誰かがどこかで必ず見てくれている【相手の良いところを好きになる】
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2008年6月25日の日記を見ていました。
UMSオンコロジークリニック(当時の名称はUASオンコロジーセンター)で治療していたときに書いていたブログ記事の原型です。
この日は,クリニックではなく,入院していた提携先の病院の厨房から,メニューに関するアンケートが来ていました。
正直言って,鹿児島独特の味つけがどうしても口に合いませんでした。
甘くて,普通のしょうゆでも,みたらし団子のタレのような甘さ。
九州の刺身につける濃いしょうゆは好きですが,それを上回る甘さで,どうしたものかといつも途中で箸を置いていました。
治療中の食事制限はありませんでしたし,外出も自由でしたから,少しだけ食べて,あとは天文館へ食事し直しに行くという入院生活でした。
そんなことを悩みながら,回答をどう書いたらいいのか,好き放題書いてしまおうか,でもそれだと厨房の人たちを貶めることになるしな,などと考えていました。
そのときの様子です。
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記入用紙を前にしてあれこれ考えていたら,お掃除のおばちゃんが入って来た。
おばちゃん,好きな食べものはなぁに?
今,これ書くの悩んでたの。
「そう訊かれると,わかりませんねぇ。
自分のことなのに,これまで生きてきて,好きなものもあるはずなのに」
そうなのよ。
これ!という食べものって案外すぐに出ないのよ。
以前,関西系のある番組で,“街のおばちゃんに好きな食べものを訊くと,必ず「わたしは何でも食べます」と答える”というのを検証していた。
母も同様で,“子どもの頃や若いときは,○○をお腹いっぱい食べたい!とかあったのにね”と話していた。
「おばちゃんもそういう夢とかあったけどね。
あなたはまだ若いから,これからもっと出てくるはずよ。
若いときに始めて後でいろいろ苦労するより,あなたは顔がしっかりしてるから,これからがんばれば失敗は少ないよ。
おばちゃんね,最初にあなたを見たとき,すぐに思ったの。
顔がしっかりしてるから,頭もしっかりしてる,て。
だから,まず早く病気を治さんと」
食の話題だったはずなのに,いつのまにか人生論に移項されていた。
数日前も,息子さんのお嫁さんがいい娘さんだとか,亡くなったお姑さんのことが大好きだったとか,話してくれた。
やや哲学的なテイストを彷彿とさせる語り口なのだが,バリバリの薩摩弁訛りなので,とってものどかでかわいらしい。
誉めてもらったんだから,食べもの論は,まぁいっか。
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これを読み直すまで忘れていました。
鹿児島に滞在している間は,いろんなことがあって,いろんな出会いがありました。
患者同士に限らず,病院のスタッフもすばらしい人たちばかりでした。
そのなかには,お掃除のスタッフが何人かいて,そのうちの1人のおばちゃんとは,こうしてよくおしゃべりしていました。
いつの間にこんなことを思われていたんだろう。
病院の職員ですから,毎日さまざまな人が訪れるわけですが,特に入院患者との接触ももちろん多いでしょう。
なので,きっと,こうした会話は彼女にとっては日常茶飯事。
大したことでもないのでしょう。
だけど,言われたほうとしては,とても嬉しいし,元気づけられます。
ほんの小さな会話のやり取りでも,何気なく発したことばで元気になったり,癒やされたり,傷つけられたり,考えさせられたり。
なかでも,どこかで誰かが応援してくれているという実感は,この上なく嬉しくて,幸せで,心が明るくなります。
もしも,あまり会話を交わしたことのない人と話すことがあるのなら,ぜひ,相手のいいところを見つけましょう。
何も,それを口に出す必要はありません。
静かに胸に秘めるというか,頭の片隅に置くだけでいいのです。
そのいいところを好きになればいいんです。
いや,せめて,嫌いにならなければいいだけだと思います。
よく,コミュニケーション術の本などでは,「相手のいいところを見つけて,それを褒めましょう」とか書かれていたりします。
ですが,そんな褒めるとか,大げさなことまではしなくてもいいと思います。
私は,できれば人と話さずに生きていきたいタイプです。
こう思われるんじゃないかとか,こんなふうに言うと嫌われるんじゃないかとか,そういったことを思い悩むほうです。
それが怖くて,逆によくしゃべって取り繕うというか,薄っぺらなことしか言えず,家に帰ってひとりでまた凹む…ということを繰り返してきました。
この日記の日から明日で12年。
おばちゃんの言うように,がんばれてきたかどうかは,まだちょっとわかりません。
だけど,こうして過去の思いを読み直したことで,気づきました。
この世には,どこかで自分のことを見ていて,いいところをちゃんと認識してくれる人が必ずいるということ。
日記の最後には,こんなことを書いていました。
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病気が治ったら,どんな生き方で進むのかい?
東京が好きなら,東京で何をつかむのかい?
そのままの部分と,変わるべき部分の見極めは進んでいるのかい?
病気だとみんながかまってくれるからって, ずぅっと病気のままでいるつもりかい?
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「病気のままではいない」ということ以外の答えは,たぶん死ぬまで出ないのかもしれません。