生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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顔も憶えてない父と二十年以上ぶりに再会してクルマを買ってもらった話2

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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引き続き,はてなのお題に乗っかります。

 

物心つく前に両親が離婚して以来,一切父親と会ったことのない私は,もちろん顔も憶えていないし,何かしてもらったこともありませんでした。

20代初め,伯父とその従兄弟が祖母の形見分けに突然現れ,伯父の連絡先をもらいました。

それから数年後,壊れたクルマを買い換える必要に迫られた私は,「養育費など,まったく援助してこなかった父なら買ってくれるかも」と思い立ち,伯父に連絡してみました。

 

その続きです。

 

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父は3人兄弟の真ん中で,母の話によれば,『だんご3兄弟』の歌詞のとおり「自分が一番次男」な人だったようです。

 

実際,伯父に連絡してみたところまではよかったのですが,「では,何月何日にこちらに来なさい」という段取りを組んでくれたはずなのに,いざ当日,父の出身地まで行ってみたら,何も父には伝わっていなかったのでした。

 

形見分けに同行した従兄弟のおじさん曰く,父に対して「あいつ(伯父)はまともに口を聞けない」というのです。

ええええ? 父には会えないの???

 

母には,父に会うことは言い出せず,「友だちと旅行」という嘘をついて出発したのに。

私の当時の住まいから父の出身地まで,はるか300kmほども離れた距離をはるばるやって来たのに。

それなのに,父に会えないなんて。

 

すると,事態を察した従兄弟のおじさんが,私の目の前で電話をかけ始めました。

「お前に会いに来た人がいるぞ」

電話の向こうの父に話しかける従兄弟のおじさんが,携帯電話を私に持たせてくれると,中年男性の声が聴こえてきました。

どうやら,その声の主こそ,私の父のようです。

 

正直,父親のことなんてどうでもよくて,一刻も早くクルマを買ってほしいという一念のみの私でしたが,さすがに一瞬,ホロリときてしまいそうになりました。

 

涙声で「すまんかった,すまんかった…」という中年男性。

でも。

だけど。

 

謝られてもなぁ。

母は私に一言も,あなたの悪口を言ったことがないのよ。

この話を聞いた人の中には「あなたのお父さんのこと,まだ好きなのね」とか言う人がいるけれど,そんなことあるわけがない。

今で言うDVに遭わされたり,浮気されたり,とてもとてもつらかったはずなのに。

 

それはきっと,『元夫』としてではなく,『この子の父親』だから。

そんな育て方をしてくれた人のほうにこそ,土下座して謝ってほしいわ。

 

アタマの片隅でそんなことを思っていたら。

「今から行く」

夕方16:00くらいだったと記憶していますが,仕事も放り出して四国から向かうと,その中年男性が言い出しました。

 

そして,その日のうちに,本当に,四国からその人は現れました。

従兄弟のおじさんが運転し,伯父と私とで駅に向かいました。

駐車場で待っていると,伯父よりも従兄弟のおじさんよりも大柄の中年男性が現れました。

しかしながら,伯父が声をかけたから認識できたようなものの,今ひとつ,この中年男性が自分の父親だということに,ピンときません。

 

うーん。

本当にこれが私の父親なのだろうか。

私が生まれたばかりの頃,「向こう三軒両隣,みーんな,”あの家の子だ!”とわかるくらい,お父さんにそっくり」と言われていたらしいのですが。

 

まあ,家の中に『父親』なるものがいたことのない人生だったので,もしかしたら何かのドッキリか,壮大なコントかもしれない。

でも,芸能人でもない素人にそんなの仕掛けられるわけがないし。

伯父と称する男性と,従兄弟と称する男性が親しげに話しているのだから,たぶんそうなのかもしれない。

 

そんなことを思ったりしてしまい,開口一番,父に向かって発したことばは,

「クルマ買って」

でした。

 

「おう,買ってやる」

もちろん,即答でした。

そこで悩まれていたら,私はこんこんと母の苦労を訴える覚悟でいました。

 

またまたー,照れ隠ししちゃってー。

そう思われるなら,そのまま勘違いしといてもらってもいいです。

が,実際に突然,目の前に「この人があなたのお父さんです」と差し出される経験をしたことのある人にしかわからないと思います。

 

昔のテレビ番組で,蒸発した家族を探して再会させる番組がありました。

カーテンがバッと開いた瞬間「ごめんなさい〜!」と泣き崩れるシーンが映し出されたものです。

あんなのじゃないです。

たぶん,自分には父親という存在の実感がないまま生きてきたから,積もる感情など,ほぼゼロだったからなのかなと思っています。

湧き上がるものもなく,むしろ,ぽかーん,きょとーん,という感じ。

 

その上で,開口一番の次を二番というのなら,その開口二番も,20年以上経った今でも憶えています。

名前の由来です。

死ぬまでに,これだけははっきり知っておきたかった。

 

私の名前は,よくある女性の名前ではありますが,漢字の使い方がやや独特で,とても間違われやすいのです。

母に尋ねても,「読みはふたりで決めてたけど,出産して帰ってきたら,この字でもう名前がついてた(届けが出されていた)」と言い,由来が不明のままでした。

 

父は,すぐにその由来を聞かせてくれました。

そうか,そういうことだったのか。

今でいうキラキラネーム気味の字のつかい方ではありますが,すごく考えてくれたようです。

なぜわざわざ,こんな字にしたのか。

やっと腑に落ちたというか,長年の疑問が氷解した瞬間,ようやくこの中年男性が自分の父親だという実感が少しだけ湧きました。

 

その夜は,一族総出の大宴会となりました。

祖母にとっては初孫だったので,一族みんなで私をかわいがっていたとか。

自転車の荷台に私を乗せてパチンコに行っていたという,父の別の従兄弟のおじさんの話とか。

大叔母さんがアルバムを引っ張り出して,私も持っていない写真を見せてくれたりとか。

 

急な召集にもかかわらず,総勢20名くらいが来てくれて,みんなが父と私の再会を泣いて喜んでくれました。

「ああ,私は,こっちの血筋だったんだな」

 

母方の一族は,いつも誰かが誰かをバカにしては,影で悪口を言う,暗くネチネチした雰囲気でした。

おかげで親戚づきあいというものには,いい思い出が一切ありません。

特別な空気だったせいもあってか,それを全力で払拭できた気持ちになりました。

 

もう少し続きます

 

今週のお題「お父さん」