生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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普段よりも人の死を思う2週間でした【誰かに迷惑かけてもいい】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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衝撃だった三浦春馬さんの死

普段よりも,人の死について思う2週間でした。

 

2020年7月18日,三浦春馬さんが亡くなりました。

特段のファンというわけではありませんでしたが,NHKの『世界はほしいモノにあふれてる』という番組をたまに視ていて,「綺麗な人だな,いい子だな」と思っていました。

 

綺麗というのは,顔の造作はもちろん,なんというか,心の綺麗さが透けて見えるような佇まいをしていて,どこにも雑みを感じさせない男性だなという意味合いです。

(※あくまで個人の主観です)

 

私も,役者をやったり,しゃべる仕事など,芸能人の真似ごとの底辺に少しだけいたのでわかるのですが,結局,トップスターというのは『すごくいい人』という表現に尽きるんですね。

 

本当にトップの座に昇りつめる人は,誰からも愛され,誰にでも分け隔てなく接することができる人なのです。

ゴシップやスキャンダルを書き立てる雑誌などもありますが,それがどんなに虚構に満ちた駄文であるか。

実際に間近で見たことのあるスターはみなさんどなたも,その人を中心に,包み込まれるような空気感が漂っていました。

これがいわゆる『オーラ』といわれるものなのでしょうか。

 

それはさておき,三浦春馬さんはまさに,その『すごくいい人』な雰囲気に満ち溢れている印象がありました。

活動のいくつかをYouTubeで視てみましたが,パフォーマンスの数々はどれもハイレベルそのもので,惹きつけられます。

 

それだけに,自ら死を選んだというニュースは,ファンでなくても衝撃的でした。

彼の悩みや苦しみは,彼自身にしかわかりません。

彼のことでなくても,他者の思いを完全に理解することは,どんな記述や発言から分析しようとも不可能です。

 

ですから,これ以上のことは,ご遺族や近い人たちの間だけで共有できればいいのではないでしょうか。

それを解明しようと躍起になっている記事も見かけますが,そうした行為は,精神医学や心理学の分野の方々におまかせしておけばいいと思います。

ファン心理としては,どんなことでも知りたいという気持ちも出てくるでしょうから,そのあたりとの折り合いがむずかしいところではありますが。 

選択肢を広げる

自ら死を選択したALS患者

そして,その数日後には,ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性が,医師2人による嘱託殺人で亡くなったというニュースを目にしました。

夜のテレビ番組でニュース速報として字幕表示されました。

 

意識があっても身体の自由がまったくないという事実。

私もたぶん,同じような境遇になったら,死にたいと願うほうでしょう。

「それでも生きて」と言われたとしても,周囲の人たちに迷惑をかけている自分,やりたいことを何一つできていない自分に絶望することでしょう。

 

なってみなければわかりません。

もしかしたら,生きたい,生きたい,生きたい!という本能のようなものが湧いてくる可能性だってあります。 

現時点で想像できるとすれば,私もこの“被害者”の方のように,早く死なせてほしいと願うかなぁと感じています。

 

安楽死尊厳死の議論は,どんな専門家であっても,決着を見ることはないでしょう。

本人にしかわからない価値観,本人が抱く死生観,その上で,サポートする周囲の人びととの関係性なども複雑に絡み合う問題です。

そこに経済的な事情が加わるなどすれば,さらに複雑になってきます。

 

のほほんと生きさせてもらっている現在の私個人の意見として,批判覚悟で言うならば,自ら選択ができるようになってもいいと思います。

とはいえ,遺された人たちのことを思えば,簡単にはいきません。

手続き云々もさることながら,遺族のその後の心理状態に多大に作用します。

それを抜きにして「早く死なせて」と簡単に主張することは,私にはできません。

 

人の死というものは,そう簡単には受け入れられないことです。

ファンでなかった私でさえ,三浦春馬さんの突然の死は衝撃的すぎました。

このALSの女性の死も,自分だったら…と考えさせられた人も多いはずです。

それが,ましてや自分の身近で展開されるとなると,遺された人たちへのダメージは相当大きいことは想像に難くありません。

共通するのは「自ら死を選択した」ということ

このお二人に共通するのは,いずれも「自ら死を選択した」ということです。

ですが,その方法も状況もまったく違うものです。

 

『終活』というワードが世に出回るようになって久しいですが,それとは違った,『もしも活』も必要になるのかなと考えています。

 

もしも自分がこのような事態に陥ってしまったとしたら。

家族がこのような事態に陥ってしまったとしたら。

考えたくないけど,考えておかなければならないのかな,と。

 

そう思っていた矢先,このような記事を見つけました。

toyokeizai.net

白血病で亡くなった高校生のワイルズさんのブログ「ワイルズの闘病記」を軸に,亡くなった人が書き遺したものとの向き合い方が述べられています。 

故人のサイトだから対話できないかといえば、そんなことはない。当時のままの筆者がそこに存在している。自分のいない未来に対して声を上げているなら、耳を傾けてみるのは後ろめたい行為ではないはずだ。

享年17歳の闘病ブログが10年後の今も残る意味 | ネットで故人の声を聴け | 東洋経済オンライン

ワイルズさんが亡くなった後は,ご両親が引き続き更新していたようです。

遺された人は深く悲しみ,自問し,逝った人を思う

この3件を眺めて思うのは,遺された人が深く悲しみ,自問し,逝った人のことを考えているということです。

 

三浦春馬さんは,共演者やスタッフ,そしてもちろんファンの慟哭が,あらゆる方面から伝わってきます。

 

ALSの女性は,お父様がどこかの報道機関のインタビューを受けていましたが,家族として,たとえ本人が望んだとしても,勝手に殺されたも同然ですから,憤りを感じないわけがありません。 

 

ワイルズさんは,ご両親にとって一人息子だったようですし,失った悲しみは計り知れません。

亡くなった当時は高校生。

そのお友達がご自宅の祭壇を囲んで,彼を偲ぶ会食をしている写真などが載せられていました。

 

「ひとりじゃない」

「あなたのことを思っているよ」

 

私もがんのとき,よくこんな励まし方をされてきました。

と言われても…

自分のことで精一杯だし,自分の人生だから,自分のことは自分でなんとかしたいし,自分で決めたい。

 

他者が自分のことを思ってくれているなんて想像する余裕はありませんでした。

迷惑かけたくなくても,迷惑がかかっている。

その人の時間を奪っている。

そんな罪悪感というか,自責というか。

 

ここまで書いてきましたが,今回はうまくことばがまとまりません。

ただ,誰かが必ず自分のことを思ってくれている。

その人のために生きる,という選択肢があってもいいのかなと思います。

 

「自分のことなんて,誰も考えちゃいないよ」

私はそう思うときがありました。

 

それでも,この世の中に誰か一人は,必ず,必ず,必ず,いるはずです。

「そういう人だって,関わった日にゃ,迷惑かかってるでしょ」

私はひねくれているので,さらにそう思ったりもしました。

 

ですが,最近ではこう思うようにしました。

 

迷惑をかけることができるくらい,自分は尊い存在だ

 

ここでは,王様とか,エライ社長とか,そんな上位の概念と「尊い」というワードを結びつけます。

上位の人は,迷惑をかけても無条件でサポートしてくれる人がいるでしょう?

王様=尊い,そんな考え方。

 

自己肯定感が低いと,その考えと現実とのギャップに凹まされることもあるかもしれません。

しかしながら,私の場合は,意外とその言葉に脳が騙されてくれたようです。

 

誰かがどこかで見てくれているのだから,簡単に死ぬわけにはいきません。

その選択肢は,できることなら「生きる」一択のみでありたいものです。

できれば,「誰かのために,尊い自分が生きる」というオプションも加えておくといいかもしれません。

 

その相手が誰かはわからなくても。

無駄に過ごした1日は,誰のものでもなくやっぱり私の1日

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今回も過去の日記を掘り起こしてみます。

 

2008年7月25日の日付です。 

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「テレビ写りたい?」

センターに着くなり,植松医師から声をかけられる。 

鹿児島ローカルの放送局が取材に来ていた。

 

CTの画像を一緒に見ながら,医師と患者のやりとりを撮影。 

取材クルーからいくつかインタビューを受けた。

 

彼らも“よかったですねぇ…”と驚いていた。

約2ヶ月で,差が歴然としているんだもん。

すごいね! すごい!

 

「ね! ホントすごい!」


いや先生,あなたがすごいのよー!

…植松医師,やや苦笑。

 

そんな会話をそばで聞いていたクルーが,目を白黒させて,唖然としていた。

「昨日のCT見たときが,ホント嬉しそうな顔してたよね」

えー,先生が嬉しそうにしていたからだよー。

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この取材はたしか,NHK鹿児島放送局の夕方のニュース素材だったと記憶しています。

 

「昨日のCT」というのは,腫瘍が消えてなくなったことを確認した日のことです。

(過去記事:イマジネーションの力を使わない手はない

 

そろそろ治療もおしまい,という頃でした。

友だちとのおしゃべりのような和気あいあいとした関係を目にしたNHKのクルーは,時折,キョトンとした表情を見せていました。

 

2か月もの間,自分の住む場所以外に滞在するということがなかったので,すべてが新鮮で,伸び伸びと過ごしていたら,もはやクリニックの住人のようになっていました。 

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「今回の治療で,仕事をクビになっちゃったらしいんで,なんか仕事あったらまわしてあげてください」

先生がお願いしてくれていた。

 

わたし,鹿児島で仕事することになるのー?

ははは。

あてにはしていないけどね。

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この10日くらい前に,派遣で勤めていた会社から契約を解除されました。

6週間だった予定が8週間に延びたことで,「それでは受け入れられない」と通達されたことを,派遣会社のマネジャーから知らされていました。

このことは,また改めて別の記事に書いてみるつもりです。

 

その知らせを電話で受けた日は,「仕事辞めさせられた」と半べそかきながら治療に行ったのでした。

「なーーんだ,仕事くらい,いっくらでもあるじゃーん」

先生は涼しい顔をします。

 

でも,そんなことがあったことをちゃんと憶えていてくれて,冗談でもこんな心配をしてくれることが,とても笑えて,そしてとても嬉しかったです。

 

この撮影の後は,いつもどおりの点滴と照射のメニューへ戻りました。

 

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CTと放射線の照射の機械とその他諸々が,同時に1つの部屋に集まるなんて,見たことも聞いたこともない。

テレビのクルーも,部屋の広さに驚いたらしい。


ここには世界に一つしかない設備があるんだ。

単なる放射線医療,よくある標準的治療では決して得られない,その付加価値を求めて,全国各地からがん患者がやってくるのだ。

 

わたしの付加価値はなんだろう?

ありあまるお金を払ってもらえるだけのものを,わたしは持っているのだろうか。

わたしは真のプロフェッショナルになれるのだろうか。

わたしは何のプロフェッショナルなのだろうか。

わたしは本当にプロフェッショナルになれるのだろうか。


世界に一つだけの,超一流のプロたちによる,四次元ピンポイント照射。

わたしのがん治療も,そろそろ終盤だ。

次はわたしが超一流になる番なんだ。

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なんだかカッコよさげなことを書いていますが…

それから12年,真のプロフェッショナルと言えるものは手にできていません。

 

何をやっていたんだろう。 

未来に向かって船をこぐ

ちょっと凹んでしまいました。

いろいろとやってきましたが,何も実になっていない,身についていない,そんな感触です。

 

せっかく生かして,生きさせてもらっているのになぁ。

アラフィフといわれる年代になり,まだまだ甘い人生観だったのだと痛感しています。

 

「あなたが無駄に過ごした1日は,今日死んだ誰かが生きたかった1日かもしれない」 

 

そんな名言のようなものがあります。

そうかもしれません。

1日を大事に生きないと,生きられなかった人もいるというのに。

 

ですが。

私の1日は,やっぱり私の1日です。

 

私の無駄は,誰かにとっては無駄ではないかもしれない。

超一流とか,真のプロフェッショナルとか,そうした表現は後づけであって,すなわち結果論。

 

過ぎていった日は戻らないから,これからの残りをきちんと丁寧に生きていけばいいだけのこと。 

それが,お世話になった人たちへの最大の恩返しなのでしょう。

 

生きていれば,そんなことを悩む日さえやってきます。

それでもやっぱり,その人の人生は誰にも邪魔されるべきではないと,私は思うのです。

Tちゃんの生きた証

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鹿児島での乳がんの治療中,Tちゃんという女の子と知り合いました。

この過去記事↓の半ばに登場する「Tちゃん」です。

(過去記事:樹木希林さんと同じ治療を受けた私が「全身がん」に関する記事を読んで思うこと

「検査のために入院しているというTちゃんも、そのときすでに乳がんの末期でしたが、「先生、腰が痛いよ」と言って照射してもらっていたと話してくれました。」

 

私は提携先の病院に入院していましたが,治療期間の途中で転院しました。

そのときに同室になりました。

いくつか年下で,長いまっすぐな黒髪が印象的な子でした。

 

彼女も乳がんで,検査のための短期入院,2泊3日と言っていました。 

UMSオンコロジークリニックで治療をしたのは,手術と抗がん剤治療を別の医療機関で受けた後だったそうです。

 

腰の骨に転移していて,「腰が痛いよ」と植松先生に訴えて,照射してもらっていて,それが終わると,スーッと痛みが消えていったといいます。

 

筑紫哲也さんもそうでした。

痛みを取ることのほうに集中したというお話でした。

(過去記事:植松稔著『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』レビュー3

 

Tちゃんは,「抗がん剤もやったよ」と話してくれました。

 

あれは,「抜ける」んじゃない。

「もげる」

 

そう表現していました。

 

目の前にいる綺麗な女の子の姿からは想像もできないことでした。

黒髪が背中の中央あたりまでまっすぐ伸びていて,顔色も良く,検査結果を伝えに来た医師と,普通に立って話しています。

 

暇な時間には,お互いのことをいろいろ話しました。

 

「お寺に通ってた時期があるんだけど,もういいや!つって頭剃って行ったのね。

 そこのお坊さんが『思い切ったねー!!』つって爆笑してた」

 

ほんと,思い切りましたねー。

 

…と思ったのですが,お寺に通っていたということは,彼女なりに救いを求めていたのかな,とふと考えてみたりして。

 

「なんか胸にあるなと思ってたけど,気づかないふりしてた」

 

そんなことも言っていたことを憶えています。

 

もっと早く見つけていれば。

気づかないふりなんてしないで,早く検査してもらえばよかった。

 

そんな後悔があったのかなと想像してしまいました。

Proof of existence for T-chan

 

断片的にしか彼女の話は憶えていないのですが,転院して早々,同じ治療を受けていて,しかも同年代ということもあって,仲良く話しました。

とはいえ,連絡先を交換する間もなく,私がクリニックへ出かけている間に,彼女は退院していきました。

 

クリニックでTちゃんのことを話すと,看護師Kちゃんも「彼女もおもしろいでしょー」という反応を示しました。

友達になった大阪のHちゃんと同時期に治療していたらしいことも,知りました。

Hちゃんも同様に「Tちゃん,おもしろいよね」と言っていました。

 

 

 

半年後,Tちゃんが亡くなったことを聞かされました。

 

 

そこまで悪い状態だとは,まったく思っていませんでした。

別の病院で治療を受けた後にUMSオンコロジークリニックに来て,治ったのだとばかり思っていました。

 

そんなことはまったく知らず,すべての治療が終わって3か月ごとに鹿児島へ検査のために通っていたとき,看護師Kちゃんに尋ねました。

守秘義務があるからあまり言えないんだけど…と前置きした上で,話せる範囲で,Tちゃんのことを少しだけ聞かせてくれました。

 

私と会った時点で彼女はすでに末期であったこと。

亡くなる直前に,おつき合いしていた人と結婚したこと。

そして,眠るように息を引き取ったということ。

 

筑紫哲也さんの場合と同様に,すでに手立てのないステージとなっていて,本人は痛みと闘っている状態だったのです。

QOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)を高める目的で治療を受けていたのでした。

 

元気そうに見える人でも,どこかに不調を抱えていることは往々にしてあります。

とはいえ,彼女はそこまでのことを感じさせないくらいの佇まいで,私は楽しくおしゃべりさせてもらいました。

 

少しだけしか話せなかったけれども,彼女の人生の一部に加わることができました。

 

私の話すことに笑ってくれていたが,彼女を楽しませることはできたのだろうか。

何か,彼女に失礼なことは言わなかっただろうか。

彼女と話していて,笑顔の奥にどこか遠いものを感じる瞬間があったけど,それは自分の人生の終わりを見据えていた人が発する距離感のようなものだったのか。

 

こうして10年以上が経って振り返ってもなお,私は自分のことしか考えていませんね。

Tちゃん,ごめんなさい。

 

私に今できることは,Tちゃんという女性がこの世に存在していたことを書き残すことくらいです。

 

彼女が「気づかないふりしてた」と言ったことを伝えることくらいです。

 

何かのご縁があって,このブログを読んでいる人へ。

あなたに「これって,がん?」と思う異変があるのなら,このTちゃんの話を思い出してください。

 

そして,早く検査を受けてください。

納得のいく治療法を見つけて,しっかり治してください。

彼女の分まで生きてください。

 

それが彼女の生きた証になるのです。

「がんになったくらいでおとなしくなるな」【疾病利得だったのかも】

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がんにかかった2008年当時に書いていたブログの下地となる日記を読み返していたら,走り書きというか,メモ書きのようなものを見つけました。

 

どこかで読んだ本の抜書きらしいです。

しかし,著者の名前もタイトルも控えてありません。

丸パクリにならないよう,自分が書いたものではなく,引用として載せてみます。

『疾病利得』

病気になることで得をする。

病気が生きがいになる。

↓↓↓

・休息できる

・困った問題を棚上げにできる

・自分への要求度を下げられる

・人の期待に応えなくてすむ

・辛い環境からしばし逃げられる

・周りからやさしくしてもらえる

・自分を罰することで納得できる

 

[これらを手放すには]

※病気を道具に使うのではなく,他の手段を使って,病気から得られていたのと同じ利益を得る工夫をする。

※割に合わないと自覚する

※治った先の人生,どんな毎日を送りたいかというイメージを持つ。病気が治ったとき戻る場所がつらいものならば,潜在意識はやっぱり治ることを拒否するかもしれない。

 

がんになったくらいで、おとなしくなるな

(某氏の某著書より)

がんになったのは,誰かにかまってほしかったからかもしれない

 「私ががんになったのは,誰かにかまってほしかったからなのかな」

たまにこう思うのです。

 

人を信じられず,人に頼ることのできない性格。

自分に自信がないせいで,他者を裁くような考え方。

当然,そんなことでは誰も近づいてくれません。

 

ですが,病院という場所は,患者を分け隔てなく平等に扱ってくれます(たぶん)。

 

最初に入院した病院で,巡回してくる看護師さんのワゴンには,PCが備えつけられていました。

 

たまたま,その電子カルテの画面を見たら,「知的能力が高く,治療やケアの協力に積極的」と書かれているのが見えました。

「えー,私,知的能力が高いんだー♪」と嬉しくなりました。

 

…言いたいのはそこではありません。

余談が過ぎました。

 

この画面を見て,私のことをきちんと観察し,私という患者について理解しようとしてくれている,世話をしてくれるということに,とてつもない感動を覚えたのです。

 

最初に入院したがん研有明病院(当時の表記は 癌研有明病院)は,その前年に大塚から移転したばかりで,とてもきれいな新築の建物。

高い天井の病室は間口も広く,何から何まで行き届いていた,快適な環境でした。

お見舞いに来てくれた人たちはみな,「すごくきれい」「いいなぁ」「私が入院してた▲▲病院なんてホント汚くて〜」と,口を揃えて言います。

 

まさしく3食昼寝つき。

誰も私のことを責めたりなじったりする人はいません。

スタッフのみなさんがやさしく接してくれます。

 

初めて入院したのが,そんな環境でしたから,私のどこかにある潜在意識の中の何かが,「あんなに幸せな空間はない,ずっとあんなふうに接してもらいたい」と思ったのかもしれません。

がんになったくらいでおとなしくなるな

「人生でこんなにやさしくしてもらったことはなかった 」

京都アニメーション放火事件の犯人が,自らも全身やけどで入院し,病院のスタッフからの施しを受け「人生でこんなにやさしくしてもらったことはなかった」と感謝したといいます。

 

彼のこの発言をニュースで知ったとき,涙が出ました。

それまで,何一ついいことのなかった人生だと彼は思っていたのでしょう。

もちろん,犯人のしたことは絶対に許されるべきではなく,私は彼をかわいそうだとも思いません。

 

ですが,この発言には共感してしまいました。

自分のような人間でも,手を差しのべてくれる人がいるということ。

整った環境で治療を受けさせてもらえること。

それのなんとありがたいことか。

 

とはいえ,それに甘えてばかりではいられません。

本当に病気を治したいのか,治りたいのか,そこにフォーカスすると,「ずっと病気のままでいたい」という人は少ないと思うのです。

疾病利得という概念

最初に手術を受けたとき,1週間くらいの入院で済んだのですが,言葉にこそ表さないものの,私の潜在意識は,『疾病利得』を存分に味わったのでしょう。

・休息できる

・困った問題を棚上げにできる

まさに,仕事を休みたい・辞めたい,だけど生活のこともあるからできないと悩む毎日。

人の下について働くということが向いていないと思い続けていました。

・自分への要求度を下げられる

・人の期待に応えなくてすむ

・辛い環境からしばし逃げられる

高度な要求や期待をされていたわけではありませんでしたが,頼まれたことをきっちりやらなければという,自分を脅迫するような仕事の仕方をしていました。

・周りからやさしくしてもらえる

難病であればあるほど,周囲の人からは,腫れ物に触るかのような扱いを受けるようになります。

・自分を罰することで納得できる

 「私が○○したからバチが当たったんだ」「私が●●なことを言ったから病気になったんだ」と,私も自分を責めて罰してきていました。

 

病気になると得をする,許される,快適に過ごせる。

私のカラダのどこかが,こんな勘違いをしてしまったから,子宮頸がんの再発と乳がんを引き起こしたのだと,今では考えています。

 

ちょっとスピリチュアルな言い方になってしまいました。

でも,私はこれまでもこのブログで書いてきましたが,スピリチュアルなものは遠ざけています。

天使が,先祖が,守護霊が,といったことは好きではありません。

 

とはいえ,医学的に『疾病利得』という概念が存在するというのです。

そもそも,こちらのほうが先で,上に書いた本は,医学用語から発展させた著者の思想を書いたものだったのでしょう。

 

「まず,『侵害刺激』があると『痛み行動』が出ますよね。そして,『痛み行動』に報酬が出ると,『痛み行動』が強化されるということですね。痛いと訴える,痛そうな顔をする,じっとしている。そうすると,優しくしてもらえたり,お金が出たりすると。そうやって『痛み行動』が強化されて,抜け出せなくなるサイクルがあるんです」  

痛いと得をする「疾病利得」で痛みが定着することも:日経ビジネス電子版

そうすると,私ががんになったのも,もしかすると,カラダがそういう反応をしていた可能性があるのかもしれません。

 

私のことを誰もわかってくれないと思っていた。

そのせいなのか,たまたまなのか,子宮頸がんが見つかった。

そのときの入院生活が快適すぎた。

その後もずっとつらいことばかり。

また病気になれば,あのときのように誰かがかまってくれる。

そして子宮がんの再発と乳がんの発症。

がんになるのはやっぱり割に合わない!

ですが,やはり割に合わないのです。

誰かに頼りっぱなしで,自分の手で切り拓き,自分の脚で歩くということをしない人生なんて,なんともったいない。

 

入院生活は,誰かに管理されている生活でもあります。

自分自身のことを自分自身で管理できなくてどうする。

「生きよう」「あきらめるな」とか,熱く拳を握るつもりはありません。

淡々とであろうと,自分の人生を生きなければ,生まれてきた意味がないと思うのです。

ここで伝えたいのは,病気になった事実から,自分の生き方を省みるきっかけになればいいよね,ということなのです。 

 

子宮頸がんが再々発したのは,乳がんの治療がさらに快適すぎたからかもしれません。

もちろんそれは,『疾病利得』の概念を通して見た,私の甘えが再々発を引き起こしたという,単なる素人である私の浅い発想に過ぎないこともつけ加えておきます。

 

『疾病利得』の概念をこの本で知ったとき,「一刻も早く,ここから脱出しなければ」と決めました。

再々発の手術で入院した病院では,設備も古く,一部のスタッフや患者さんとの折り合いも悪く,何よりも開腹手術というダメージを受けました。

だからこそ,「もう,二度とこの状態には戻らない」と固く決意することができたのです。 

※病気を道具に使うのではなく,他の手段を使って,病気から得られていたのと同じ利益を得る工夫をする。

※治った先の人生,どんな毎日を送りたいかというイメージを持つ。 病気が治ったとき戻る場所がつらいものならば,潜在意識はやっぱり治ることを拒否するかもしれない。

どんな手段を使って,どんな毎日を送りたいか。

これをイメージするのは,なかなか大変です。

それまでの自分の領域にないものですから。

 

私は,イメージというか,「またこの病院に入院するようなことにはなりたくない」と思いながら,1か月半の入院生活を過ごしてきました。

その前の病院に戻ることも,もちろんあり得ない。

 

おとなしく病気のことだけを考えるような日常にはしたくない。

退院したらしたいことを考えたりしていました。

習い事をしようか,旅行へ行くならどこにするか,資格の勉強でもしようか,そんなことばかり考えていました。

 

がんになったくらいで、おとなしくなるな

「おとなしくなるな」という言葉を,私は「楽しいことだけをやる」と解釈することにしました。

他にも様々な解釈の仕方はあるでしょうが,私はあえてこうしました。

 

治ったら,もっと楽しいことが待っているのです。

二度と,あのつらい毎日には戻りたくありませんし,戻りません。

 

治った先にある人生が,自分の納得できるものであるという選択をしなければ,本当の治癒・寛解は望めないのかもしれません。

おとなしくしてはいられません。

もっと違う世界があることを知って,頭の中を楽しいことで埋め尽くしていきましょう。

まさか家庭ごみが捨てられないなんて【ごみ集積所を設置しないのは行政の怠慢だ】

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ごみを捨てる場所がありません。

集積所が撤廃されてしまったのです。

ここ1年,我が家のごみは,ごみ処理センターに直接持っていって処理しています。

 

なぜこんな事になったのか,かなり頭にきているので書いてみます。

首都圏郊外の新興住宅地に引っ越してきた

2017年,私たち夫婦は家を買いました。

首都圏郊外の新築建て売り一戸建てです。

 

私自身はどちらかというと賃貸派で,できることなら,一生賃貸住宅で暮らしたいと思っていました。

ですが,夫は,やはり男の甲斐性を見せたかったのでしょうか。

買うと言って聞きません。

 

当初は中古マンションを探していたのですが,同じ値段なら建売の新築一戸建てが買えることがわかり,探し始めました。

なんとか私たちの予算で買える物件が見つかり,住み始めました。

都内へのアクセスもまあまあ良く,新宿や丸の内などの都心へは,1時間もあれば行けるでしょうか。

 

建売住宅が8〜10軒ほど建ち並ぶエリア,我が家はわりと早いうちに転居してきました。

引っ越してきた当時は,2軒分ほど歩いた先に,ごみ集積所がありました。

といっても,どこかの地主が『ご厚意』で提供している場所で,簡単な枠が作られ,ネットを掛けられているだけの場所でした。

 

長年,ご近所一帯はそこにごみを捨てていたようです。

もともと住んでいたお宅も数軒ありましたが,新興住宅地として,やがて新しい町内会の班が形成されました。

我が家も,その新しい班の中に加わることになりました。

ごみ集積所を撤廃するから話し合ってどうにかしろ

住み始めて1年ほどが経ったある日,町内会からお知らせが来ました。

「地権者の都合でごみ集積所を撤廃するから,利用者たちで話し合ってどうにかしろ」と言うのです。

 

地主が土地を売って宅地にでもするんだろうということは,すぐに察しがつきました。

なぜこんな,地域住民のことを考えないことを平気でするのだろうと思いましたが,地主の『ご厚意』でやっていたことなので,文句は言えません。

 

さて,班で集まり話し合いが持たれました。

その結果,各世帯からお金を出し合って集積所に置くカゴを買い,Aさんのお宅の前に置かせてもらうことになりました。

Aさんは一人暮らしのおばあさん。

敷地の範囲としては,我が家の一部がAさん宅の隣ということになっています。

 

ところが,運用開始当日になって,Aさんから使用NGが出たというのです。

おばあさんからではなく,遠方に住む息子さんからだといいます。

なんじゃそりゃ?

住んでもいないのに,なぜ口を出す?

掃除や片づけなどは,使用するメンバーで担当するのに。

おばあさんには迷惑をかけず,通りに面した1m四方にも満たない場所に,それよりも小さなカゴを2つ置くだけなのに。

 

仕方なく,Aさんの向かいのBさんが,駐車スペースが空いているから使っていいと,急遽申し出てくれました。

ですが,このBさんも,数か月後には「やはり使わないでくれ」と言い出したではありませんか。

ごみカゴをカラスが突くのを見て,嫌な気分になったそうです。

なんだかなぁ。

 

じゃあどうするか?

また話し合いの場が持たれました。

結局,班のメンバーが順番で敷地内にカゴを設置することになりました。

2週間交替で,ごみカゴ設置当番を回すというのです。

行政の怠慢だ

我が家の敷地にごみカゴを置くスペースがない

しかし。

ここで問題発生。

我が家は,通りから玄関まで,クルマ1台分とヒト1人が通れる幅で,普通車2台分を駐められる長さがあります。

ここにごみカゴを置くと,自家用車を出せなくなってしまいます。

 

毎朝クルマを出すわけではありません。

ですが,いざというときにごみカゴがあると,いちいちどけて,ごみを入れ直して…という作業をしなければなりません。

それに,クルマを駐める位置をずらしたとしても,住人である私たちが少し不便です。

郵便や宅配も,このスペースを奥まで歩いて,玄関まで届けてくれます。

 

お隣さんのスペースをお借りすることも考えましたが,それだと上下関係ができてしまいます。

 

ごみを置かせてもらっている

ごみを置かせてやっている

 

それはフェアではありません。

 

我が家はそういう事情があると訴えましたが,年1回まわってくる当時の班長のリーダーシップも低く,全然ちっともまとまりません。

結局,ごみカゴを置かない世帯は,直接ごみ処理センターへ持ち込むということで収めようことになりました。

ごみカゴを置く世帯は,最終的に3軒だけとなりました。

 

それは別にいいのです。

我が家はごみが少ないので,燃やすごみなど,2週間に1回くらいの頻度で出せば事足りています。

ごみ処理センターに持っていくのも,出した帰りに買い物に行けばいいし,曜日や時間帯を考えなくて済むので,別に問題にしていませんでした。

 

生ごみは,家庭用の生ごみ処理機を使っているので,水気や臭いはまったく気になりません。

 

ところが。

このコロナ下(“禍”ではなく,あえて“下”と書きます)で,ごみ処理センターが家庭ごみを受けつけてくれなくなったのです。

さあ,困りました。

 

燃やさないごみ,特にペットボトルや食品トレーなどの資源ごみは,スーパーのリサイクルボックスに持っていけばよかったのです。

ですが,燃やすごみとなると,どうにもなりません。

悩んだ結果,お隣さんに菓子折りを持って頭を下げに行き,ごみを入れさせてもらうことをお願いしました。

 

幸い,それは6月の1か月間だけで終わり,翌月からは,入場者数の制限はあるものの,また家庭ごみの受付が再開されました。

ごみ処理センターが燃やさないごみの受付をしなくなった

ところが。

今度は,ごみ処理センターが,燃やさないごみの受付をしなくなったのです。

もっと離れた別の処理センターでしか受け付けなくなりました。

 

お皿を1枚割ってしまったら,たったその1枚のために,またクルマを出して遠方まで捨てに行かなければならなくなったのです。

 

これはコロナのせいではなく,ごみ処理センターの改修が始まるからだといいます。

また近年,家庭ごみを持ち込むクルマで行列・渋滞が発生するようになり,ごみ処理センター周辺の住民から苦情が相次いでいるためでもあるそうです。

  

知らんがな!

 

なぜ家庭ごみを持ち込むクルマが増えたのか。

行政は,そこを考えたことがあるのでしょうか。

 

町内会に加入しないとごみを回収してもらえないシステムがおかしいと私は思うのです。

 

税金を払っている住民が,税金で成立しているはずの公共システムを利用できず,しかも住民まかせ。

そして町内会費まで払っているのに,町内会すら「みんなで話し合ってくれ,介入はしないが,手続きには行ってやるけど」みたいなお気楽ぶり。

代案を出すこともなく,町内会役員の地域担当の年配男性は,上から目線の曖昧な相づちをするのみ。

管轄清掃事務所に尋ねた

そこで,管轄の清掃事務所に出向いて,一個人,一住民として訊いてきました。

「地域のために」などという,そんな公共心なんて,これっぽっちもありません。

あくまで,我が家の一大事,我が家のために行ったことです。

 

我が家のエリアのこの件にとても詳しい方がいて,最初から最後まで,事情をよくご存知でした。

 

まず,かつてのごみ集積所は,当時の地主が『ご厚意』で場所を提供していただけであって,それを行政がお願いしたわけでもなければ,設置を維持するような行政指導はしないし,できない。

 

売却された土地を新しく取得した住宅供給会社に,集積所を設置する義務はない。

 

大きなごみ集積ボックスが設置されているエリアもあるが,5棟以上をまとめて売り出すにあたり,住宅供給会社が努力項目として設置するのであって,それが販売価格にも含まれている。

 

今回の我が家の場合,2〜3棟ずつ売り出された集合地域であったため,そうしたボックスが設置されていない。

 

また,我が家のような狭い入口に,1軒分だけのごみを置いて収集してもらうようなことも,行政ではしない。

あくまで,町内会単位で,だいたい5軒以上を1つの単位として収集作業する。

 

また,上で書いたAさんは,最近,認知症が現れ始めたので,どこかの施設に移ったため,お宅を近日中に取り壊すことになるが,その跡地を利用することも難しいだろう。

 

これらの認識を確認したうえで,では,我が家はどうすればいいのか,相談に乗ってもらいました。

 

私なりに考えたのは,カラスよけネットを設置し,なるべく壁寄りにごみを置くという案でした。

その案はいいけれど,1軒分だけというわけにはいかないと言うのです。

 

Aさんのような独居老人や,身体の不自由な方がいる世帯などは,登録の上で回収しに行く行政サービスがあるそうですが,我が家はそれには該当しません。

 

結局,現在ごみカゴを当番制で設置している3軒の中に加えてもらい,我が家のときだけは,ネットで対応するのがベストだろう,ということになりました。

 

清掃事務所の職員の方が親切でよかったです,ホッとしました。

 

こうした住人の声が,どこからどこまで,どう行政に届いているのか知りません。

ですが,こんなことから,ごみを出せない住民がいて,それがごみ処理センター周辺の渋滞を引き起こしている。

 

普通に生きているうえで必ず出てくるごみが,家庭の近くで捨てられないなんて,異常です。

ならば,その根本原因を探るのも,行政の仕事のひとつではないでしょうか。

 

捨てられない事情があるから,ごみ処理センターまでわざわざ直接持ち込んでいる。

ガソリン代と時間と労力を使い,清掃作業員に「こっちじゃねーだろ!」と罵倒されながら,重いごみを処理場に投げ込む。

本来ならば,手軽に捨てられるはずの場所もないがために,なぜこんな目に遭わなければならないのでしょうか。

 

行政が運営するごみ集積所があればいいのです。

町内会費なんて,ごみを捨てる場所を使わせてもらうために払っているようなものです。

特に,我が家は子どももいませんし,子どものいない世帯は他にも数軒あるので,子ども会のための出費など,ただの寄付状態になっています。

 

子ども会活動への寄付は構いませんが,それ以外の何の機能も利用していない町内会,加入する必要性が私にはわかりません。

回覧板がきても,役立つようなことなど何一つ書かれておらず,「老人会がありました」程度の記事ばかり。

 

こうした考えの人は,今後増えてくると思うのですが,それだと町内会に入っていないためにごみを捨てられないことになってしまいます。

しかも我が家は,町内会費を払っているにもかかわらず,ごみが捨てられないのです。

 

クルマを運転できるうちはまだいいでしょう。

ですが,クルマが故障したとか,運転できなくなるなどの事情が発生したら,どうなるのでしょうか。

だったら,会費を払っているコミュニティに仕事をしてもらうよう,発破をかけるしかなくなったというわけです。

町内会の担当役員も仕事しない

さて,ネットを買うのも自腹です。

近日中に,町内会の地域担当役員が,取りまとめをしてくれるらしいです。

そのお願いをするために,電話をしましたが,この担当者もまた,どうにも上から目線の,話が通じない,頭の固い年配男性です。

 

オレはこの町のことをなんでも知っていると言わんばかりにタメ口です。

「ああ,うんうん,そうね,そうじゃないのー?」

馴れ馴れしい。

対応できない曜日と時間帯を伝えておいたのに,私がいない日に平気でやって来て,「奥さんいる?」と夫に尋ねたといいます。

 

話,聞いてましたか。

ちゃんと仕事してください。

 

やっとどうにか,我が家のごみ問題は決着できそうではありますが,この担当役員とのやり取りがもうしばらく残されています。

それを思うだけで,本当にムカムカしてきます。

あともう少し,ここが踏ん張りどころです。

 

たった10軒足らずの世帯がこんなにも困っていたことを,行政が把握して対処してくれることなど,今後もないのでしょうね。

早くお金を貯めて転居するのが,今の私の野望です。 

デリカシーのない人【やっぱり誰にでもがんだと話すべきではない】

前回の記事はこちらから読めます↓  

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子宮頸がんを告知されたとき,親しくしていた友人から受けた,デリカシーのない発言について書いてみます。

 

Mさんは,面倒見がよくて,誰からも頼られる人でした。

私も,そう思っていました。

 

同い年で,恋愛話などもしていて,とても仲良くしている間柄でした。

あるとき,私はMさんに,こんな昔話をしました。

 

Mさんに話した元彼とのエピソード

かつてのおつき合いした人と一悶着あり,お別れしました。

彼は,新しい彼女を作ったのですが,その彼女が,どういうわけか私の電話番号を知り,何度か電話をかけてきました。

自分のことを自分の名前で言うような女性でした。

 

「彼とはぁ〜,『彼女には幸せになってほしいよねっ』なんて話してるんですぅ〜」

などと,よくわからないことをわざわざ報告してきます。

 

ほんの些細な誤解が解けないまま別れたことを悔やんで疲れて果てていた私に,そうやって新しい彼女アピールを吹っかけてこられたのですから,ますます傷の痛みは倍増です。

他にもエピソードはありましたが,ここでの本筋ではないので省略します。

 

結果から言うと,その彼女,実はとんでもない浮気者のサセコちゃんで,彼はただ遊ばれていただけだったようでした。

私もいろいろと誤解があったことを数か月かけて話し合い,元の鞘に収まりました。

 

そのときの,浮気女の名前を,ジュン(仮名)といいました。

デリカシーのない人

結局,その彼とも再び別れ,数年が経ちました。

 

あるサークルの中で,冒頭に書いたMさんと知り合って仲良くなりました。

打ち解けていろいろと話すうちに,このいざこざについても話しました。

Mさんは,一通り話を聞いた後,笑いながらこう言いました。

 

「ジュンって,私の弟と同じ名前」

 

たしかに,男性でも女性でもどちらでもある名前です。

 

今でこそ,結婚して,この彼との一件はなんとも思わなくなりましたが,それでもこの名前を聞くと,いまだにどこかでムッとする自分がいます。

子宮がんだと話したらとんでもない答えが返ってきた

さて,さらに数年が経ちました。

 

私は子宮頸がんを告知されました。

 

まさか自分が。

どうして?

どうしたらいいんだろう?

 

過去の記事では,がんであることを伝える相手は選んだほうがいいという趣旨のことを書いています。 

(過去記事:がんになったことを友人にカミングアウトすべきか【相手を選ぼう】

 

ですが,告知されたばかりのこのときは,パニックになっていて,身近な人に自分ががんを告知されたことを話してしまっていました。

 

当時の私は,思慮が浅く,とにかく誰かに助けてほしかったのです。

初めて突きつけられた重大な事実に打ちのめされるばかりでした。

その話した人たちの中に,Mさんもいたのです。

 

Mさんに言いました。

どうしよう,私,子宮がんだって。

 

聞かされたMさんはすごく驚いて,心配していました。

 

ちょうどその当時,「子宮頸がんはウイルス感染による発症の可能性が高い」というニュースが,世間に広がり始めていました。

 

HPV(ヒトパピローマウイルス)に感染することが,子宮がん発症の原因とされているというのです。

このHPVは,性的接触による感染が多数を占めることから,「子宮がんは男遊びが激しい女がかかるものだ」といった偏見を生んでいます。

 

もちろん,それは誤った見方です。

米国に興味深いデータがあります。18〜25歳の女性3262人を対象にHPVの罹患率を調べた研究があり,それまでの性交渉の相手が1人だけの女性の14.3%にHPVが検出されたのです。この論文では,結論として「ただ一人の男性しか知らなかったとしてもHPV罹患率は高い」としています。

「子宮頸がんは性感染症」が生む偏見 | 実践!感染症講義 -命を救う5分の知識- | 谷口恭 | 毎日新聞「医療プレミア」

自分のことについては,ここで深く掘り下げて書くつもりはありませんが,少なくとも私の立場は,こうした偏見に大変迷惑を感じている一人であるということは述べておきます。

 

話は戻ります。

 

そうした説があるらしいという話をMさんにしました。

子宮がんって,ウイルスが原因かもしれないんだよね,と。

なぜ開口一番にその名を出すのか

 

子宮がんって,ウイルスが原因かもしれないと話したら,Mさんは笑いながらこう言いました。

 

 

 

「え? ジュン? ジュン?」

 

 

 

笑ってる…

しかも,忌まわしいあの名前を,何度も繰り返し私に言ってる…

頭が真っ白になりました。

この後,Mさんとどんな会話をしたのか,もう憶えていません。

 

 

彼女は何が言いたかったのでしょうか。

 

 

私の子宮頸がんは,かつての元彼が一時期つき合っていた女性・ジュンがとんでもないサセコちゃんであり,そのジュンのHPVが彼を経由して私に感染したからではないのか,という意味だったのです。

 

そして,その名前がたまたま,自分の弟と同じ名前であったという,彼女から見たおかしさに笑ったのでしょう。

 

もちろん,彼女は,そこまで言葉にして私に説明してはいません。

 

ですが,私が「子宮がんはウイルス感染でかかる可能性があるらしい」と告げた瞬間,開口一番に出たセリフが,「ジュン?」だったのです。

 

ただでさえ,がんを告知されてパニックの精神状態の相手に,笑いながら,HPVに感染していたのかということを問うとは。

しかも,聞きたくない名前まで出して。

 

デリカシーも何もあったものではありません。

もしかしたら,彼女は別に,私のことを友だちと思っていなかったのかもしれませんね。

Mさんと一切の連絡を断つ

その日を境に,彼女からの連絡を断ちました。

理由も言いたくなかったので,電話もメールも一切無視しました。

 

無視された訳がわからないMさんは,入院先をどこかから聞きつけ,お花を持ってお見舞いに行ったそうです。

窓口にお花だけでも預けて帰ろうとしたらしいのですが,その病院ではお花のお見舞いは禁止だったため,受け取ってもらえなかったようです。

行き違いで,その日に退院したこともあって,私も病院側からは何も知らされていません。

 

術後の体調も落ち着いた頃,電話が来ました。

 

私は,自己満足のための謝罪は受け入れないことにしています。 

(過去記事:自己満足のための謝罪は不要です【誠意すら受け入れられないこともある】

とは言え,共通の知人も多いことから,このままだと周囲にも迷惑が及ぶと思い,一度会って,私が会わなかった理由を話しました。

 

Mさんは,泣きながら謝ってきました。

ですが,なぜそんなことを言ったのか,まるで憶えていないようでした。

 

友だちががんと知って,自分までもパニックになったとか?

いいえ,そんなことは言っていませんでした。

ただ,ごめんなさいと言い続けていただけでした。

 

そのMさんとは,今は付き合いがありません。

後に私が結婚してメールアドレスを変えた際に,変更のお知らせメールを送ったら,アドレス不明で返ってきました。

 

以降,連絡の取りようもなく。

やっぱり,そこまでのお付き合いだったのでしょう。

 

クドイようですが,がんになって誰かに頼りたくなっても,病気のことを話す相手は,本当によく吟味すべきなのです。

がんを告知されたら,慌ててパニックになるかもしれません。

ですが,どうか落ち着いて,冷静になることを最優先させてください。

余計なことで傷ついて,さらに消耗しないためにも。

集中力を持続させるためにやっていること【たった3分】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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どうすれば,集中力を深く,長く持続させられるでしょうか。

 

私が通信制大学の学生であることは,以前にも何度か触れました。

 

社会人になると,勉強の時間がなかなか取れません。

短い,しかも,限られた時間の中で本を読んだりレポートを書いたりするには,集中力をグッと上げて,しかもそれを保たなければなりません。

 

私は,集中するまではダラダラグダグダしてしまうのですが,一旦集中すると,マッハで深く集中を持続させ続けることが得意です。

 

そこで,私なりの集中力の高め方,持続の方法を書いてみます。

ここでは「勉強法」ではなく,「集中する」ということに特化します。

集中力を深く持続させる方法

ほとんどの科目レポートが一発合格

私が学ぶ大学では,教科書や参考文献を読んで勉強し,与えられた課題でレポートを提出します。

直接大学に行って授業を受けるスクーリングもありますが,大多数の科目は,このレポートを提出することが必要となります。

レポートが合格し,さらに試験を受けて,それが合格して初めて,単位取得となります。

 

これまで私は,20科目以上のレポートを提出してきました。

そのうち,3回以上提出してやっと合格したのが2科目,2回めで合格した科目が5科目,それ以外はすべて1回で合格しました。

 

わりと順調に合格できているのではないかなと思っています。 

(思うところあって,ぼんやりとした書き方しかしていません,申し訳ないです)

 

科目によっては,なかなか合格できずに放棄してしまうという人もいるようです。

ですが,必修科目になると,合格して単位が取得できなければ卒業できません。

卒業するという目標を決めたからには,何が何でもクリアしなければならない関所です。

 

そんな状態でも,心折れることなく,集中して勉強しなければなりません。

といっても,大げさなことは何もありません。

ほんの数分だけやる

「ほんの数分だけ,やってみる」

これだけです。

 

それに向かって動こうとすること自体,カラダが動かないんだよ…

そんなとき,「それは甘えだ」と言う人もいます。

 

そういう考え方もあるでしょう。

しかしながら,体調や気分によっては,どう奮い立たせようとしても,動けないときは動けない。

「甘えだ」という人は,動けなくなったことのない,優秀な人なのでしょう。

 

そんな優秀な人には,自分の思うようにならない人の痛みはわかりません。

生まれてからずっと誰にも甘えたことのない素晴らしい人生を歩んでこられたのでしょう。

動けるまで待つ

動けないときは,動けるまで待てばいいのです。

 

私は子宮頸がんの再発と乳がんが同時に発症する約1年前,休日はずっとふとんの中にいたことが何日もありました。

モラハラを受け続けて,自分が自分じゃなくなったような精神状態が何か月も続いていた毎日でした。

 

今思えば,うつ病の一歩手前だったのかもしれません。

仕事もズル休みしたりして,24時間ずっとふとんの中という日々が続いていました。

それでも,自力でふとんから出られる瞬間がありました。

 

トイレに行くときです。

そのときだけは,どうにか立ち上がって動くことができました。

すると,そのついでにキッチンに移動し,何か食べられるものを少しだけ食べることができていたのです。

 

誰にも頼れず,お金もないけど,幸い,どうにかまだ,生きることを諦めていない自分を確認することができていました。

 

このときのことはまた別の機会にでも書けたら書いてみます。

動けたついでの3分

話がそれてしまいました。

 

トイレに行くことで動けるのなら,そのついでに3分だけ,集中したいことをやってみましょう。

読もうと思っていた本を手にとって,目次だけでも眺めるのです。

 

ここで大事なことは,「3分だけは,これ以外のことを何も考えない」と決めることです。

力む必要もありません。

たった3分です。

 

よく,こんなときに「好きなゲームは時間を忘れて集中できるはずだ」と例えられます。

それはたしかにそうですが,集中しなければならないシーンというわけではないはずです。

 

それは「結果として」集中できたのではないでしょうか。

 

そうではなく,「集中すべきこと・集中したいことに向かい,集中しようとしても集中できない」のだから悩むわけです。

スルッとそれに入れて,それが深く長く持続できたら,本当にいいだろうになぁ,と。

 

「短い時間に,1つのこと以外は考えないと決める」

これだけでいいのです。

途中でやめると続きが気になる心理

そして,ここで出てくるのが「ツァイガルニク効果」です。

ちょっとだけ着手してやめると,中途半端になってしまいます。

しかし,途中でやめると,完全にやり終えるよりも「これを終わらせよう」とする心理が働きます。

これを利用するのです。

 

いろんな誘惑があります。

スマホやテレビなどのニュースや記事,これは本当に強い誘惑です。

 

ですから,ぜひ電源を切っておきましょう。 

これくらいの犠牲はあってもいいと思います。

 

その上で,「3分だけは,これ以外のことを何も考えない」と決めることです。

たった3分です。

集中と集中の間が間延びしないように注意

その3分と3分の間ができるだけ間延びしないように注意しましょう。 

せっかく集中できていたのが元の木阿弥です。

 

私の体感としては,3分やって1分休む,3分やって1分休む,くらいのペースから始めればいいように感じます。

 

そうしたら,ちょっと疲れたかも…と思えるまで,それを繰り返します。

やっていくうちに,実は5分経っているかもしれません。 

 

3分どころか,1分半しかできなかったという人もいるかもしれません。

それならそれでもOKです。

そのうち2分になっていき,3分になり,と増えていけばいいのです。

 

冒頭で自分のことを「一旦集中すると,マッハで深く集中を持続させることが得意」と書きました。

しかし,これが120分ずーっと集中を保っていられるかと言ったら,そうではありません。

 

3分なり,5分なり ,20分なりの細切れの寄せ集めによって,深く長く集中を持続させることができているのです。

世の中には,120分でも300分でも,ずっとずーっと集中できる人もいるのかもしれません。

ですが,残念ながら,私はそんな超人ではありません。

 

集中とは,他のことに意識を振り回されることなく,目の前のことだけに取り組むこと。

だとすると,「3分だけは他のことを考えない」と“決める”,これでいいのです。

 

こうした細切れの寄せ集めで十分なのです。

あとは自分のペースができてくるはずです。

 

こうして私は,通信制大学の勉強を,限られた時間の中で密度濃く集中して続けています。