【がんになりたくない】ストレスに強くなる方法を試してわかったこと
前回の記事はこちらから読めます↓
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ストレスに強くなる方法いろいろ
現代はストレス社会といわれていますが,ストレスには『良いストレス』と『悪いストレス』があることは前回の記事に書きました↓。
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『良いストレス』は,新しいことへのチャレンジに対する意欲や,何かを成し遂げるための決意,挑戦へのストレスのことでした。
楽しみにしていることへの期待感やワクワクする感覚もこれに該当するでしょうか。
一方の『悪いストレス』は,嫌なことが起きてやる気がなくなったり,つらいことに対して自分を責めるようなことです。
できることなら『良いストレス』だけを抱きしめて生きていければ,楽しいバラ色の人生でしょう。
しかし,そうもいきません。
ましてや,過去の私のような,後ろ向きでグズグズ思い悩むだけで一生を終えるのは,なんともみじめすぎます。
一朝一夕で「今これやったら強くなった!もう最強!」となるものではありませんが,「ストレスに強くなる」と決めたからには,自分に合う方法でやり続けたいと思いませんか。
楽しいだけではなく,せめて平穏な,静かな凪のような毎日を過ごしたい。
そのために試し続け,これなら無理なく続けられるのでは?という結論に至った方法をご紹介します。
瞑想・呼吸法
前回の記事でも,「簡単な呼吸法を利用する」と,少しだけ触れました。
瞑想と呼吸はワンセットだと私は思っているので,ここでは同列に書いてみました。
瞑想というと,座禅を組むとか,「豊かな自然を思い描いて〜」とか,そういうイメージがあるかもしれません。
ですが,そんなにむずかしいものではなく,静かに目を閉じるだけでも十分効果があります。
音楽は特に必要ありません。
瞑想用の音楽もありますが,それはお好みで構わないでしょう。
座ってやるときは,背筋を軽く立てます。
猫背じゃダメ〜とか,血流が〜とか言われる向きもあるかもしれませんが,そうしたむずかしいことよりも,背筋を伸ばすことでシャキッとした気分になれる,ただそれだけです。
寝てやってもいいと思います。
そのまま眠っても構わない場所でやれればいいですね。
呼吸にも気を配ったほうがいいでしょう。
嫌なことがあると,呼吸が浅くなります。
それを,苦しくない程度でゆっくりと整えていけばいいです。
心臓や血流の速さは自力で変えるのはむずかしいですが,呼吸はある程度コントロールすることができます。
そう,自分で自分をコントロールすることができるのです。
こうしたことを,こんな小さなことから気づいてみてください。
ポイントは,自分の内面に集中することです。
よく,「無になりましょう」「無になるにはどうしたらいいだろう」など,『無』になれることを求める人もいますが,『無』になるのは不可能です。
『無』になるのは,死んだときです。
寝ている間だって考えごとは消えていませんから,生きている間に『無』には決してなれないと私は思っています。
いろいろと嫌なことが浮かんでくるかもしれませんが,そのときはちょっと遠くから『その人』を眺めるイメージに切り替えるのです。
できれば,その人の頭をなでなでしてあげたり,泣いているところにハンカチを渡してあげるといいです。
これらは,『内観療法』や『自律訓練法』など,いろいろと本で読んで試してみても長続きせず,ようやく着地した結果のやり方です。
本格的に取り組む場合は専門家の指導を必要としますので,ご興味ある方は探してみてください。
書き出す
思いついたそばから,とにかく書く書く書く,文字にしてアウトプットします。
できれば手書きで。
言葉にしたら,それは自分自身ではなくなります。
他者です。
自分の外にあるので,他者です。
どんなに汚い言葉でもいいです。
誰にも見せません。
ただし,心がけることが一つあります。
ちゃんとした文章にすることです。
最初は書きなぐりでもいいですし,単語が途切れ途切れに散らばっても仕方ありません。
ですが,箇条書きになってもいいので,ちゃんと読める文章として書きます。
× あいつ ムカつく クビになればいいのに
○ ■■さんに対して,解雇処分になればいいのにと思うほどムカついた。
余裕があれば,書きなぐりを見ながら,文章として組み立て直すのがいいです。
ですが,そんなにうまくはいかないものです。
だって,ストレスを与えてくれた相手のことを,また頭の中で蒸し返すのですから。
ですが,これは気持ちを整理するための儀式のようなものでもあります。
感情に振り回されず,ちょっと距離を置くための作業です。
ちゃんとした文章にするという作業が加わることで,また客観視ができます。
もちろん,漢字や文法的に間違ってもいいのです。
『文章にする』という作業が大事なのです。
そして,書いたら捨てます。
できればシュレッダーにかけます。
小さくなった切り屑がパラパラと落ちるのを眺めながら「ざまーみろ」と言ってもいいです。
ただし,誰にも聞こえないように,心の中だけにしておいてください。
可能であれば,その切り屑がゴミとして送り出されるのを目視確認できると,なおいいですね。
読書する
得られた情報をきちんと正しく認知する能力を維持・向上させるためにも,読書は必要だと思っています。
知識や情報を蓄えるということについても,前回の記事で書きました。
今はネットで何でも調べられる時代ですが,やはり玉石混交で,正しい情報もあれば,ガセネタもあります。
私が乳がんで治療した,鹿児島のUMSオンコロジークリニックも,いまだに胡散臭いと思われているらしく,このブログも「鹿児島 オンコロジークリニック 胡散臭い」というワードで検索されています。
胡散臭いと思われるなら,それはそれで構いませんが,そう信じている人は,情報を正しく認知し,吟味することができないのかなというのが,個人的な感想です。
ちなみに,私はスピリチュアルなものは嫌いですし,何かの宗教団体に属しているわけでもありません。
政治についても,右でも左でもないと思っていますが,私の中での右や左の定義が曖昧なままなので,属しようがありません。
論理的に物事を考えようと努力はしますが,感情が先走ってばかりなので,落ち着いて分解しながら考察しようと心に決めてからでないと,考えることができません。
「考える」といえば,自分の過去のことをグズグズと思い悩みやすいので,脳内は「考える」ことよりも「悩む」ことの方にスペースを使ってばかりのような気がします。
ですから,悩むための脳のスペースを,考えるスペースに変換すべく,また,得られた情報をきちんと正しく認知する能力を維持・向上させるためにも,読書は必要だと思っています。
そんなに多読でもありませんが,通信制大学に入学してからは,そちらの勉強のための本が主になっています。
小説は最近はあまり読んでいませんが,人の心の機微だとか,泥臭さとか,風景の描写などが,言葉に変換されているので,人間観察には実はもってこいだと思います。
それがフィクションであっても,人間である著者の目を通して観察された結果が,物語として紡ぎ出されているのですから,「文学なんて不要だ」と笑ってばかりもいられません。
ビジネス書はずっと流行し続けていますが,親や先生に手取り足取り教えてもらうことのなかった私としては,考え方や物事の見方は,やはりビジネス書から教えてもらっています。
これまた玉石混交で,かなり当たり外れが激しいです。
ですので,あまり深入りせずに,使えるものだけを使うという姿勢で読んでいます。
ビジネス書はそもそもコンプレックス商法のジャンルの一つだと思っています。
それこそ「ストレスを強くするには」といった関連の本もたくさんありますが,まさにこれこそがコンプレックスなのです。
だから,いろいろと読むうちに,どの本も同じようなことしか書かれていないということがわかってきます。
同じようなことしか書かれていなければ,実践すべきものをその中からチョイスするか,あきらめるか,のいずれかしかないでしょう。
ところが,その「同じようなこと」でも,少しずつ違っている部分,これこそが個性であって,それは他者には真似のできないことであったりするわけです。
そうなると,必要になってくるのは,創意工夫です。
ストレスに強くなりたい,ストレス耐性を上げたいと読み漁った本から,自分に合いそうなものをやってみて,合わなかったらやめる。
合いそうならもう少し続けてみる。
続けることができないのは,自分なりに創意工夫をすることを諦めるからです。
小説が「人間観察にもってこい」と上で言いました。
ビジネス書が「どれも同じような内容」とも言いました。
これって,自分独自の見方,見え方ですよね。
それ以上の情報を集めるのも大事ですが,その時点で集まった情報を違った角度から見る。
そして,自分独自の見方で工夫する。
そうやって世の中を観察し,自分と対話する。
「ストレスに弱いな」「ストレス耐性低いな」と自分のことを客観視できた時点で,もう第一歩が踏み出せていると思うのです。
正解かどうかはわからないけど,最適解を追い求めるために読書をする。
それに,活字に集中していると,ストレスに弱いことも忘れていられる瞬間があります。
内容は二の次です。
まずは活字を目に飛び込ませるのです。
「その本の内容がくだらなければ,それにストレスが溜まりそう」
そのストレスは,最初の大きなストレスとどう違いますか?
「くっだらねー」と捨てたくなったのであれば,それをゴミ箱に放れば,ちょっとの間はストレスから開放されます。
BOOK OFFで安い本を手当たり次第に買って読むもよし。
図書館で適当に借りるもよし。
フォーカスすべき視点をずらすという行動を取り,それを自分の教養として栄養を摂るという立ち位置で,読書をストレス耐性向上に利用しています。
おわりに
ストレス耐性を上げるためにやったことは,大きく分けて3つありました。
- 瞑想する・呼吸法を取り入れる
- そのとき浮かんだ言葉を文章として書き出す
- 読書する
この3つを紹介する中で出てきたことに,ある共通点があります。
それは,客観視するということです。
強いストレスの沼にはまり込んでしまうと,自分を客観視しにくくなります。
自分がどういう状態なのか,自分が抜け出した後の行き先を決めるためにも,客観視する視点はとても重要です。
「やれることからやりましょう」とよく言いますが,そこに効率や相性を求めてはいけません。
まずは,取り入れてみる。
まったく合わなければ,そこでやめる。
合わないけど,工夫次第でどうにかなりそうと思ったら続ける。
「やってみよう」とさえ思えないのであれば,やらなくてOK。
だけど,「いつか必ず抜け出す」と決めたのなら,ストレス耐性の低さに自分を責める日はだんだんと減っていきます。
ストレスに強くなる方法とは,自分を遠くから眺める作業でもあるのです。
即効性はありませんと前回の記事でも書きましたが,「ストレス耐性を上げる」と決めたのなら,すでにスタートできています。
病気の回避だけでなく,毎日の暮らしを少しでも平穏に過ごすことを決めたら,少しずつでも取り入れてみてください。