がん患者同士で傷をなめ合ってはいけない
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中咽頭がんの治療のために入院していた,ペナルティのワッキーさんが退院したそうです!
おめでとうございます!
本日 無事退院できました!信じられないほど沢山の方々からの応援メッセージをいただき、それが治療の辛い時に僕の心の支えになりました。本当に本当にありがとうございました。治療の結果は追ってお伝えしますが順調なのは確かです。そして先生や看護師さん、最高のサポートありがとうございました!
— ペナルティ ワッキー (@wakitayasuhito) August 5, 2020
最初に報道されたときはステージⅠ とのことでしたので,たぶん順調に完治へ進むんじゃないかなと思います。
どちらの病院で,どのように治療されたのかまでは存じませんが,「治療の辛い時」と書かれているので,ご本人にしかわからないこともたくさんあったことでしょう。
副作用がつらいようなことが別の記事で書かれていたのを,どこかで見ました。
私の鹿児島での乳がんの治療は,もうパラダイスとしか言いようのない毎日でした。
ですが,その後の子宮頸がんの再々発では,開腹手術もしましたし,つらいことのほうが多かったです。
というか,つらいことしかなかったように記憶しています。
たまにお見舞いに来てくれる方々に救われていました。
開腹手術や,その後の検査などの治療もさることながら,人間関係も,そのつらいことのうちの一つでした。
群れでしか行動しない患者同士の中にいるのが苦痛で仕方なく,つらいなこの環境…と思い続けた1か月半でした。
がん患者同士で傷をなめ合うような人たちのいざこざが,目の前で毎日のように繰り広げられ,自分のベッドがある病室なのに,居心地が悪すぎました。
今回は,子宮頸がんの手術のために入院した最後の病院での思い出を書いてみます。
ちょっと辛口です。
がん患者以外と話していた
1か月半の入院中,特に後半はほとんど患者同士で話すことがありませんでした。
がんだけでなく,他の病気の患者さんもいたのですが,私はできるだけ,その人たちと話すようにしていました。
2008年の乳がん発覚と同時に見つかった子宮頸がん再発で,癌研有明病院(現在の表記は がん研有明病院)に入院しました。
癌研と最後の病院とで決定的に違ったのは,がん患者だけで徒党を組んで,傷のなめ合いをしていたということです。
治療はつらいものでしたが,それはみなさん同じでしょう。
徒党を組み,傷をなめ合うがん患者たち
ですが,がん患者チームから聞こえてくる話題は,なんとも発展性に欠けるのでした。
もちろん,前向きに病気と相対してはいるのでしょう。
“今日はあれが痛かった”とか,
“あの点滴が気持ち悪い”とか。
“あの患者さんに聞いてみよう”とか。
“あの患者さんなら詳しい”とか。
いろんな話し声が聴こえてきます。
主に愚痴です。
わかります,わかります,よーくわかります。
愚痴や弱音を吐きたくなる気持ちはわかるのです。
なかでも一番びっくりしたのは,別の病室からやって来たおばさまが,私と同室の女性の所に,別の患者を引き連れてきたときのことでした。
ヌシにお伺いを立てる患者たち
その同室女性は,いわゆる『ヌシ』のような存在でした。
といっても,年齢は若く,たぶん20代後半か,30代の初めくらいか。
退院するまでまともに会話することはなかったのですが,たしか,子宮を全摘したか,そんな患者さんだったと思います。
リーダーシップのようなものを発揮し,フロア全体のがん患者を束ねているような印象でした。
そのヌシの所に,3部屋くらい隣の病室のおばさまが,もっと若い20代くらいの女の子を連れてやって来ました。
本当にもう,女の子という表現がぴったりな若さでした。
具合悪そうです。
歩くのもやっと。
おばさまは,ヌシに言いました。
「この子,今朝からお腹痛いって言ってるんだけど,あなたも同じようなこと,前に話してたことあったわよね?
そのとき,腸捻転だって言ってなかった? 症状が似てるんだけど」
ヌシは答えます。
「たぶん,そうだと思う。腸捻転じゃないかな。
●●先生がそのあたりの専門だけど,火曜日と木曜日しか来ないからねぇ。
今日の回診は▲▲先生だから,私が聞いてみようか」
この人,この病院のスタッフだったのでしょうか。
きっとそうかもしれません。
今になって,そう思います。
いや,先生との話しぶりからして,それは違うな。
…いいえ,そういうことを言いたいのではありません。
あなた達が今いるのは,病院でしょ。
医療のプロがいる場所でしょ。
そう思ったのです。
お腹が痛いのなら,なぜ医師に尋ねないのでしょうか。
看護師に伝えればいいでしょう?
ヌシや私がいる病室より,この人たちの病室のほうが,スタッフステーションに近いのに。
彼女が言うからといって,回診の時間を待つのですか?
まったく理解できません。
ちなみに,女の子のその後の容態は耳に入ってきていません。
距離を置いていましたから。
そんなに仲間が欲しいですか?
なぜ,そんな仲間で群れるのでしょう?
そんなに,がん仲間が欲しいですか?
気持ちはわからなくもないのですが,同じ部位のがんでも,一人ひとり,対処法はまったく違ってきます。
だから,他の人の情報はあまりあてにならないのです。
心細かったりもするのでしょうが,気持ちを分け合うのとは意味合いが違って見えたのです。
がんをはじめて告知されたときの自分を見ているようでした。
『誰か助けて』
依存心のかたまり。
かの患者グループは,それの吹きだまりでした。
気持ちを分かち合うことも大事です。
ストレスを溜め込んでいては,治る病気も治りません。
共感し合うことで,心が安らぐことがあるのは言うまでもないでしょう。
ですが,がんという病気にフォーカスしすぎていてはいけません。
もちろん,自分のがんという病気と向き合う時間は必要です。
どのような現状なのか。
どういう方法で治していくのか。
向き合い方は人それぞれでしょう。
ですが,向き合い方を間違えてはいけないのです。
いくら同じ病気の人が物知り名人だったとしても,聞くべき内容を聞くべき相手なのか,それを判断することくらいは,ほんの数秒でできるはずです。
上で書いたおばさま達は,そんなに自分を見失ってしまっていたのでしょうか。
そしてヌシは,なぜ「私が聞いておく」というようなアドバイスをする必要があったのでしょうか。
この最後の病院では,患者同士でも特に,がんという共通点がある人たちばかりで群れていることに気づいて,私は距離を置きました。
現にその人たちは,何度も同じ病院での入退院を繰り返す仲間だったのです。
それが再発に結びついているとか,だから治らないんだという気はありません。
ですが,以前にも書いた『疾病利得』を享受している人たちだという印象でしかなかったのです。
(過去記事:「がんになったくらいでおとなしくなるな」【疾病利得だったのかも】)
明るい気分ばかりでもいられないのは承知しています。
私だって,2つのがんを同時に患ったんですもの。
その上で,あえて言いたいのです。
同じ病気をわかり合えるからといって,ずっと群れていてはいけません。
治りたいのなら,がん患者同士で傷をなめ合うのも,ほどほどにしておきましょう。
治った後に,いくらでも元気に楽しく笑って会えるのですから。
2008年8月1日,鹿児島での放射線治療がすべて終わりました
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前回の日記,2008年8月1日に書いたものには,まだ続きがありました。
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今日は技師さんの都合で,午前中のみの治療。
いつもは夕方からなのに,少し調子が狂う。
10:30だったか11:30だったか忘れたので,センターに電話したら,珍しく植松先生が出た。
「混んでないから,来とけば~?」
と言われ,10:30くらいに到着するよう出かけた。
結局,2時間近く待って,最後の放射線照射が終わった。
技師さんたちと握手して,治療室を後にした。
看護師Sさんは所用でお休み。
昨日,最後のご挨拶をした。
その前の日,ある人に悔しいことを言われたらしく,泣くのをこらえて点滴を刺そうとした。
わたしも何度も同じような思いをしてきたので,つい一緒に泣いてしまった。
スーパー看護師だと思っていたSさんも同年代。
やっぱり普通の女の子。
大阪のFさんと3人で呑みに行けて,嬉しかったな。
Sさんがいたから,2か月も楽しく通えたんだよ。
最高の職場にいるんだから,誇りを持って,外圧や嫉妬なんかに負けちゃダメよ。
Sさんでよかった。
ありがとう。
…と言ったら,また泣かれてしまった。
なのに,診察室の待合場に戻ったら,公休のはずのSさんが来ていた。
「あたし,熱心でしょー」
用事の合間にセンターに来て,私服で仕事をこなしている。
もう脱帽。
Sさんともう一度握手を交し,受付のKさんにも,挨拶を。
「ブログとかやってないの?」
ふふっ,あるよー。
探してごらん。
植松先生も,飄々としてとぼけた人だけど,誰よりも患者さんのことを第一に考える,素晴らしい医師。
これまでに出会ったお医者さんベスト1だよ。
もちろん,先生とも握手。
「ますますお元気で」
わたしゃ,どんだけ元気イメージだったんだろか?
かわいく手を振ってもらって,センターを去った。
名残惜しいけれど,ここにいるということは,病気であり続けるということ。
それでは夢もやりたいことも,何も叶えられない。
今度会うときは,元気になった報告をするためでなければならない。
あの治療台に上ることがあってはならない。
この治療法に,このセンターに,そして,先生やみなさんに出会えて,わたしはほんとうに幸せ者です。
2か月間,ありがとうございました。
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植松先生が電話に出るなんて,本当に珍しい。
そんなこともあったんだなぁ。
「混んでないから来とけば?」と言いつつ,2時間も待たせるなんて,やはり『植松時間』は実在するようです…
受付のKさんに声をかけられた“ブログ”こそ,この日記がベースとなっていたものでした。
ですが,謂れのない誹謗中傷でコメント欄を荒らされ,この直後に閉鎖しました。
この日記には,植松先生と撮ったツーショットの写真も添えていました。
診察室で,たしか看護師のSさんに携帯のカメラのシャッターを押してもらったような。
先生はやっぱりシャツにノーネクタイ。
私も相変わらず小生意気な雰囲気を発散しまくっています。
若いなぁ。
お見せしませんが(申し訳ないです)。
まだ出していない日記もありますので,これからも折を見て,鹿児島での2か月を引き続きお見せできればと考えています。
幸せいっぱいで治療を終えました。
がんの治療とは思えないほど,好き勝手にいろんな所に行き,鹿児島の雄大さに感動し,おいしいものを食べ,本を読んだり,ひとりカラオケに勤しんだり,たくさんの人とおしゃべりしたりしました。
本当に楽しいことだらけの,バカンスを味わいました。
そして翌日,たくさんの思い出をおみやげに,鹿児島を後にしました。
子宮頸がんでの多大な苦労が待っているとも知らずに。
乳がんの治療が終わった日
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2008年8月1日,鹿児島市のUMSオンコロジークリニックで2か月に及んだ乳がんの治療が終わりました。
(当時の名称はUASオンコロジーセンター)
また,当時の日記をほじくり返してみます。
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わたしは,がんをなめていたと思う。
子宮頚がんのときは,計3回とはいえ,簡単な手術だけで済んだ。
乳がんも,少ない時間と少ない量の抗がん剤の点滴, それに,さらに少ない時間の放射線照射で, 一日に合計約1時間程度寝ているだけだった。
だけど,もっと大変な思いをしている人がたくさんいた。
抗がん剤の強い副作用に長く苦しみ続ける人もいる。
先日,入院先の隣のベッドに2泊3日で検査入院しに来たTちゃんは, たぶん同年代。
乳がんを放っておいたら骨に転移したという。
(※ 過去記事:Tちゃんの生きた証)
定期検診で大阪から来たFちゃんも,同年代。
膠原病も持っていて,週に3回透析もしているという。
同部屋にいる,函館から来たNさんは40代半ば。
数年前に乳がんを手術したうえに,橋本病があるという。
以前の入院先やセンターの待合室では, 治療以外はずっと寝ている人, 何度も転移を繰り返している人, がんと一口に言っても,さまざまな姿を目の当たりにした。
最後の砦としてこのセンターに来る人がほとんどで, その方々のお話を聴くにつけ,痛感させられた。
わたしは断然ラクをさせてもらっている方で, それはなんとありがたいことかと。
わたしが,がんだと友達に話したとき, みんな,口々に言ってくれた。
「大変な思いをして…」
「わたしだったら,どうなっていたか」
「自分なら,もう耐えられない」
泣いてくれた人もいた。
だけど,癌研やセンターで出会った人たちに比べたら, 全然問題じゃない。
「あなたは血が強いねぇ」
血液検査の結果を見た植松医師は,いつも感心していた。
何が強いのかは,結局聞けずじまいだったけど。
そんな強いはずのわたしが, 30歳代にして2度もかかってしまったがん。
きっと,多くの人がかかる可能性のあるこの病気を, この歳で二度も経験したのは, もっと有意義に生きろ,まだわからないのか! このばかが! と教えてもらうためだったのだろう。
誰かに頼ること,誰かを信じること, 何ごとも楽しむこと,足元を固めること,自然に親しむこと, 何よりも自分自身をまず大事にすること,そして,心を込めて物事に臨むこと,etc...
ありとあらゆることを学び直すために病は現れたのだろう。
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ちょうど今頃の時期です。
12年後に,とんでもない感染症が世界中に蔓延しているなんて,もちろん想像なんてできやしません。
そんななかでも,どうにか生きさせてもらっています。
よく,芸人さんが何でもかんでも「●●させていただく」という言い方をしているのが,私は好きではありません。
ですが,私が生きていることに関してだけは,やっぱり「生きさせてもらっている」という感じがしている12年間でした。
私ごときが,こんな素晴らしい治療法に巡り会えて,施術してもらえるなんて。
本当にもったいないくらいのことです。
この日の日記は,もう少し続いていました。
次回に書いてみます。
トレーニングの3原理・5原則を勉強にも応用する〜その2
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トレーニング3原理のおさらい
トレーニングの3原理とは,「過負荷の原理」「特異性の原理」「可逆性の原理」に大別されることを,前回に書きました。
- ちょっとだけ負荷をかける
- 一つのメニューだけでは総合的な向上は望めない
- 後戻りしないよう継続させる
これが基本です。
そして,これらの原理を正しく機能させるためには、5つの原則に基づいて行うことが望ましいとされます。
その5つの原則とは,「全面性の原則」「意識性の原則」「漸進性の原則」「反復性の原則」「個別性の原則」です。
今回は,これら5つの原則を順に見ていきましょう。
トレーニングの5原則
全面性の原則
一か所や一方向に偏らせず,バランスよくトレーニングすることで,全体的に機能を向上させることができる,という原則です。
腕立て伏せだと,肩や二の腕,大胸筋などの上半身は鍛えられても,下半身は鍛えられにくい傾向にあります。
全身の筋力を高めるのであれば,背筋や下腹部,脚なども併せてトレーニングする必要があります。
前回の記事「特異性の原理」で見たように,一つの部位だけではなく,総合的に鍛えるという視点をもたなければなりません。
語学習得の例でも書いたように,単語を憶えるだけでなく,文法も,ヒアリングも,スピーキングも,バランスよく勉強することで,高い語学スキルが鍛え上げられるのです。
意識性の原則
漫然とトレーニングをしただけでは,効果は現れません。
目的意識を持って,具体的な目標を掲げると,そこへ向かって取り組むことができます。
腕立て伏せなら,今は10回しかできないけど,50回できるようになる,という目標を設定するのです。
それを意識することが大事だというわけです。
また,腕立て伏せをしているときに感じられる筋肉の動きを意識することも,この「意識性の原則」に当てはまるでしょう。
筋トレをする人が,「鍛えている筋肉そのものの部位に語りかけながらやっている」と言っていますが,まさしくこのことです。
集中・没頭してその部分を意識することで,向上の度合いも意識されてくるのです。
前回の3原理で登場した「過負荷の原理」では,現状よりも負荷をかけることが推奨されていました。
この負荷を意識するといいでしょう。
語学学習で言えば,
- いつもは単語を20個憶えるが,それにイディオム5つ憶えることを加えることはできないだろうか?
- ヒアリング教材を2倍速で聴いてみたらどうなるだろうか?
といった具合で工夫して負荷をかけ,それを実施したときの自分の感触を意識するのです。
ちょっとキツイけど続けられそう,もっと負荷をかけられそう,というような自分の意識も,ちゃんととらえることが重要です。
漸進性の原則
『ぜんしんせい』と読みます。
物事を徐々に,順を追って,少しずつだんだん進めることを意味します。
「過負荷の原理」に沿って,能力を超えたレベルでトレーニングを続けていくと,やがて始めた頃のレベルが楽なものになっていきます。
そこからさらに向上するためには,強度を高め続けていかなければなりません。
ですが,急激に負荷を増やすのではなく,過度な負担とならないよう,徐々に設定を調整していくことが大切です。
腕立て伏せも,3回がやっとだったけれども,楽にこなせるようになってきたら,5回,10回と目指していきます。
進行度や,その人のレベルに合わせていかねばなりません。
新しい単語を1日20個憶えていたのが,急に300個憶えろといわれても,そう簡単にはいきません。
多すぎず,少なすぎず,しかし,ちょっとだけ負荷をかけるという頃合いを調整しなければ,大きな挫折につながりかねないのです。
反復性の原則
こちらも前回の「可逆性の原理」で書いたように,継続の重要性が関わってきます。
規則的かつ計画的にトレーニングメニューを繰り返してこそ,ようやく次のステップへと進めることができるのです。
この反復性の原則は,別名「継続性の原則」「周期性の原則」とも言います。
反復と継続の要素,両方が備わっている原則なのです。
毎回のトレーニングごとに強度や回数,メニュー内容を変えていては,効果の測定もしづらくなります。
同じ内容を反復・継続することで,「以前よりできるようになってきたのでは…?」と,効果を実感するときの基準となるのです。
上で書いた「漸進性の原則」につながるものと言えるでしょう。
単語を憶え,文法を学び,ヒアリングや会話演習といったことをコツコツと一定量で積み重ねていくことで,ある日,気づくのです。
「最初はあんなに苦労していたのに,あの頃よりも,読めるようになってきてる!聴けるようになってきてる!話せるようになってきてる!理解できるようになってる!」と。
後々の効果の測定のためにも,反復・継続はとても大切な原則です。
個別性の原則
人の数だけ,スキルアップの目的・目標は多種多様,星の数ほどあるでしょう。
ある一種類のトレーニングを行っても,効果が誰にでも同じように現れることはないはずです。
年齢の差,男女差はもちろんのこと,運動能力の個人差や環境,目指す方向性など,実に多岐に渡ることでしょう。
自分で調整できるのならば,その向上の度合いに応じて加減してもいいでしょう。
ですが,インストラクターやトレーナーに委ねるのも一案です。
腕立て伏せの例であれば,無理のない姿勢で行われているかのチェックや,適切な回数の指摘,場合によっては違うメニューの追加提案も受けられるかもしれません。
本当は腕立て伏せの回数を上げたいのではなくて,全身を鍛えたいのでは?
いや,筋トレをしたいのではなくて,体力をつけたいのでは?
そもそもの目標に立ち返ると,腕立て伏せが本当に必要なものではない可能性もあります。
それを正しく判定するのは,素人では簡単にできないかもしれないのです。
語学学習も同様です。
ただTOEICのスコアを上げたいだけなのでは?
いや,本当は海外旅行に一人で行っても困らないだけの会話力をつけたいのでは?
そもそも,その語学を身につけるのは,仕事のためなのか,単なる趣味なのか?
それによって,必要性や向かうべき方向性はまるで違ってきます。
すると,勉強すべき内容も変わってくることだってありえます。
「個別性」を診断する客観的な視点も取り入れ,無理なく,無駄なく,ムラのないトレーニングを行うことができるようになるでしょう。
まとめ
腕立て伏せを例に挙げても,トレーニングの3原理と5原則を応用することで,漫然とやるよりも効果が期待できます。
「何のために鍛えるのか,どうなりたいのか」を明確に意識する(意識性の原則)
腕立て伏せだけでなく,その他の筋肉も併せて鍛える(全面性の原則)
向上の度合いを見極める(特異性の原理・個別性の原則)
洗練されたメニューを繰り返す(可逆性の原理・反復性の原則)
進度に応じて負荷を増やしていく(過負荷の原理・漸進性の原則)
そして,目標を達成し,また超えていく。
こうして,能力は向上されていくのです。
トレーニングの3原理・5原則を勉強にも応用する〜その1
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『トレーニングの原理・原則』を勉強に応用する
『トレーニングの原理・原則』という概念を知っていますか。
トレーニングの効果を測定・判定することで反省点や改善点を洗い出し,さらにステップアップするためのプログラム編成や,進行状況を観察しなければ,能力の向上は望めません。
これは,スポーツ科学の分野でいわれていることですが,スポーツに限らず,あらゆる訓練やプロジェクト進行にも使えることに気づきました。
私が通信制大学の学生であることは,過去の記事にも何度か書きました。
いろいろと勉強するなか,体育理論という科目で出てきた概念です。
ちょっと気になり,関連資料を読み進めてみました。
そして,「なーんだ,スポーツだけじゃなく,すべてにいえることじゃないか」と気づきました。
それ以来,この考え方を勉強や仕事にも応用しています。
この概念は,3つの原理と5つの原則に大別されます。
今回は,3つの原理から,「過負荷の原理」「特異性の原理」「可逆性の原理」,これらを順に紐解いてみましょう。
トレーニングの3原理
1. 過負荷の原理
自分の能力を超えたレベルでトレーニングすると,その負荷に身体が慣れていきます。
すると,負荷への耐性が培われていきます。
このことを「過負荷の原理」といいます。
例えば,腕立て伏せに慣れていない人が3回やってもできなかったのが,やがて3回から5回,5回から8回へと回数を増やし,やがて何回でもできるようになってきます。
筋力が増強されていき,それに応じて負荷を増やしていったことで,それが可能になったのです。
それと同様に,最初は難解に思える教科書でも,ちょっとだけがんばって読みこなそうと思ってみる。
すると,いつの間にか,その教科書に対する拒否反応や苦手意識が薄れていくのです。
少し無理かもしれない…と感じることに取り組むという負荷をかけることで,能力の向上につながります。
成り行きまかせに進めていくのもいいのでしょうが,少しだけ負荷をかけるつもりでやってみると,それに対する耐性が強化されていくのです。
2. 特異性の原理
一つのメニューだけで,その競技のスキルすべてが向上することはありません。
たとえば,サッカー選手がドリブル練習だけ,または,野球選手がバットの素振りだけを行っても,一流選手になれるわけではないという喩えがわかりやすいでしょうか。
ボールやバットなどの道具や,ウェアやスパイクなどの装備といったものの扱いだけに慣れても,うまくなりません。
それだけでなく,基礎的なランニングや,チームメイトとの関係性に至るまで,バランス良く,総合的に鍛えていかなければなりません。
極端な言い方をすると,その能力のみを鍛えるのならば,それだけが格段にうまくなるでしょう。
ドリブルの距離や素振りの回数だけで世界一になるなどの記録も期待できるかもしれません。
腕立て伏せの例で言うならば,腕や肩,背中の筋肉は鍛えられますが,それ以外に何もしない限り,他の筋肉はほぼ変化しないといってもいいでしょう。
ですが,スポーツに限らず,勉強するにしても,プロジェクトにしても,おそらく,全体を鍛えたいでしょうし,ある一点だけが伸びれば終了・任務完了というわけではないでしょう。
語学の勉強でも,単語だけを憶えても,総合的なスキルは向上しません。
単語をたくさんつなぎ合わせれば,もしかしたら,なんとか通じるかもしれません。
しかし,総合的な語学スキルをアップさせたいなら,文法も必要ですし,ヒアリングもできるようにならないと会話も理解できません。
話すための訓練も欠かせませんし,誰かが書いた手紙に返信するなら,きちんとした文章を書ける能力も鍛えなければなりません。
関係する部門をピンポイントでトレーニングする。
これらを数種類,上手に組み合わせることが必要となるのです。
後に登場する5原理のうちの一つ,「全面性の原則」にもつながってきます。
3. 可逆性の原理
長期休養したり,現役を引退した選手が満を持して復帰したつもりが,冴えない記録のまま消え去る事例には,枚挙にいとまがありません。
競技や関連する事柄から離れたことで,向上した能力が元に戻ってしまい,それまでの能力を超えられなかったのです。
これを可逆といいます。
トレーニングを止めることなく継続することで,可逆を防ぎ,適切な効果が得られます。
とはいえ,適度な休息も必要です。
疲労を解消した上で再びトレーニングを継続することで,故障のリスクも軽減されて,さらなる能力向上が見込めます。
またしても腕立て伏せの例でいうと,腕立て伏せは単調な動きですから,やるうちに飽きてしまって,そのうち,やめてしまうかもしれません。
変化を実感できなければ,なおさらです。
勉強も,やり始めた頃は,未知の領域が刺激されて楽しく感じられますが,続けるうちにマンネリ化してしまうこともありえます。
マンネリを自覚して,少しずつでも継続する。
それを乗り越えてこそ,筋肉を鍛え上げた状態で維持できるし,勉強の効果も鍛えられていくのです。
これも,後に出てくる5原則のうちの「反復性の原則」に通じてきます。
つまり,トレーニングも勉強もプロジェクト管理も,
ちょっとだけ負荷をかけて,あらゆるメニューを工夫し,継続させる
これが基本となるのです。
長くなったので,次回に続きます。
乳がん治療前と治療後のCT画像【UMSオンコロジークリニック】
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いつだったかの記事で,乳がんの治療前と治療後を比較した写真があったはずだと書いた記憶があります。
それが見つかりました。
その頃の日記とともにお見せします。
日付は2008年7月31日となっています。
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週1回の診察日。
先生,CTのbefore-afterを写真に撮っていいですか?
「うん。でも…afterじゃないんだよねぇ」
ん? どゆこと?
「これからまだ変わっていくからさ」
あぁ,そういうことなんだ。
わたしを輪切りにして,足の方から見上げた状態。
向かって右側が左の乳房。
寝て撮るので,おっぱいの形がだらりんと横に流れている。
「これなんかいいんじゃない? ちょうど真ん中あたりなんだよ」
たくさん並んだ画像の中から,医師がちゃんとベストポジションを教えてくれた。
へぇぇ,すごいなぁぁ。
ほとんど左右対照になって,左はむしろ小さくなっている。
何度見ても,すごいなぁ。
他にもいろいろと込み入った話をし,看護師Sさんとともにげらげら笑った。
結局,わたしの病気そのものとはあまり関係ない話に終始した。
それだけ,問題は残っていない,ということだと勝手に解釈しておく。
あと2回か…。
マリッジブルーならぬ,治療終了ブルー&退院ブルーだな,こりゃ。
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初めて鹿児島に来て,一番最初に撮ったCT画像がこちらです。
繰り返しになりますが,
「輪切りにして,足の方から見上げた状態。向かって右側が左の乳房」
という見方です。
左右で胸の大きさが違っています。
向かって左(実際の右)の胸は無症状で,隙間がところどころあるのに対し,向かって右(実際の左)の胸は濃く詰まっています。
そして,上の写真から約6週間後のCT画像がこちらです。
大きさも形も,ほぼ左右対称になっています。
ひとつ残念なのは,初診時は腕を上げて撮ったのに,治療後のときは腕を下ろしているのです。
とはいえ,何枚もある輪切り写真の中から,同じあたりの位置だということを先生が見てくださったので,問題ないと思います。
バラバラに載せるとわかりにくいので,2枚並べてみます。
カルテの保存期間は,たしか7年だったはず。
ということは,私の治療記録はたぶんもう残っていないと思われます。
そのことに気づいたのは,このブログを書くようになってからでした。
今,鹿児島に行って「あのときの治療記録が見たい」と言っても,見ることはできないでしょう。
私の症例は,植松先生の本に載っていたかどうかわかりません。
先生の当時の治療史上,1〜2を争う大きさだといわれていましたが,書籍化の際の許諾の話がきていないので,たぶん載っていないはずです。
UMSオンコロジークリニックの治療体験者のアンケートに答えたことがあります。
あるルートで見ることができた先生のコメントによると,
左乳腺に多発する大きな原発巣と脇の下と胸骨の横にリンパ節転移を認めStageⅢの状態でした。
とのこと。
「数え切れない」と言われたほど,何個もの病巣が折り重なるように密集していました。
12年経って,久しぶりに対面した自分の乳がん。
楽しい2か月だったけど,やっぱりこのときに戻ってはいけない。
気が引き締まる思いがしました。
そろそろ,この治療が終わる頃でもあります。
VネックのTシャツは後ろ襟もV字型であってほしい
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はてなのお題に乗っかります。
昔は,Tシャツはもっぱら部屋着,という認識でした。
そんな時代はとっくに終わっていますね。
色合いや素材,デザインは多種多様になりました。
私はVネックが好きです。
できれば,後ろ襟もV字型であってほしいのですが,そんなデザインのTシャツは意外と見つけられません。
縫製が大変なのはわかるんです。
家政系の高校に通っていたので,被服科目も履修しましたから,Vネックの処理は面倒くさい。
だからこそ,余計にVネックを求めてしまうのです…
一番のお気に入りTシャツも,後ろ襟がVになっています。
この記事のために取り出してみました。
あまりにも気に入りすぎて,これ以上傷むと悲しくなっちゃうので,クローゼットにしまい込んでいたら,見事にしわくちゃになっていました…
(おまけに,ねこが写真に映り込んでしまいました)
短めの袖口にノッチ(切れ込み)が入っています。
ゆるすぎず,小さすぎず,ほどよいフィット感が大好きです。
困ったことに,もう何年も着ていたら,やはりたるんできてしまいました。
なので,アップに耐えられないくらいなので,引きの写真のみとしておきます。
同じようなデザインのものを探し続けているのですが,見つかりません。
見つけたらまとめて買っちゃいたい。
少し厚手のジャージー生地。
色も黒なので,何度も洗って少し白っぽくなってきていました。
悲しいなぁ。
Vネックだと,首元がすっきりして見えるので,エラが張ってたるんだ顎の私には,たいへんありがたいフォルムなのです。
最近は髪が長いので,束ねたときに出る襟足もすっきり。
いつの日かまた,同じデザイン,いや,それを超えるほどのお気に入りTシャツに出会えますように。
今週のお題「お気に入りのTシャツ」