筑紫哲也さんのシンプルな生き方【からだに優しい高精度がん治療】
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引き続き,植松先生の著書『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年の軌跡』についてです。
私と同時期に,樹木希林さんが治療なさっていたことを前回に書きました。
そして,この本には,また同時期にいらした筑紫哲也さんのことも,奥様,ご子息,そしてお嬢様と,植松先生との対談として,30ページにわたって掲載されています。
今回は,私がUMSオンコロジークリニックで見た筑紫さんご一家のお姿から感じたこともまじえ,もう少しこの本について続けます。
芸能人オーラを消していた樹木さんとは違い,筑紫さんのお姿ははっきりと憶えています。
ロマンスグレーという表現が本当にぴったりな,あのトレードマークともいえる髪型は短くカットされていました。
『NEWS23』などでお見受けする眼光鋭い面差しが想像できないくらい柔和な表情をされ,ご家族に付き添われて,ゆっくりとクリニックを歩いていらっしゃいました。
前回同様,私がミーハーであることは否定しません。
ですが,直接声をかけるようなことはできません。
ご家族との時間を大事に過ごしている様子がありありと伝わってくることに,怖気づいていました。
一介の通りすがりの患者にすぎない私ごときが,「わー!筑紫さーん!」なんて言える雰囲気ではありません。
あるとき,待合スペースで患者さんの誰かが「筑紫さんだ」みたいなことをつぶやいたら,にっこりと微笑み返していらっしゃいました。
かなり体力が落ちていらっしゃったようで,力のない感じではありましたが。
長男の拓也さんがこんなことを話しています。
アンソニー・ホプキンスという年配の俳優さんがいて,彼は人が嫌いでインタビューもだいたい途中で帰ってしまうような人だったんですけど,父と対談したときには,「あんたとだったらもう一度やってもいいよ」と,すごく親しくしてくれたそうなんです。
父はどこかでそういう,人の心を解きほぐす,包容力のようなものをもっていたんだと思います。どんな世界の人にも,全く気負ったところがなく,地位や年齢も関係ない「人間同士」のつながりみたいなものですぐに打ち解けてしまうようなところがありました。
(『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』植松稔 pp.270-271 方丈社)
そのときは,テレビに出る人特有の愛想笑いだろう,くらいにしか考えていなかったのですが,思えば,ご家族がそばにいて体調もすぐれないにもかかわらず笑顔を向けるというのは,こうしたお人柄ゆえだったからかもしれません。
奥様の房子さんは,鹿児島で家族で過ごした4ヵ月がとても幸せな時間だったと語っています。
告知されてから,ある程度の時間があるでしょう? それは,私たち家族にとっても,心の準備をする時間を与えてもらえるんです。本人はたぶん,亡くなるとは思っていなかったと思うんですけど,周りの人間はやはり,顔色を見ていれば,もう間もなくかもとわかるんです。だから,病院のそばにアパートを借りて,家族で住もうと決めたんです。あの時間は,みんなが気持ちをひとつにして,パパのことを一番に考えて,ずっとそばにいられたわね。本当にこの人は幸せな人だなと思えるぐらい。あの4ヵ月は本当に楽しい時間でした。
(『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』植松稔 pp.281-282 方丈社)
私がお見かけしたときは,吹上荘というホテルにお泊まりだったそうですが,その後アパートに移られたんですね。
食事も,病人なのにあれもこれも食べたいと言ってね。本当によく食べる人だったから,病室ですき焼きをしたり,いろんなことをしました。
(『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』植松稔 pp.282 方丈社)
私が点滴を受けている処置室の壁越しに,「ホテルに豚しゃぶを頼んでおこう」など、家族の他愛もない会話がよく聴こえてきていました。
盗み聞きしたわけではありません,漏れ聞こえてきていたのです,ごめんなさい。
また,拓也さんは,お父様に最後にやりたいことを尋ねてとても怒られたエピソードを紹介しています。
「もう本当にダメなんだ……」と思ったら,父に最後に何か仕事をしてほしいなとか,やりたいことをやれたらいいなと息子として思ったんです。それで,父にそう伝えたら,「急にやりたいことをやれとか言うな」とすごく怒られました。「急に言われてもそんなのあるわけないだろ!」と。
きっとそれは,死を突きつけられたみたいで,父も嫌だったんだろうなと,今となっては思います。
(『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』植松稔 pp.278 方丈社)
そのうえで,自分の好きなことを続ける生き方を最後まで貫いたことが語られています。
僕としては,「まだやったことのないことに残された時間を使おうよ」という感じだったんですけど,「そんなものはない」と言って,逆に「俺はもう死ぬのか?」と勘繰られてしまいました。
父は人生を,もっとコンティニュアス(継続的)というか,終わりが来るからその前に何かやりたいことをやるなんて違う,という感覚で生きているところがありました。
(『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』植松稔 pp.279 方丈社)
ああ,そうか。
何ももうすぐ死ぬからと言って,やり残したことをやるのではなく,今を生きればいいんだ。
そうかもしれない。
息を呑む表現が,息子の目を通して見る父親の姿として,この後に続いています。
さらに,妻から見た夫としての姿,娘が見た父親の姿,家族だからこその視点も加わります。
がんになると,本当に他者の本質が浮き彫りになって見えてきます。
一番身近な家族も,もちろんその中に含まれます。
筑紫さんだからこそ,こんなご家族に恵まれ,そして支えられたのでしょう。
私は,自分のことをこういうふうに語ってくれる人がいるだろうか。
ありがたくも,そして運良く,同じ治療に出会うことができて,生きさせてもらっているのだから,筑紫さんや樹木さんのような,記憶に残らなくても,せめて一瞬でも,誰かの役に立てるようなことをしておきたい。
そう考えた時もありましたが,それすらも,もしかしたら贅沢すぎるのかなと思い始めています。
ただただ,今を生きていれば,それでいいのかなと。
「今を生きる」とは,もちろん,のんべんだらりと過ごすのではありません。
そうではなく,目の前にある事実に,誠実に丁寧に取り組むだけでいいのかなと。
自分の考えはまだよくまとまっていないけれど,もしかしたら,この考え方に今後の人生もあるのかなと感じます。
私にも家族がいるけれど,その家族と穏やかに過ごせれば,最後は何もいらないのかもしれません。
筑紫さんというご家族を知ることができてよかった。
同じ病気を,同じ場所で,同じ時期に治療したという,勝手に縁を感じている人間が教えられた,家族がいることの幸せ。
これは,がんの治療に関することだけでなく,患者や家族が,がんという事実にどう向き合うかも考えさせてくれる本でした。
人生は,死ぬまでただシンプルに,今を生きていくこと。
私もただ今を生きていこうと思います。
父は,すごく豊かで輝かしくて楽しい人生を歩んでいたように見えますが,決して贅沢をしたり,欲を持ったりすることはなく,「与えられた場所で,ありのままの自分で生きていられさえすればいいんだよ」ということの大切さを,ずっと忘れずに生きていたんだと思います。
(『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』植松稔 pp.281 方丈社)