自己満足のための謝罪は不要です【誠意すら受け入れられないこともある】
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自己満足のための謝罪なら,いりません。
謝罪とは,謝って自分が楽になりたいだけだと私は思っています。
きちんと謝りたいという意思があるのなら,「自己満足だ」と思われることも覚悟しなければなりません。
謝っても許してもらえない可能性があることも,覚悟しなければなりません。
悪いことをしたのなら謝りたいという気持ちが湧いてくるのは,人間として自然なことでしょう。
ですが,「謝ったから許して当然でしょ」という打算があるのなら,それはやはり自己満足の域を出ません。
心が狭いと思われても構いません。
受け入れられない謝罪もあるのです。
第三者に届いたメール
ある日,お世話になっているお店のスタッフから,メールが届きました。
「Kさんという方をご存知ですか。その方からあなた宛に,問い合わせ用のアドレスにメールが届いたのですが」
その名前に聞き覚えはありました。
小学校の時の同級生です。
私の名前を検索サイトなどで検索でもしたのでしょう。
そのお店の公式サイトに「お客様の声」として書いたものが,本名フルネームで掲載されていたのを見つけたようです。
事務局の方が,概要を教えてくれました。
小学校の時にいじめたことを後悔している
子どもだったとはいえ,なんてひどいことを言ったのだろう
そのお詫びの気持ちを書いた
つきましては,このメールを転送してほしい……
ため息が出ました。
まったく関係のない第三者に送りつけるという行為。
『探偵!ナイトスクープ』のような,ほのぼのとした幕引きでも想像したのでしょうか。
でも,受け取る側としては笑えません。
そのことで嫌なことを思い出させられた上に,大切なお店にまで手数をかけさせるような迷惑をかけているのだから。
当のK氏,以前にもこうして手紙を送りつけてきたことがありました。
「未来へ向かって空へ!」という謎の手紙
それよりも10年くらい前のこと,同じクラスだった男性が自死したという話題が飛び込んできました。
するとK氏は,「彼を悼む集会を開きたい」という趣旨の手紙を,クラスメイト全員に送ったのです。
卒業時の名簿に載っている住所に送ったようなので,宛所不明で返ってきたものもあったことでしょう。
私は実家に住んでいたので,それを受け取りました。
同じクラスだった幼馴染数名に,同じような手紙が届いたか尋ねてみました。
すると,「来たけど,文体が気持ち悪かったからすぐ捨てた」と,皆一様に言います。
たしかに気持ち悪かった。
何かの宗教にでも傾倒していたのかもしれません。
文末には「未来へ向かって,空へ!」としたためられています。
母もそれを見て「うわっ,キモチワルっ!」と手を離したほどでした。
(念のために断っておくと,私が見せたのではなく,母が覗き込んだ瞬間に見えたのが,たまたま最後の一文だったのです)
K氏とは特に仲良くしていた記憶はなかったし,自死した男性に関しても,特に印象もなく,そもそも同窓会の類に興味はなかったので,放っておきました。
そして,謎の手紙が届いたのは私だけではなかったんだと,そのときは安堵しました。
それからも,2〜3回だったか,K氏から手紙が届いていました。
一応,開封はしていました。
自分は医者になりたかったがなれなかった
あなたは今,僕がいじめたことをどう思っているのでしょうか
私は中学高校と激しくいじめられていたので,小学校の頃の軽いおふざけ程度のいじめは,もう忘れていたはずでした。
なのに,「そういや,彼からはたまに何か嫌味なことを言われていたような…」と,うっすら思い出されることになったのです。
それはそれ,そのときは「そういうこともあったな〜」と受け流すに留まりました。
それからさらに数年が経過します。
私は実家を離れ,そんなことがあったことすら,すっかり忘れていました。
鮮やかに蘇るいじめられた出来事
そんなある日,冒頭に書いた,お世話になっているお店にメールが届いたのです。
「あなたに転送してほしいって書いてあるけど,どうする?」
いや,気持ち悪い。
いらない。
ちなみに,どんなことが書いてあったんですか。
お店の人に訊いてみました。
その概要をさらに聞かされ,彼の言わんとしていることが,鮮やかに蘇ってきました。
彼が自己満足のために謝ろうとしているその内容を知り,きれいさっぱり忘れていたことが,わざわざほじくり返されたのです。
彼が自己満足のために私に伝えたことによって,私は新たな怒りに打ち震えることになったのです。
ずっと返事や反応がないことを不安に思ったのか,いじめた内容をさらに具体的に書いてきていました。
学校を休んで行った旅行
私は,母とふたりで暮らしていました。
母の職場では,毎年,慰安旅行があります。
小学生の頃,その慰安旅行に毎回連れて行かれていました。
大人だけで楽しむために,小学生の子どもをひとり置いていくということもできません。
それに,苦しい経済状態であり,加えて,日曜や祝日に休みを取りにくい職場でもあったため,親子でどこかに出かけるということができなかったからです。
そこで,職場に母が頼み込んで子どもを一緒に連れて行くことで,普通に旅行をするよりも割安な料金で,旅行に行くことができたのです。
私自身は大人の中に混ざって団体行動をせねばならず,ちょっと苦痛ではありました。
とはいえ,いつもと違う街の風景を見られるのは楽しかったし,かわいがってくれる母の同僚もいたし,学校で勉強をしないで済むことも嬉しいことの一つではありました。
そして,そうした家庭の事情もあって,どの学年のときにも,その欠席は担任公認でした。
5年生だったでしょうか。
そのことが,クラスに知れ渡ってしまったのです。
私がしゃべったのか,誰かから漏れたのか,もはや定かではありません。
K氏と,その周辺の男子に取り囲まれました。
「学校休んで旅行に行くなんて,それはサボりじゃないか」
「サボっていいのか」
「勉強しないでいいからサボったんだろう」
そう言われて何も言えずに悔しくて泣きました。
そんな嫌な思い出が,K氏の自己満足のための謝罪要求によって,まざまざと蘇ってきたのです。
それを聞かされるまでは,本当にまったく忘れていました。
20年近くが経って,思い出さなくてもいいことを,思い出させられてしまいました。
そうだ,そんなこともあった…と。
もういいよ,気にしてないよ,とでも言ってもらいたいのでしょうか。
もしも,それによって,彼は開放されたとしても,私には嫌な思い出が新たに刻まれてしまったのです。
その謝罪によって,癒やされるのもあるかもしれません。
ですが,それにはあまりにも時間が経ちすぎています。
謝罪とは,相手から許してもらうためのものではありません。
誠意を表すためのものです。
もしかしたら,K氏はその誠意を見せたいのかもしれません。
子どもだったとは言え,深く傷ついた私を思い出して,後悔したり,自分を責めているのかもしれません。
しかし,私からすると,忘れていた古傷の痛みを新たに味わうことになったのです。
そうである以上,こちらとしては,新たな傷を作った相手を許したくはありません。
心が狭いと言われようと
なんと心の狭い人間なのでしょうか。
そう思われても構いません。
ですが,謝罪を受け入れる土壌ができていない人間である以上,相手の発する言葉は,やはり自己満足としか感じられないのです。
土壌が狭いから。
「きっとKさんにとって,あなたは初恋の人だったのよ」
メールを受け取ったお店のスタッフたちから言われたりもしました。
そっかー,私が初恋だったのね。
…などと思うわけありません。
許さなければいけないムードに持っていかれるのも嫌です。
「子どもの頃のことなんだから,仲直りすればいいじゃない」
「笑って話せるレベル」
「それくらいでヘソ曲げてるなんて」
そう思われたとしても,受け入れられないことだってあります。
自分も,かつて誰かを傷つけたことがあります。
人間誰しも,他人を傷つけたことない人なんて,あり得ないことでしょう。
ですが,誠意を持って謝っても受け入れてもらえないのなら,それはもう放置するに限ります。
もしも,誰かに謝りたいことがあるのなら,その謝罪が受け入れてもらえるか,どんな反応が返ってくるかわからない,どんなことを言われてもいいという覚悟がなければ,謝ったところで上滑りです。
本当に悪いと思うのなら,罪悪感を背負い続けるのもまた償いです。
謝罪することで,自責から楽になりたいのならば,それは逃避にすぎません。
誠意を持って謝っていないのなら,謝るべきかもしれませんが,上でも書いたように,どんな反応が返ってくるかも覚悟しなければなりません。
自己満足のための謝罪は迷惑です。