生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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誰かがどこかで必ず見てくれている【相手の良いところを好きになる】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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2008年6月25日の日記を見ていました。

UMSオンコロジークリニック(当時の名称はUASオンコロジーセンター)で治療していたときに書いていたブログ記事の原型です。

 

この日は,クリニックではなく,入院していた提携先の病院の厨房から,メニューに関するアンケートが来ていました。

正直言って,鹿児島独特の味つけがどうしても口に合いませんでした。

 

甘くて,普通のしょうゆでも,みたらし団子のタレのような甘さ。

九州の刺身につける濃いしょうゆは好きですが,それを上回る甘さで,どうしたものかといつも途中で箸を置いていました。

 

治療中の食事制限はありませんでしたし,外出も自由でしたから,少しだけ食べて,あとは天文館へ食事し直しに行くという入院生活でした。

 

そんなことを悩みながら,回答をどう書いたらいいのか,好き放題書いてしまおうか,でもそれだと厨房の人たちを貶めることになるしな,などと考えていました。

 

そのときの様子です。

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記入用紙を前にしてあれこれ考えていたら,お掃除のおばちゃんが入って来た。

おばちゃん,好きな食べものはなぁに?

今,これ書くの悩んでたの。

 

「そう訊かれると,わかりませんねぇ。

自分のことなのに,これまで生きてきて,好きなものもあるはずなのに」

 

そうなのよ。

これ!という食べものって案外すぐに出ないのよ。

以前,関西系のある番組で,“街のおばちゃんに好きな食べものを訊くと,必ず「わたしは何でも食べます」と答える”というのを検証していた。

母も同様で,“子どもの頃や若いときは,○○をお腹いっぱい食べたい!とかあったのにね”と話していた。

 

「おばちゃんもそういう夢とかあったけどね。

あなたはまだ若いから,これからもっと出てくるはずよ。

若いときに始めて後でいろいろ苦労するより,あなたは顔がしっかりしてるから,これからがんばれば失敗は少ないよ。

おばちゃんね,最初にあなたを見たとき,すぐに思ったの。

顔がしっかりしてるから,頭もしっかりしてる,て。

だから,まず早く病気を治さんと」

 

食の話題だったはずなのに,いつのまにか人生論に移項されていた。

数日前も,息子さんのお嫁さんがいい娘さんだとか,亡くなったお姑さんのことが大好きだったとか,話してくれた。

やや哲学的なテイストを彷彿とさせる語り口なのだが,バリバリの薩摩弁訛りなので,とってものどかでかわいらしい。

誉めてもらったんだから,食べもの論は,まぁいっか。

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これを読み直すまで忘れていました。

 

鹿児島に滞在している間は,いろんなことがあって,いろんな出会いがありました。

患者同士に限らず,病院のスタッフもすばらしい人たちばかりでした。

そのなかには,お掃除のスタッフが何人かいて,そのうちの1人のおばちゃんとは,こうしてよくおしゃべりしていました。

 

いつの間にこんなことを思われていたんだろう。

病院の職員ですから,毎日さまざまな人が訪れるわけですが,特に入院患者との接触ももちろん多いでしょう。

 

なので,きっと,こうした会話は彼女にとっては日常茶飯事。

大したことでもないのでしょう。

 

だけど,言われたほうとしては,とても嬉しいし,元気づけられます。

ほんの小さな会話のやり取りでも,何気なく発したことばで元気になったり,癒やされたり,傷つけられたり,考えさせられたり。

なかでも,どこかで誰かが応援してくれているという実感は,この上なく嬉しくて,幸せで,心が明るくなります。

 

もしも,あまり会話を交わしたことのない人と話すことがあるのなら,ぜひ,相手のいいところを見つけましょう。

何も,それを口に出す必要はありません。

静かに胸に秘めるというか,頭の片隅に置くだけでいいのです。

 

そのいいところを好きになればいいんです。

いや,せめて,嫌いにならなければいいだけだと思います。

 

よく,コミュニケーション術の本などでは,「相手のいいところを見つけて,それを褒めましょう」とか書かれていたりします。

ですが,そんな褒めるとか,大げさなことまではしなくてもいいと思います。

 

私は,できれば人と話さずに生きていきたいタイプです。

こう思われるんじゃないかとか,こんなふうに言うと嫌われるんじゃないかとか,そういったことを思い悩むほうです。

それが怖くて,逆によくしゃべって取り繕うというか,薄っぺらなことしか言えず,家に帰ってひとりでまた凹む…ということを繰り返してきました。

 

この日記の日から明日で12年。

おばちゃんの言うように,がんばれてきたかどうかは,まだちょっとわかりません。

だけど,こうして過去の思いを読み直したことで,気づきました。

 

この世には,どこかで自分のことを見ていて,いいところをちゃんと認識してくれる人が必ずいるということ。

 

日記の最後には,こんなことを書いていました。 

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病気が治ったら,どんな生き方で進むのかい?

東京が好きなら,東京で何をつかむのかい?

そのままの部分と,変わるべき部分の見極めは進んでいるのかい?

病気だとみんながかまってくれるからって, ずぅっと病気のままでいるつもりかい?

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「病気のままではいない」ということ以外の答えは,たぶん死ぬまで出ないのかもしれません。