家族が病気になるということ【がん経験者とは言え立場が変わると…】
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植松先生の本のレビューを前回まで書いてきました。
そのなかで,樹木希林さんのお嬢様や,筑紫哲也さんのご家族の話を読んでいて,ふと考えました。
いくら自分ががんだったからとは言え,いざ家族ががんになったとしたら。
私は逆に,経験者としての威厳を振りかざしてしまうんじゃないだろうか,そんな不安があります。
私のときはこうだったから,こうしなよ,とか。
私が受けたのはこんなのだったから,こうすべき,とか。
そんなことを偉そうに見せつけてしまうのではないだろうか。
家族の病気に,どう向き合ったらいいんだろう。
幸い,母は元気で病気をしたことがなく,出産以外に入院したことがないのが自慢です。
夫も元気なほうで,骨折や目のケガで手術したこともあったけど,たまに,胃が痛いとか,お腹がゆるいとか,肩がこったなどと言う程度で,深刻な病気になったことはありません。
ですが,もしもこの先,家族が大きな病気を抱えたとしたら。
そのときに家族として何ができるのか,ここで少し考えてみます。
鹿児島のUMSオンコロジークリニック(当時の名称はUASオンコロジーセンター)で筑紫哲也さんに付き添うご家族を見たことは,前回の記事に書きました。
奥様もお嬢様もご子息も,本当にキラキラした都会の洗練された美男美女で,みなさんが筑紫さんを支えながら通ると,ぱあぁっと周囲が明るくなったように見えました。
ただでさえそれがうらやましいのに,加えて,家族の結束が痛いくらいに伝わってきて,うらやましさの果てに,逆に切なくなったことを今でも記憶しています。
大事な家族が死に直面していて,やりたいことの手助け,家族としてやってあげたいこと,すべて叶うなら。
家族というものに縁の薄い私にとってみれば,そうした家族の温かさのようなものを感じたことがなかったのです。
不思議でもあり,ちょっとした嫉妬心のような感情もあったり,でもやっぱりうらやましい,そんなドラマのようなシーンを近くで勝手に味わわせてもらっていました。
その頃の日記も,当時に書いていたブログの下書きとして残っています。
2008年7月28日の日付でした。
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センターには,とある有名人も治療に来ている。
はじめてその姿を見かけたとき,家族らしき人たち数名に付き添われて,点滴を連れながら,ゆっくり歩いて処置室に入った。
午前中に異変を催したらしく,医師が東京へ向かう日にも関わらず,フライトを遅らせてまで対応したらしい。
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がんの事実や鹿児島での滞在を公表しているかどうか確認できず,筑紫さんのお名前を伏せて書いています。
この頃の植松先生は,週の半ばは鹿児島,それ以外は東京で診察するという体制でした。
激しい痛みに襲われた筑紫さんのために,急遽,フライトを変更して放射線照射を行っていたのでした。
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壁一枚隔てた向こうにその人物もいて,安堵感を漂わせ,賑やかに雑談している。
こんな,弱っているときに家族がそばにいるって,幸せな人だなぁ。
わたしは,最初の支払いのための治療費こそ,少しだけ母に借りたけれど,その他の行動はすべて一人でやっているよ。
移動も交渉も買い物も。
まぁ,わたしはそんなに重症なほうじゃないから,いっか。
…と考えたら,少し泣けてきた。
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筑紫さんの病状は,鹿児島で治療を開始する頃には,治すことが難しい状態だったそうです。
ご本人は,がんより痛みを治してほしいほうが優先だったそうで,その痛みに対する治療が中心となったことが,本にも綴られています。
治療自体が苦痛を伴わないということが,最後の時間を穏やかに過ごせた大きな要素だったといいます。
私は,子宮頸がんが見つかったとき,たった一人の肉親である母には言えませんでした。
簡単な手術で済んだし,心配かけたくないというよりも,その心配に付随する小言を聞かされるのを想像するのが耐えられなかったのです。
その3年後に乳がんを告知されました。
同時に子宮頸がんの再発も見つかりました。
それまでの3年の間に,以前の記事に書いた,派遣先でセクハラを受けてクビになったり,お付き合いしていた人からのモラハラを受けたりなど,散々な目に遭い続けてきたので,すっかり誰も信じられなくなっていました。
その挙げ句の同時多発がん。
最後の砦であるかのように,ようやく母に伝えました。
そこから少しずつ家族という実感を得られるようになってきました。
それくらい,家族とのつながりが希薄だった私としては,筑紫さんご一家の光景が,むしろ不思議なドラマを視ているようだったのです。
もしも今,家族が病気だとしたら, 私は筑紫さんご一家のように支えることができるのだろうか。
いくら自分ががんだったからとは言え,いざ家族ががんになったとしたら。
私は逆に,経験者としての威厳を振りかざしてしまうんじゃないだろうか,そんな不安があります。
実際,夫が目の手術をしたとき,私は夫の心配をするつもりで言ったことが,夫を怒らせたことがありました。
「仕事を休めない,同僚に迷惑をかける,人手が足りないのに」
そんなことを案じている夫に言いました。
それよりも,まず自分のことを心配をして,と。
ですが,夫からすれば,手術への恐怖と同時に,職場に迷惑をかけている申し訳なさも並立しているんですね。
思えば自分のときも,がんの事実よりも,仕事やお金の心配が優先される瞬間がありました。
それにも関わらず,私も言われたくなかったことを,夫には言ってしまっていました。
心配の押し売りになってしまっていたのです。
かつて出会った,私のがんを自分のイベントにしてしまう人と,なんら変わりません。
相手の身になるという姿勢は,本当にむずかしいですね。
ましてや,家族であるならなおさら,心配が募ります。
家族とはいえ,自分とは別個の存在であり,その人の意思は尊重されるべきです。
もしも家族が大きな病気になったら,私は手伝えることだけを手伝いたい。
少しだけ気を利かせられる部分を見つけられたなら,それを相手のためになるかどうかを判断した上でやっていきたい。
その日は来てほしくないけれど,生きている以上,そういうことが起きる可能性はゼロではない。
自分のために生き続けてほしいけど,やっぱり最後はその人が選んだその人の生き方。
それを見極められる人間でありたいと思っています。