう書いていたかを失念してしまったので、余裕のあるときにでも再編してみます。
さて、2008年4月14日の日記の一部です。
この数日前に、クリニックへセカンドオピニオンを依頼するメールを送っています。
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今日は乳腺の検査が入っている。
セカンドオピニオンを考えている医師から、やっとメールの返事。
『できる限り癌研で検査してもらってください。
手術が嫌なら、我々が治療するのは十分可能でしょう』
よっしゃ!
うん、なんとでもなる。
この先生の所に行くなら、鹿児島での治療。
家族にかかる負担も軽減されると思う。
ちょっとした旅行も味わってもらえるし。
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当時は、植松先生が直々に相談者へメールを送っていましたが、いまはどうなんでしょう?
乳がんが発覚したのは、別のがんの再発と同時だったのですが、まずは再発組から手術しようということになりました。
主治医曰く、正味10分くらいで終わる「小手術」でした。
その入院中に乳がんの検査もしてもらうことになりました。
そこらへんのやり取りを、2008年4月19日の日記から。
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午後、セカンドオピニオンの書類を貰うために診察室へ。
「どこに行くの?」
乳腺科の主治医から訊かれ、元K病院の医師の名を告げた。
「面識はないけど、知ってる。放射線の先生でしょ?
乳腺の専門じゃないから、ちゃんとした答えは得られないと思うよ」
S病院の名も出してみた。
「まぁ、恐らくどこに行っても同じような見解だと思うけどね」
口調が穏やかな分、まともなことを言っているように聞こえてしまう。
自分が一番正しい、と言っているわけではないのだろうが、今一つ腑に落ちない。
彼は彼で少し距離を置いておく部分が必要か。
もらえるだけの部分を見極める目と耳を鋭敏に保つべし。
来月に予定されていた検査を前倒ししてもらいたくて、交渉してみた。
検査部門を説得してくれて、この診察直後にやってもらえることになった。
このへんは、柔軟に対応してもらえるのは助かる。
「言ってみるもんだねぇ」と笑う主治医。
喋りやすさというか、人あたりはいいのだが…
脇の下のリンパ節に針を刺す。
1回目失敗。
2回目に移ろうとして、「大丈夫?」と訊かれたので、痛いけどがんばると言った。
「んー、がんばらなくてもいいんだけど、無理?」と再び訊かれる。
無理だと言ってもやることを、わたしは知っている。
えもいわれぬ屈辱感を抱くのはなぜだろう。
検査が終わって晩メシ喰らって、同室のNさんに話してみた。
「主治医と空気が噛み合わないの?
それはとことん話し合った方がいいよ。
同じ放射線仲間があなたと同じ病気だから、聞いてあげるよ。
セカンドオピニオンも「期待しませんが…」なんて言っちゃダメ!
どうしてもこうしたい!って言って捕まえなきゃ。
ナプキン足りなくなっちゃったの?
わたしはたくさん持ってきてるからあげるわ。
入院長いからね~、かかかか!」
こんなにかまってもらっているの、人生上いつぶりだろう。
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いろんな人に支えられ、助けられていたんですね……
ちょっと泣けてきた。
次は、あまり間を空けないように更新しますね。