治療法もさることながら先生の人柄に惚れていました
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治療当時に書いていたブログの下書きである日記が,まだ手元に残っています。
この中からピックアップして,UMSオンコロジークリニックで治療していた日常を思い返す『UMSオンコロジークリニックでの入院生活をほじくり出そうシリーズ』です。
今回は2008年7月8日の日記です。
当時の名称はUASオンコロジーセンターといいました。
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いつも照射は15:00から。
なのに,連絡によると“30分遅く来て”とのこと。
言われたとおり15:30に出向き,治療室の前室で待っていたら,点滴担当の看護師さんが呼び戻しに来た。
昨日までで治療が一段落しており,今日からどうやっていくか,植松医師が話したいという。
皮膚の状態を見た先生,「こうして見ると,意外と大したことなくなってるね」 だけど、焼けた部分はさらに黒くなり,そして,ほろほろぼろぼろと皮が剥けまくってしまった。
痒みは大分おさまってきたけれど… 嫁入り前なのに,きちゃない。
くすん。
「だーいじょーぶ。 半年や一年たったら“嫁入り前”に戻るから!」
ぅ,ぅ,うん…
先生の口からそのフレーズ聴くのってビミョーな心理。
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鹿児島で治療を始めてから丸1か月が経ったくらいです。
過去のこの記事の1枚目の写真の頃です。
blueguitar.hatenablog.comおかげさまで“嫁入り前”の状態に戻りましたし,翌年には嫁にも行きました。
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同じ病気のMさんも,最近になって痒くなってきたらしい。
焼け具合いや痒みは,わたしと全然違って皆無だと話していた彼女。
場所が違うから,照射する角度なんかも違ってくんのかな? とかなんとかMさんと話していたんだけど。
「Mさんも痒いのが出てきて,ほんっと個人差あるよねぇ」 と感心する植松医師。
実はMさんもわたしも,治療の範囲や線量はあまり変わらないそう。
著書の前書きにも『がんはほんとにいろいろです』 と著しているくらいだから,熱のこもった口ぶり。
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このときの先生のご著書とは,『明るいがん治療』のことです。
これ以降に出版された本でも,がんは本当に個人差が大きいことを何度も言われています。
『がん』とひとくくりにできないのです。
別の著書,たとえば『世界初からだに優しい高精度がん治療』でも,このように述べられています。
一人の患者さんの身体の中の,一つのがんの塊の中でさえ,がん細胞はこれほどに複雑なのですから,ましてや他人のがんなど,たとえ同じ病名がついていたとしても,まったく違う性質を持った,別の病気といえるかもしれません。
「同じ病名がついていれば誰の病気もみな同じ」という前提で出来ているガイドラインなどに縛られてがんの治療していくことは,本当にむなしいことだと思います。
(『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』植松稔 pp.51-52 方丈社)
この日の日記は,まだ続いています。
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先生,あのね,ここらへん,たま~に『ずきゅーんっ…!』って痛くなるときがあるの。
鋭利な刃物で一突きされたようなのが,一日に一回くらいの割合で。
「へぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。
本人にしかわかんないもんだからねぇ。
細胞が破れたりとかしてるんだろねぇ。
そぉなんだぁ」
がんと一口に言っても、痛みも似たものはないようだ。
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先生の口ぶりはいつも,どこか他人事でもありました。
もちろん,ぶっきらぼうというわけでもなければ,そんなの知らん!という態度でもなく,知らないことには責任が持てないという姿勢です。
その口調がまた,なんともおもしろおかしく感じられてしまう,不思議な先生なのです。
看護師さんと生理痛の話になったときなど,「だってボク,なったことないからわかんないもん」と真顔で言われてしまいました。
そりゃそうだよね〜と,看護師さんと顔を見合わせて笑うしかありません。
ところで,私は,子宮頸がんではこの治療は選択しませんでした。
未婚だったので,妊孕性=妊娠できる機能は維持しておきたかったのです。
放射線照射は卵巣機能を停止させるので,妊孕性維持には向いていません。
電話で子宮頸がんの再々発を報告したときも「放射線でやればいいじゃん」と勧めてくださいましたが,子宮頸がんに関してはやむなく手術を選択しました。
結婚はしましたが,紆余曲折あり,最終的に妊活はやめました。
その間もアドバイスをもらったりしていました。
UMSオンコロジークリニックでの治療がすべてだ!という気はありません。
そのあたり,『植松教』と卑しい揶揄をする人からみれば,私はその宗教には入信していないことになりますが,どうなんでしょう。
とはいえ,鹿児島での2か月,ほとんどストレスなく治療を終えることができましたが,この植松先生のお人柄によって乗り切ることができたと言っても過言ではありません。
治療法もさることながら,医師として最大限の努力と奉仕を惜しまないプロフェッショナルな意識と,憎めないかわいらしいキャラクター。
尊敬する人は誰かと尋ねられたら,私は植松先生のお名前を挙げます。
その点を鑑みれば,やはり私は植松教の信者なのかもしれません。
というか,そういう価値観なんてどうでもいい。
わかる人だけわかればいいし,本物を知らない人は遠吠えしていればいいのです。
私はずっと,先生の味方でいたいと思っています。
さて,植松先生,治療が終わったらデートしてくれる約束,まだ果たしてませんよ。
樹木希林さんとか南果歩さんみたいな有名人じゃないけど,一緒に飲んだりしてくれるかな。
ごちそうしてくれるって言ったじゃない。
もう忘れちゃってるだろうな。
私ももうかなりおばちゃんになっちゃったけど,まだ間に合うかな。
また楽しくおしゃべりしたいよ,先生と。
主治医と患者としてでなく,人間対人間として。