生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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「お涙ちょうだい」になってないか心配【幡野広志さんの記事に思う】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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幡野広志さんという写真家の方がいらっしゃいます。

多発性骨髄腫で余命宣告を受けています。

note.comブログでがんのことを公表し,大きな反響を呼んだといいます。

そのブログは閉鎖されてしまっているようで,どういう内容だったのかわからないのですが,なぜか人生相談まで寄せられるようになったそうです。

 

その幡野さんが,新R25のインタビューに答えていました。

r25.jp

未曾有の国難に直面し、社会は殺伐とした空気になっています。

しかし、この苦しい状況下だからこそ、誰かへの感謝を感じることもあるのでは?

R25は、みんなが前を向くエネルギーになる声を届けるコンテンツをつくり、「#ありがとうプロジェクト」として発信していきます。

#ありがとうプロジェクト|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

 …といいつつ,これはもしや『感動ポルノ』なのでは? と心配になった新R25は,幡野さんにインタビューをします。

「感動ポルノとして消費されること」を実際に経験されたという幡野さんなら、本音で答えてくれるんじゃないかと。

「ありがとう、は安く不満を抑えようとする言葉かも」幡野広志に聞く“感謝と感動ポルノの違い”|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

 

感動ポルノ,いわゆる『お涙ちょうだい』ですね。

たしかに,重い病気や,つらい状況を読ませるブログや番組,ありますよね…

いかにも同情や涙を誘おうとする意図が透けて見えるドキュメンタリー番組とか。

 

私も,がんだったときの経験を中心に,こうしてブログを書いていますが,できる限りお涙ちょうだい,感動ポルノのようなものにならないように心がけているのですが,こればかりは,読んだ人の感性に委ねるしかないのかなと思っています。

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私ががんになったことを言ったとき,いろんな反応がありました。

そのことは,過去にも何度か書きました。 

blueguitar.hatenablog.com 

blueguitar.hatenablog.com

私のがんをイベントにする人,自分のことのように泣いているけれども実はその泣いている自分に酔っている人,などなど。

だけど,そこには『善意』があるから,何も言えなくなっちゃうんです。

 

しかしながら,幡野さんは「大迷惑だ」と知らせたいと言うのです。

別のインタビュー記事でそう語っています。

振り返ると、がんそのものよりも、周囲の人たちから余計な苦しみをたくさん食らった。その根底にあるのは善意や『良かれと思って』という思いです。はっきり言って大迷惑なんだということをみんなに知らせたいと思いました

がんになったカメラマンが息子に残したいもの|BuzzFeedNews

私がこのブログを書いているのは,「がん患者は,こうした思いを持っているのだ」ということを伝えたい意味もありました。

 

本当に迷惑なんです。

「がんばって」とか「奇跡は起きます」とか。

がんばってるし。

できれば奇跡は起きてほしいけど,「起きます」って言い切っちゃってるけど,あなたそれ知ってるの?っていう。

 

寄り添ってもらえるだけで,十分にありがたい。

そして,私の場合は,「大迷惑だ」と声に出したりできませんでしたが,そうした人たちとは離れていきました。

 

がんと言われた当初は,誰かに助けてもらいたくて,誰にでもすがっていたりもしたけれど。

だけど,いくら重い病気であろうと,それをウザがる人がいることも感じ取れたし,必要以上に健康食品やら宗教やらを押しつけてくる人がいることも知りました。

 

「普通にしておいてほしいし,できることなら放っておいてほしい,ただそれだけ」

最終的には,そういう境地に至りました。

もしも幡野さんのような人が近くにいたら,普通に,フツーにしていればいいのです。

 

幡野さんは余命宣告を受けたことで,自分がやりたいこと,大事なことを真剣に考えたといいます。 

余命を知ることは、自分の人生でやりたいこと、自分にとって何がいちばん大切なのかを真剣に考えるきっかけと時間が与えられること。死の匂いを感じることで、絶望を感じることで、生きることを真剣に考えます。 

幡野広志「人の悩みに答える男」の偽らざる素顔 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

私は,まだまだ甘いほうですね。

余命宣告を受けたわけでもないし,2つのがんに同時にかかったとはいえ,喉元すぎれば何とやら,ここまで深刻になっただろうかということさえ,今となっては忘れてしまっています。

 

ですが,お涙ちょうだい,感動ポルノを求める人が一定数いるのもまた事実。

この前、ガン保険の会社のインタビューを受けたんですよ。

「家族との感動秘話」みたいな内容を依頼されたんですけど、嫌だったから「お金と保険の話をさせてもらえるなら出ます」と答えて。

で、取材当日もそのままお金と保険の話をしたんですけど、結局記事は「家族への感謝の話」に仕上がってたの(笑)。

「ありがとう、は安く不満を抑えようとする言葉かも」幡野広志に聞く“感謝と感動ポルノの違い”|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

おそらく,この記事でしょうか → 病に負けない心を。今、健康な人に伝えたい大切なこと|#老後を変える|メットライフ生命

これはこれで,十分読み応えのある内容ではあります。

ただでさえ,自分の思ったことや感じたことは,他者に共有することがむずかしいのに,こうして意図しない方向へと事態が運ばれるのは,感動ポルノを求めている人がいるからに他なりません。

 

かつて私も,ある出版社の編集者と話したとき,自分の治療の経験を本にできるかどうか尋ねたことがありました。

返ってきた言葉には,まさしくこのワードが埋め込まれていました。

「本にするなら,お涙ちょうだいじゃないと売れない」

 

それって,本を買ってくれる人に対して失礼なのではないでしょうか。

あからさまに「泣いてほしい」という演出をしても,見る人読む人は,そんなにバカじゃありません。

そういう意図は,すぐにバレます。

 

もしかしたら,幡野さんに出版やインタビューを依頼している人も,多発性骨髄腫という背景に,すでに「感動ポルノ」「お涙ちょうだい」を期待しているのかもしれない。

 

だけど,生きている本人からすれば,たしかに病気ではあるけれども,そうした事実はただの環境や背景であって,人格そのものではない。

『病気』と『人となり』を同一視しないでほしい。

そして,幡野さんは病気が背景にあるとはいえ,その生き方から言葉を編んでいるのです。

 

さて,幡野さんが現在,cakesで人生相談の連載をされているのを知ったので,読んでみました。

ぼくはガン患者だ、残念ながら治る見込みはないけど、あと数年であろう人生を楽しんでいます。

余生を謳歌しているので“奇跡はおきるから。ありのままでいいから。明けない夜はないから”みたいなJ-POP系の励ましはしなくても大丈夫です。J-POPを奏でて他人の心配や悲しんでいる場合でも、不幸だと思い込んで喜んでいる場合でもありません。これを読んでいるあなたもいつか死にます、自分の心配をしましょう。

ガン患者のぼくが、あなたからの悩みを募集するにあたって|幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。|幡野広志|cakes(ケイクス)

連載第1回がこんな書き出しで始まっています。

やっぱり,なんかおもしろいぞ,この人。

 

私は「文は人なり」と思っています。

文章が書いた人のことを表している(現している)と思っています。

この冒頭から,「たぶんこの人と話すとおもしろいだろうな」という気持ちにさせてくれる文だと感じました。

 

実際,読み進めてみると,その予感は当たりました。

「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう?」という連載タイトルだけど、さいきん少しだけぼくに質問をしてくる理由がわかってきた。相談を受けるとここぞとばかりに、相談者のことを否定して自分の考えを押し付ける人がいる。場合によってはそのまま説教や批判されることや、昔はさぁ~とまったく役に立たない過去の話をしだす人がいる。

ちなみにここでいう昔って、縄文時代のころの話でも江戸時代のころの話でもなく、その人の若いころの話です。彼らはただ自分の話をしたいだけなんです。ぼく自身も過去に先輩などに相談して、これをやられて嫌になった記憶がある。そういう人には二度と人生相談をしていない。こういう人が少なくないのだ。だから周囲に相談できる人が見つからず、ガン患者に人生相談をしてしまう。

ガン患者のぼくが、あなたからの悩みを募集するにあたって|幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。|幡野広志|cakes(ケイクス)

※太字加工は当ブログによるものです

人に相談して「この人になんか言わなきゃよかった…」と,かえって悩みを深めてしまったことって,誰しもあると思うんです。

それがスッとわかりやすく心に入ってくる,そんな文章を書く人なんだなという印象です。

 

cakesは有料なので,読める連載記事の内容は制限されていますが,ぜひ無料部分だけでも読んでみてください。

結構,刺激的というか,本当に相談したら,癒やされるどころか心がボコボコに叩きのめされるかもしれません。

 

もちろんそれは,決してイジメとかイヤミとか,そんなことをしたいわけじゃない。

人間関係の本質を突いたことばかりです。

 

そして,この連載は書籍にもなっています。

 

決して冷たいことだけをバッサバッサと切り捨てているのではありません。

暖かくて,スッとした芯が貫かれていて。

それは,覚悟を決めた生き方をしているからなのでしょう。

 

私はそこまで,強固な覚悟を決めたことがないのかもしれません。

受け身でいてばかりで,好き勝手なことだけを書いているなと思います。

自分の経験が誰かの役に立てば,なんていう思いで書いたりしていますが,それこそが「お涙ちょうだい」なのかな。

 

まだまだ甘いな,私。

幡野さんよりもずっと歳上なのに。

私の意見を押しつけないように,だけど,ただの独りよがりにならないようにしないとな。

その決意の言葉さえも,なんだかちょっと甘いのだけど。

 

そして,迷惑でしょうけど,やっぱりちょっと奇跡が起きてほしいと願ってしまう自分がいます。

幡野さんがこれからもずっと何年も,幸せに生きられますように,と。