生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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顔も憶えてない父と二十年以上ぶりに再会してクルマを買ってもらった話3

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もう少し,はてなのお題に乗っかった続きです。

 

大宴会の夜,大叔母が敷いてくれた布団で寝ました。

幸せな夜でした。

 

父は私の枕元でひざまずいて,手を握って「ごめんな… ごめんな…」と泣いています。

いや,寝られないから。

まるで私が死んだかのように,ずっと手を握ったまま泣き続けていました。

 

たしか,2泊くらいしたと記憶しています。

いろいろと話をしました。

父は長年の仕事が軌道に乗り,そのまま会社を設立して羽振りがよくなっていました。

再婚し,腹違いの妹が一人いて,ちょうど結婚したばかりでもうすぐ孫が生まれると言っていました。

形見分けに来た伯父と従兄弟のおじさんから,妹がいることは聞かされていましたが。

そうですか,私,伯母さんなんですか。

 

今の奥さんには「娘に会ってくる!」と言って出てきたと言います。

理解がある奥さんのような口ぶりではありました。

しかし,よくよく聞いてみれば,その奥さん,どうやら母と離婚する前からつきあっていたらしい…

なんだか,それって嫌だなぁ。

 

そう言えば,母が言っていました。

「クルマに自分のものじゃない女物の帽子があった」とか。

昔も今も,浮気に気づくときの構図って同じなんですね。 

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その滞在期間中に,大勢の親類の中から,クルマのディーラーの知り合いを紹介してもらい,2日目の午後にはセールスの人が現れました。

パンフレットを見ながら,いろいろとオプションを決め,あれよあれよと納車の日を連絡してくれるところまで進んでしまいました。

 

こうしたいけど… これもつけたいけど…と考えていると,「全部つけてしまえ」と父が全部指定してしまいました。

まあ,いいけど。

払ってくれるのは父だし。

 

買い物にも行きました。

服を買ってやると言われて,地元のデパートへ行きました。

 

今でいうファストファッションくらいしか買ったことがなかった私は,ちょっとビビりました。

中年の図体のでかいおじさんと,20代の小娘の二人連れ,怪しくないだろうか…

誤解されないか危惧するあまり,売り場の店員さんについ「私たち,親子なんですけど,似てますか?」と尋ねてしまいました。

「似てますよー」と言われてもなお信用できない。

不思議な感覚でした。

 

その頃の私の収入では買えないようなものを,バンバン買ってくれます。

「毎月お金を送ってやるから,口座番号教えろ」とまで言ってくれました。

 

そうしたことをしてもらえばもらうほど,嬉しいんだけど,なんだか切ないというか,なんというか,妙な気持ちになりながら試着をしていました。

数か月後の納車の日が決まったら,また連絡してもらうという約束をして,その数日間は終わりました。

 

その頃,世の中には携帯電話が普及し始めていました。

牛乳パックみたいだった大きさから,軽く手に持てるサイズになり,キャリア間での通話が可能になった頃です。

(昔は同じキャリア同士でしか通話できなかったのですよ,DocomoDocomoとだけ,というふうに)

 

私もようやく手に入れていたので,もちろん,父と連絡先を交換しました。

その日から,毎日毎日電話がかかってきます。

 

父は,人生が順調すぎてウキウキワクワクなので,毎回ごきげんな口調です。

会社を興して事業は順調,娘は結婚して孫ができ,生き別れた娘とも再会して「お父さん」と呼んでくれる。

「今年はいろんなことがありすぎて,激動だなぁ」とホクホクしています。

四国では,父の仕事の関連でちょっとした事件があり,その恩恵で収益が上がっていたこともあり,左うちわです。

「順風満帆すぎて,幸せすぎて,ボクちゃん怖い…」な状況。

 

やがて,納車の日がやって来ました。

その車種には5ナンバーと3ナンバーのグレードがあるのですが,税金のことや燃費のことも考えると,5ナンバーでよかったのに,父が勝手に3ナンバーにしていました。

 

なんてことを。

乗るのは私なのに。

「一番いいのにしとけ」と言っていたのが,こんな形で。

「維持費くらい払ってやる」と父は言いました。

 

調子に乗ってる…

これはマズイ。

 

本当に,約束してくれたとおり,毎月送金してくれていました。

だけど,それだと私の人生,父に支配されてしまう。

ふと,そんな気持ちが湧きました。

 

父からすれば,扶養していなかった期間が長くて,それを埋めるかのような思いなのかもしれないけれど。

私は当時,すでに20代も半ば。

クルマを買えるお金はなかったにせよ,薄給でも,田舎の実家暮らしでも,自分の力でなんとか生きているのに。

 

とは言え,そのときは嬉しかったし,助かっていたし,「お父さんってば,もう」というくらいの気持ちで収まっていました。

 

ディーラーで新車を受け取り,近くの大きな神社へ向かってお祓いをしてもらいました。

腹違いの妹がもうすぐ出産だというので,安産祈願のお守りを買って渡しておきました。

それが妹の手に渡ったかどうかはわかりません。

 

それから数か月は,ほぼ毎日のように父から電話がかかってきていました。

クルマの乗り心地はどうだ。

お金は足りているか。

今度はいつ会おうか。

 

しかし,お互い,自分の身近に起こったことくらいしか話せないものです。

ちょうど孫が生まれたようで,かわいくて仕方がない様子でした。

話はすべて孫のことばかり。

最初は,おじいちゃんの孫自慢につきあっていました。

私の話など遮って,お前が赤ちゃんだったときはこうだったが,孫は…とか。

 

父は私を手放した後悔から,新しい奥さんとの間に生まれた娘は本当にかわいがったと言います。

高校を卒業しても,自分の手元に置いておくために,自分の仕事を手伝わせたそうです。

写真も見せてもらいましたが,私には似ていませんでした。

 

私に注がれるべき愛情はすべて妹が独占したことになるんですね。

これを嫉妬せずにいられるわけがないのです。

日に日に積もっていく感情は,妹とその子に対する嫉妬以外の何物でもありませんでした。

 

仕方のないことと言われればそれまでなのですが,同じ父親から生まれているのに,この格差を知ってしまったのです。

おまけに「お母さんを大事にしろよ」と言う。

どの口が言ってるの。

 

そこから20年近く経った今なら,こうして冷静に自分のことを分析できるのですが,当時は自分の気持ちすら整理できませんでした。

 

そうこうするうちに,どれくらいの月日が流れたのでしょうか。

父の仕事が少し傾き始めました。

収益が上がっていたのは,ある事件による恩恵を受けていただけだった,いわば特需でした。

ですから,その件が収束すれば通常運営に戻るわけです。

 

毎月送ってくれていたお金も,送れなくなると言い始めました。

それは仕方のないことです。

ですが,父の口ぶりは,だんだん荒れて落ち込んでいっていました。

愚痴ばかりこぼします。

だけども,私にはよくわからないことばかりでした。

 

やがて,いつしか父との通話もなくなりました。

何のきっかけかは忘れてしまいましたが,たしか,送金が完全にできなくなるところまで業績が落ちたと言っていました。

 

金の切れ目が縁の切れ目であるかのような。

私がカネ目当てで近づいたかのような。

そんなタイミングでした。

でも,一つだけ,私が言ったセリフを憶えています。

 

「そっちの娘と孫だけかわいがってればいいじゃん」

 

その数か月の会話の中で,私自身のことを気遣うことをほとんど言わなかった父。

たしかに再会した当初は泣いて謝っていました。

だけど,やがては,孫がかわいいという話しかしなくなり,一緒に住む娘の心配はしても,遠くに手放した娘のことはさらりと受け流す。

 

20年以上の月日は,実の親子でも,そばでかわいがられた娘と,生き別れた娘とで歴然と差がついている。

それを見せつけられ,それに耐えられなかった私。

 

300万円のクルマと,何着かの服,そして,いくらかのお金では,何十年と離れた親子の溝は埋まらないのです。

 

求めすぎた私が未熟だったのでしょう。

ですが,今となっては,父親にまた会いたいとも思わないし,またしても顔を忘れてしまいました。

街ですれ違っても気づかない自信があります。

 

この記事を書くにあたって,久しぶりに父の会社の名前を思い出しました。

そう言えば,今はGoogle Mapで付近の画像が見られるのでした。

住所は知りませんでしたが,検索すると,県名と社名だけですぐヒットしました。

本当にいい時代になったものです。

 

初めて見る景色でしたが,社名が書かれたバンが停まっていたので,どうにか営業を続けているのでしょう。

父にもしものことがあったなら,私にも何らかの手段で連絡があるはずです。

法律の手続き上,私にも相続の権利はあり,連絡しなければならないことになっているからです。

現時点までで,それがないということは,少なくとも存命だということです。

 

はてなが父の日をお題に出すまで,自分に父親がいたことを長年すっかり忘れていました。

まあ,これからもたぶん,思い出すことはないでしょう。

 

ネットの記事などで,先妻と後妻にそれぞれ子がいる人の話をよく目にしますが,そのたびに私は,同じ親でも子への愛情に差がついていることを想像してしまいます。

事情はあれど,できる限り,自分の子には分け隔てなく接するべきだと,私は思います。

 

いつか,ある日突然「あなたの子です」と現れた人に,高額なものをたかられないためにも。

 

今週のお題「お父さん」