生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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このブログでコメント欄を設けない理由【嫌がらせは耐えられない】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

blueguitar.hatenablog.com --------

ネットの誹謗中傷や嫌がらせについて,私なりの意見を書いてみます。

ここでも何度か話題にしましたが,がんの闘病をしていたときにブログを書いていました。

 

あるとき、コメント欄に「てめーなんか死んじまえ」とか書いてくる輩が現れました。

執拗に「死 死 死…(何百個と続く)」と書かれたりして、心折れてそのブログは閉じてしまいました。 

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そんな人に対して「気にしちゃだめ」と言う人…

気になるっちゅーねん!!

簡単に「スルーしなよ」とか言わないでほしい。

 

そもそも,テラスハウスやバチェラーといったリアリティバラエティー番組は,リアルに見せかけたシナリオのようなものがあるとされています。

 

演出上の設定があった可能性があると,私は思います。

「あなたはどんどん悪態ついて」

「あなたはどんどん泣いて」

といった役割分担というか。

 

設定が決まっていれば,セリフはそのときの感情から発する成り行き。

感情の発信は,芝居の基本でもあります。

 

キャストたちは,演技力こそ求められてはいなかったのでしょうが,役割設定があったと仮定すると,役を与えられ,そこに感情が乗る,感情を乗せる,感情が乗せられる…という作業は,舞台であろうと,映画であろうと,役者が演技をする上での作業そのものです。

 

私は役者でもあるので,そうした視点でとらえました。

テラハは視たことないですが,たまたま視たAmazonの『バチェラー・ジャパン』を視て,たぶんそういう演出があるんだろうなと感じました。

 

 

笑点』でも昔,ある落語家さん同士が,演出上,仲の悪い振りをしてたら視聴者からバッシングがあって本当に二人の仲が微妙になってしまったと木久扇さんか誰かが思い出話をしていたことあります。

最近では山田くんが,みんなが無下にしてるのを本気で虐げてると思って状況証拠を積み上げるアホな雑誌社がいますね。

 

そのキャラを実際の人物に被せて批判攻撃しても,ドラマのお話で演じる人には関係ないはずなのです。

 

煽るのがおもしろくさせる手段だということを利用して,人が不幸になることまで想像していない。

というか,不幸になっても構わないとすら思っているのかもしれません。

「勝手に凹んだのはそっちだろ」と言わんばかりに。

 

誰かを潰したいとき,自分がおもてに出ないように第三者を巻き込んで,ついで感を出して自分の罪を軽くしようとしているのでしょうが,全然罪は軽くなっていませんから。

人を八つ裂きにしてる罪は2.5倍増ですから。 

 

アドバイスする側は簡単に「気にするな」と言うけれど,気にならないなら凹んだりしないって!

気になるんだって!

気にしたくなくても,自分の中に一度でも入ってきたネガティブ要素は簡単にスルーできないんだから!!

 

ああいった「消えろ」とか「ウザい」とか書いたり言ったりする人は,自分が同じことやられたら…なんて想像できません。

「まさか死ぬなんて思わなかった」というならまだマシなほうで「それくらいで死ぬなんて弱すぎw」「みんな言ってるし」と返されるのが関の山です。

下手すれば「死んでザマア」などと言うでしょう。

 

東京ラブストーリー』でカンチを奪ったサトミ役の有森也実さんが,ドラマが終わっても街で石を投げられたりしたと何かで話していました。

そうしたことをするのは,「作り話」と現実を区別できないアホな頭の持ち主なのでしょう。

3歳児の発達段階で止まっています。

自他の区別がつかなくて,パパが偉いから自分も偉いとか,ママが美人だから自分も美人とか,そんな思考でしかない人たち。

そうした人が,「リアリティ」を売りにしている番組を視たら,余計に区別できないことでしょう。

 

「テレビ番組はしょせん他人事である」という距離感をもてない人がいるということをリスクとして認識できなかった制作側も,罪が大きいと思います。

これはもはや法整備するしかないのではないでしょうか。

 

文は人なり」と私は思っています。

Twitterの140文字であろうと,100,000文字の論文であろうと,そこには人柄が出ます。

嘘であっても,美辞麗句であっても,おせじであっても,読む人の心にダイレクトに刺さります。

もちろん,それを読み解く力も必要になってくるでしょう。

堀江貴文さんや前澤友作さんのように,叩かれまくって慣れているであろう人であっても,その都度,大なり小なり傷ついているはずです。

 

「叩かれるのが嫌ならテレビなんて出るな」と言う人。

それは中傷していい理由にはなりません。

叩かれることを承知するのは,出る側の覚悟にすぎません。

見る側の「叩いていい理由」にはなりません,絶対に。

 

「いじめられる方も悪い」と言っている人と同じです。

それは,いじめられた自分にも原因があったんだなと,反省するときのフレーズです。

いじめた側や,第三者,傍観者が言うべき言葉ではありません。

 

「あいつムカつく」

「あの人,気に入らないんだよね」

そうした思いは誰にでもあることでしょう。

ない人もいるようですが,だからといって攻撃していいわけがありません。

 

私もいじめられた経験があるので,熱くなってしまいましたが,こうしたことを書いても,わからない人にはわかりません。

届かない人には届きません。

 

このブログでコメント欄を儲けない理由も,誹謗中傷に耐えられるメンタルの持ち主ではないからです。

応援のコメントを書いてくれる人が現れることもあるでしょうが,それよりも,私はそちらの危険の方を憂慮しているからです。

 

もしも,どこかで誰かがこのブログの記事を参考にしてくれているのなら,いつか何らかの形で私のところまで届くことでしょう。

私もできる限り,誰かの力になれるような記事を書きますので,もしも「コメント欄でお礼が言いたい!」というお気持ちが湧いたら,その気持ちを誰かの応援に回してください。

 

文は人なりです。