がん=死とは思わなかった【治ったことだけ考えよう】
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blueguitar.hatenablog.com--------がんは治る病気だといわれるようになりました。
治るというか,死なない病気といったほうが適切かもしれません。
もちろん,亡くなる方もいらっしゃるのは事実ですが,きちんと段階を踏んで,症状や状態に合う治療法を選択して臨めば,社会復帰できる可能性は高まります。
一昔前は,がんを告知されると絶望しかなく,著名人ががんを公表するということもなく,ただただ怖い病気というイメージ,それだけでした。
ですが,治療法も進歩し,研究も進み,私のように進行した状態のがんから回復した人は,現在では,それはもう星の数ほどいらっしゃいます。
闘病記のブログもたくさんあります。
治療中の様子だけでなく,患者さんがどんな思いでがんと向き合っているのか,とても元気づけられる記事がネット上にあふれています。
直径10cmにまで育ってしまった乳がんと,4回手術した子宮頸がんから開放されて12年経ちましたが,告知から治療終了までの間に,「私,死んじゃうの?」なんてことはちっとも思っていませんでした。
その頃,どんな思考をしていたのでしょうか。
運の良し悪しで語りたくないので,できるだけ順序立てて振り返ってみましょう。
がん=死とは思わなかった
身近にがんにかかった人がいなかったこと,そして,まだ若かったこともありますが,がんという病気に対するイメージが,あまり現実的ではなかった私。
「子宮がん検診を受けなければピルは処方しない」(過去記事)と言われても,「は? 何それ,どゆこと? そんなのいいから早く処方してよ」くらいにしか思っていませんでした。
2005年のことでした。
当時も「がんは治る病気です」といわれていましたが,それでもまだ,現在よりは「がんは死ぬ病気」という考え方が根強かったように思います。
がん保険に限らず,生命保険のCMがバンバン流れ,「もしもの備えに」と不安を煽ります。
もちろん,もしもの備えは必要ですし,言われるがまま,がん保険には入っていましたが(過去記事),自分の身に降りかかるというイメージはまったく湧きませんでした。
かえってそれがよかったのだと思います。
身近すぎず,遠すぎず。
「お腹の調子が悪いけど,腸のがんなんじゃないだろうか」
「胃がむかむかしてるけど,胃がんかも…」
「声が出づらいけど,咽頭がんだったりして」
…などなど,ちょっとした症状を検索して,すぐにがんに結びつけて恐れているという人がいるということを前にも書きました。
イメージしすぎるのは,自分で自分の不安を煽ることになります。
自らの脳内に,生命保険のCMを放映しているようなものです。
テレビCMは,それだけ洗脳されやすいという証拠でもあります。
私は「死」よりも,「全摘なんて絶対に嫌だ!!」としか考えていませんでした。
子宮も乳房も,たまたま全摘せずに済んだだけですが,それは治療法を選びに選び抜いたから,というだけのことです。
選択の過程で,「どうしても全摘しか残っていない」となったら,そうしていたことでしょう。
その前提に「生きている」という根拠のない自信がありました。
若かったからかもしれません。
自分の死をイメージできなかったのです。
そうしようと思っていたわけではありません。
もしかして,自分の身近なところで,壮絶な闘病の末に亡くなった人がいたら,「自分もああなっていくのか…」と思っていたかもしれません。
人によっては,「ああはなりたくないから,自分はがんばって治療する」と思いを新たにするかもしれません。
ですが,私の近くでがんで亡くなった人がいたならば,その記憶に苛まれていたことでしょう。
運が良かっただけかもしれませんが,自分はまだまだ生きるという強い自信しかなかったのです。
では,その自信はどこから来たのでしょう。
独身,彼氏なしの30代。
まだ若かったので,やり残したことがある!みたいなことを思い込んでいたのかもしれません。
他に信じるものもなく,自分すらも信じられなかった当時,がんという事実を信じるしかなかったからかもしれません。
何かを信じてみたかったのかもしれません。
温存できないなら死んでもいい
「やり残したことがたくさんあるだろうに」と思われながら亡くなっていく方もいらっしゃいます。
この差の要因は,タイミングしかないのかなと,素人なりに思います。
早期発見だった。
治療法が症例にマッチした。
私が今も生きていられるのは,このタイミングが合ったからだとしか言いようがありません。
がん検診を受けるつもりもないのに,受けさせられた。
そうしたら,子宮頸がんが見つかった。
乳がんなんて思いもしなかったのに,胸にしこりを見つけたとき,過去にがんを経験していたから,迷うことなくすぐに受診できた。
「自分はがんじゃないか」と心配しすぎて怯える生活は,かえって本当にがんを引き起こすのではないかと,私は思います。
バイクの免許を取得するのに,教習所に通っていたとき,教官から言われました。
「目標物と違うものを見ていると,そっちの方にバイクが進んでいくよ」
これと同じことだと思うのです。
見た方向にカラダは進みます。
クルマ(自動車)と違い,バイクは自分の全身を使って操作します。
もちろん,クルマも全身を使うのでしょうが,ハンドルさばきですぐに動きを修正できます。
ですが,バイクは腕だけでは修正できず,そうしている間に見ている方向へと,どんどん進行していきます。
幸いというか,先述のように,私にはもともと「がん=死」のイメージが薄く,むしろ「がん=全摘」のイメージの方が強かったのです。
著名人の方が乳がんで亡くなった際に「温存にこだわらず,最初から手術を受けていれば…」と,たらればを言われることがあります。
その方々が,どのような思いでいたかはわかりません。
当時の私が思っていたことを振り返って言い表すとすれば,
「温存できないなら死んでもいい」
ということでしょうか。
私の選択肢は「切りたくない」,それだけでした。
他に守るものがなかったからです。
他に生きがいがなかったからです。
治ったときのことを考えたら,子宮も乳房もない人生は耐えられませんでした。
独身でしたし,そもそもの自分に自信がない人生,そのまま生き続けるのなら,せめて,できる限りの外見は保持しておきたかったのです。
子どもが欲しいとか,そういう願望も少なからずありましたが,まず「生き続けている前提」,これしかありませんでした。
もしも,がんになって「自分は死ぬのかな」という恐怖に襲われたら,治って1秒でも長く生きている自分を思い描くしかないのだと思います。
治った情報だけを見ていた
すべての治療が終わった翌年の2009年,川村カオリさんというミュージシャンが,乳がんで亡くなりました。
川村カオリ - ZOO (20th Anniversary)
ニュースを見て,改めて「ああ,がんって死ぬ病気なんだな」と思ったほどでした。
同年代で,同じ病気。
闘病の様子もよく報道されていました。
だけど,治療期間中は,絶対にそれは見ないようにしていました。
治った人の話だけを聞き,治った人のブログや記事だけを読んでいました。
そして,温存した人の情報だけを仕入れるようにしました。
残念ながら,それが該当しない症例の方もいらっしゃるでしょう。
私はただただ,治すというプロセスを楽しみました。
「死ぬわけにはいかない」という決意のようなものすらありませんでした。
生きていて当然,温存できて当然だったのです。
どうしてこんな考え方ができたかはわかりません。
気弱になる日もありました。
誰かに頼りたくても頼れないこともありました。
「生きていることが嬉しい!」とか,そうした歓びを味わうような生き方でもありません。
目の前のことを受け入れる,これを淡々とやっていっただけでした。
スピリチュアルなものに逃げかけたこともありました。
そのほうが考えずに済むからです。
でも,どれだけ呪文を唱えても,どれだけ拝んでも,ダメなときはダメだったのです。
実際,子宮頸がんの再々発で,いよいよ全摘を勧められたときも,祈りまくっても切腹は避けられませんでした。
温存はできたものの,開腹手術は免れなかったのです。
悟ったというつもりはありませんが,現実に正面から向き合うしかない,人生はそれの連続なんだということを,30代にしてやっと知りました。
10年以上が経過した今現在,治療に関して,まったく後悔していません。
(ちなみに,このブログは「UMSオンコロジー 後悔」というキーワードで検索されていたりもします)
もしも,がんを告知されて「私 or 俺,死んじゃうの?」と思ったら,
「いいや,死なない」
と決めてください。
その先も,恐怖のほうに意識をフォーカスするのではなく,「死なない」という方に焦点を合わせてください。
怪しい宗教や健康食品の情報も目にするかもしれませんが,そっちには引っ張られないように注意が必要しつつ,「治す」よりも「死なない」ことを強く決意する。
いいえ,「死」という単語すら排除してください。
祈るのでもなく,ゴールを設定する。
治るのはプロセスであって,ゴールではありません。
「死なない=生き続ける」,これこそがゴールです。
いつかは誰もが死にますが,今じゃない。
生き続けることを決めてください。
そのためには,治ったことだけを考え,治った人だけをお手本にする。
取捨選択し,自分の中で情報をカスタマイズして,生き続けてください。
生き続けてください。
生き続けることを決断してください。
いいことは必ず待っていますから。