がんが見つかるかるまでの経緯〜乳がん編
前回の記事はこちらから読めます↓
--------
子宮頸がんの入院・手術から約3年後,乳がんが見つかりました。
2回の手術
子宮頸がんは2回手術を受けました。
円錐切除という,わりとよく知られている術式です。
最近では,日帰りで受けたという人もちらほらいるようですが,私は1週間ほど入院しました。
結果によっては,子宮を摘出すると言われていたので,次の診察まで,本当に生きた心地がしなかったのを憶えています。
そのあたりも,病院とちょっと一悶着あったのですが,とりあえずおいておきます。
というか,その後の再発や乳がんのことが目まぐるしすぎて,一番最初の頃のこと以外,あまり憶えていないことに驚いています。
病理検査の結果,全摘出はまぬがれ,最初の手術から約2か月後。
レーザー照射という術式で,前回の手術の切り口を焼き切るという手法が取られました。
そこから3年間,3か月ごとに経過観察の検診を受けに,お台場に通いました。
診察自体はいつも憂鬱だったけれど,仕事から開放されるし,お台場でちょっと遊べるし,ちょっと楽しみにもしていたものです。
モラハラから抜け出せなかった
前回も書きましたが,その当時おつきあいしていた人が,入院・手術に付き添ってくれました。
2回目も同様にお願いしました。
しかし,彼は,急に仕事を奪われたことで,精神的に不安定になっていました。
後々,各方面から彼の評判を聞いてみたところ,典型的なモラハラ気質であることが判明したのですが,そんなことを気にしていられないくらい,私は,自分のことで精一杯だったのです。
思えば,そうした私の存在も,不安定材料の一つだったのでしょう。
何か少しでも気に入らないことを私が言うと,「なんでそんな言い方しかできないかなぁ〜〜?」とネチネチ長々と説教してきます。
何気なく褒め言葉を言っただけなのに,突然「オレなんて,全然すごくないのに!」と怒り狂ったりもされました。
同じ会社なのに,社内ですれ違っても目も合わせず無視されたりしました。
当時はLINEなんてありませんから,電話やメールでしたが,それも無視されます。
これじゃダメだ。
類は友を呼ぶ。
このままだと,自分も同類項になっちゃう。
そう思いながらも,自分に自信のない私は,ただそれを受け取るばかりで悩み続ける毎日。
話し合いもできないまま,何か月も経っていきます。
その間には,以前の記事に書いたセクハラを受け,彼と同じ会社をクビになりました。
そして,無視されたまま1年が過ぎました。
その時点で,すでに別れていたに等しいのですが,決着がつなかいままの状態は,気持ちの中でどこか折り合いがついていません。
どうせ連絡しても無視されるだろうけど,自分の気持ちにやっと整理がついたので,お別れのメールを送りました。
すると,返事が来たではありませんか。
「ごめん,やり直したい」と。
冷静に考えれば,モラハラ気質ですから,自分から振られるということはプライドが許さないんですね。
浅はかな私は,それに気づかず受け入れてしまい,復縁して何度か会ってしまったのです。
何度めかで,「やっぱり別れよう」と言ったのは彼のほうからでした。
ただ,モラハラを働いていた点に関しては自分でも自覚していたらしく,落ち着いて話していました。
彼は,自分では「うつ病だった」と言っていましたが,たぶん,それはちょっと違うでしょう。
仕事以外はいたって元気でしたから。
病院にもかかって抗うつ剤を飲んでいましたが,いわゆる「新型うつ」の類だったようです。
そんなことも気づかず,さっさと別れていればよかったのに。
というか,見ないふり,気づかないふりをしていたようにも思います。
とにかく,私が無知で自信がなかったのです。
そこまでの約1年は,胃のあたりで,何かぐるぐると黒いものが渦を巻いているような感覚でした。
割り切れないというか,すっきりしないというか。
話し合いはしたものの,モヤモヤは残ったまま終わり,さらに1年が経ちました。
お風呂での違和感
ここまで自分で読み返して,本当にバカだったなぁと,情けなくなります。
すっかり人間不信になり,そして自分の不甲斐なさに深く落ち込み,ただただ職場と自宅を往復するのみの毎日でした。
役者としての修行も身が入りませんから,レッスンもただ参加しているのみ。
今思えば,私のほうこそ,うつ病に近い状態だったかもしれません。
そうこうしているうちに,だんだんと落ち着いてきていました。
「時が解決してくれる」とよく言いますが,無視されたままの状態とは違い,一区切りついたという事実のおかげでもあると思います。
中途半端が一番良くないんですね。
気持ちのうえでも,「ああ,あの頃に比べたら,全然違うな,モヤモヤが消えたな,穏やかな毎日だな」と感じられるようになっていた,ある日のことでした。
お風呂を沸かして入ろうと準備していました。
ドアを閉め,片膝をついてバスルームの床に座った瞬間。
あれ?
何これ???
立てた膝に当たった胸の感触が,なんかおかしい。
何か固まりがある。
触っても痛くないけど,明らかに何か入ってる。
バスタブに浸かってみても,全身を洗ってみても,もちろん消えるわけもなく。
カタカタ震えて,水面に波紋が小さく広がった光景が,今でも目に焼きついています。
すでにかなりの大きさだった
ちゃんと計測したわけではありませんが,手に触れた感覚としては,直径5cmくらいだったでしょうか。
その時点で,すでにかなり大きくなっていたことになります。
「それまで全然気づかなかったの?」と,よく言われるのですが,これは本当に気づかなかったんです。
なかなか信じてもらえないのですが,たまたまお風呂で膝を立てたのが左の膝だった。
その膝に,左の胸が当たったことでしこりに触れた。
感じたことのない感触と,その大きさに自分でもびっくりしたくらいでした。
着替えるときでも,その患部のあたりはいつも手に当たっていましたから,本来ならもっと早く気づけたと思うのです。
年齢的にも,30代半ばでしたから,乳がんのリスクは当時も謳われていて,セルフチェックの方法などもよく見かけていましたから,気をつけていました。
それでも見つけられなかったのに,ある日突然,ギョッとするような大きさで出現した乳がん。
素人なので,そのメカニズムはよくわかりません。
乳がんの初期だと,エコー(超音波画像診断)やマンモグラフィーなどの検査で発見される大きさは,約1cmくらいで,触ってなんとなく小さなしこりを感じられるくらいと言われています。
種のようなものはずっとあったけど,それが,ある瞬間にバッと爆発したんじゃないか。
そんな感じがするのです。
少しずつ大きくなっていったような感じではない,噴火のような,暴発のような。
しかし,子宮頸がんになった経験から,乳がんを始めとする,他のがんにも注意を向けるべきでした。
とはいえ,「もう他のがんになるなんて,ないだろう」と安心しきっていたのも,また事実です。
なんだかんだ言ってやっぱり早期発見は大事
そうした種のようなものが,もっと早くからあって,それが早く見つかっていたら,あれほどまで大きくなっていなかったでしょうし,もっと早く治療を終えることができていたでしょう。
早期発見は大事なんだなと,改めて思わされたのです。
左の膝に,左の胸のしこりを感じてから約2週間後だったか,子宮頸がんの定期の診察が控えていました。
そのときに乳がんのことも話してみようと思い,それまでの間にできることは何かと考え,検索しまくってUMSオンコロジークリニック(当時の名称はUASオンコロジーセンター)の存在を知りました。
もし,お風呂に入るとき膝に胸が当たっていなかったら,さらに発見が遅れていたのです。
またしても,偶然によって,自分の人生が揺さぶられました。
子宮頸がんの定期検診で,胸のしこりのことを主治医に話したら,乳腺外来の予約を取ってくれました。
本来なら,紹介状が必要なところを,婦人科外来からの紹介状という形式にしてくれて,数日後に診察してもらうことができました。
がん研有明病院(当時の名称は癌研有明病院)は,すぐに診察が受けられないという評判のようです。
その分,とてもラッキーだったと思います。
早期発見のおかげで,12年が経った今でも,こうしてグダグダとブログなどを書くことができています。
がんのリスクだけでなく,病気のリスクは早めに知って,早めに手を打つことが大切だと思います。
かつての私のように,身内にがんの人がいなくても,ストレスフルな生活を送っていると,何かの病気のリスクは高まります。
ぜひ,がんや生活習慣病のリスクをチェックしてみてください。
それで何もなければ,そこからまた元気な生活を送ればいいじゃないですか。
自分の人生を自分でコントロールすると決めた
何度でも言います。
他人に自分の人生を振り回されてはいけません。
ときには,誰かを頼ってもいいです。
だけど,自分の意志で,自分の人生を選択し,その責任を自分で取る。
ある意味,私は,がんによってそれに気づかせてもらえたのです。
ストレスをコントロールするための記事も,過去にいくつか書きました。
自分が決めた道を進むと決めたのなら,病気になんてかかっている場合ではないのです。
病気のリスクを知り,自己管理を他人に任せず,怠らない。
万が一,病気が見つかったのなら,それにしっかり向き合う。
そうした小さな積み重ねを淡々と続けることで,華々しくなくても,穏やかな暮らしができるのです。