生きた証をつらつらと 〜2つのがんを同時に患いました~

直径10cm・転移3か所・ステージIIIの乳がんを切らずにUMSオンコロジークリニックで治療し、子宮頸がんも4度の手術で温存して12年が経っても、まだ息をしている女の生き方

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「がんになったくらいでおとなしくなるな」【疾病利得だったのかも】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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がんにかかった2008年当時に書いていたブログの下地となる日記を読み返していたら,走り書きというか,メモ書きのようなものを見つけました。

 

どこかで読んだ本の抜書きらしいです。

しかし,著者の名前もタイトルも控えてありません。

丸パクリにならないよう,自分が書いたものではなく,引用として載せてみます。

『疾病利得』

病気になることで得をする。

病気が生きがいになる。

↓↓↓

・休息できる

・困った問題を棚上げにできる

・自分への要求度を下げられる

・人の期待に応えなくてすむ

・辛い環境からしばし逃げられる

・周りからやさしくしてもらえる

・自分を罰することで納得できる

 

[これらを手放すには]

※病気を道具に使うのではなく,他の手段を使って,病気から得られていたのと同じ利益を得る工夫をする。

※割に合わないと自覚する

※治った先の人生,どんな毎日を送りたいかというイメージを持つ。病気が治ったとき戻る場所がつらいものならば,潜在意識はやっぱり治ることを拒否するかもしれない。

 

がんになったくらいで、おとなしくなるな

(某氏の某著書より)

がんになったのは,誰かにかまってほしかったからかもしれない

 「私ががんになったのは,誰かにかまってほしかったからなのかな」

たまにこう思うのです。

 

人を信じられず,人に頼ることのできない性格。

自分に自信がないせいで,他者を裁くような考え方。

当然,そんなことでは誰も近づいてくれません。

 

ですが,病院という場所は,患者を分け隔てなく平等に扱ってくれます(たぶん)。

 

最初に入院した病院で,巡回してくる看護師さんのワゴンには,PCが備えつけられていました。

 

たまたま,その電子カルテの画面を見たら,「知的能力が高く,治療やケアの協力に積極的」と書かれているのが見えました。

「えー,私,知的能力が高いんだー♪」と嬉しくなりました。

 

…言いたいのはそこではありません。

余談が過ぎました。

 

この画面を見て,私のことをきちんと観察し,私という患者について理解しようとしてくれている,世話をしてくれるということに,とてつもない感動を覚えたのです。

 

最初に入院したがん研有明病院(当時の表記は 癌研有明病院)は,その前年に大塚から移転したばかりで,とてもきれいな新築の建物。

高い天井の病室は間口も広く,何から何まで行き届いていた,快適な環境でした。

お見舞いに来てくれた人たちはみな,「すごくきれい」「いいなぁ」「私が入院してた▲▲病院なんてホント汚くて〜」と,口を揃えて言います。

 

まさしく3食昼寝つき。

誰も私のことを責めたりなじったりする人はいません。

スタッフのみなさんがやさしく接してくれます。

 

初めて入院したのが,そんな環境でしたから,私のどこかにある潜在意識の中の何かが,「あんなに幸せな空間はない,ずっとあんなふうに接してもらいたい」と思ったのかもしれません。

がんになったくらいでおとなしくなるな

「人生でこんなにやさしくしてもらったことはなかった 」

京都アニメーション放火事件の犯人が,自らも全身やけどで入院し,病院のスタッフからの施しを受け「人生でこんなにやさしくしてもらったことはなかった」と感謝したといいます。

 

彼のこの発言をニュースで知ったとき,涙が出ました。

それまで,何一ついいことのなかった人生だと彼は思っていたのでしょう。

もちろん,犯人のしたことは絶対に許されるべきではなく,私は彼をかわいそうだとも思いません。

 

ですが,この発言には共感してしまいました。

自分のような人間でも,手を差しのべてくれる人がいるということ。

整った環境で治療を受けさせてもらえること。

それのなんとありがたいことか。

 

とはいえ,それに甘えてばかりではいられません。

本当に病気を治したいのか,治りたいのか,そこにフォーカスすると,「ずっと病気のままでいたい」という人は少ないと思うのです。

疾病利得という概念

最初に手術を受けたとき,1週間くらいの入院で済んだのですが,言葉にこそ表さないものの,私の潜在意識は,『疾病利得』を存分に味わったのでしょう。

・休息できる

・困った問題を棚上げにできる

まさに,仕事を休みたい・辞めたい,だけど生活のこともあるからできないと悩む毎日。

人の下について働くということが向いていないと思い続けていました。

・自分への要求度を下げられる

・人の期待に応えなくてすむ

・辛い環境からしばし逃げられる

高度な要求や期待をされていたわけではありませんでしたが,頼まれたことをきっちりやらなければという,自分を脅迫するような仕事の仕方をしていました。

・周りからやさしくしてもらえる

難病であればあるほど,周囲の人からは,腫れ物に触るかのような扱いを受けるようになります。

・自分を罰することで納得できる

 「私が○○したからバチが当たったんだ」「私が●●なことを言ったから病気になったんだ」と,私も自分を責めて罰してきていました。

 

病気になると得をする,許される,快適に過ごせる。

私のカラダのどこかが,こんな勘違いをしてしまったから,子宮頸がんの再発と乳がんを引き起こしたのだと,今では考えています。

 

ちょっとスピリチュアルな言い方になってしまいました。

でも,私はこれまでもこのブログで書いてきましたが,スピリチュアルなものは遠ざけています。

天使が,先祖が,守護霊が,といったことは好きではありません。

 

とはいえ,医学的に『疾病利得』という概念が存在するというのです。

そもそも,こちらのほうが先で,上に書いた本は,医学用語から発展させた著者の思想を書いたものだったのでしょう。

 

「まず,『侵害刺激』があると『痛み行動』が出ますよね。そして,『痛み行動』に報酬が出ると,『痛み行動』が強化されるということですね。痛いと訴える,痛そうな顔をする,じっとしている。そうすると,優しくしてもらえたり,お金が出たりすると。そうやって『痛み行動』が強化されて,抜け出せなくなるサイクルがあるんです」  

痛いと得をする「疾病利得」で痛みが定着することも:日経ビジネス電子版

そうすると,私ががんになったのも,もしかすると,カラダがそういう反応をしていた可能性があるのかもしれません。

 

私のことを誰もわかってくれないと思っていた。

そのせいなのか,たまたまなのか,子宮頸がんが見つかった。

そのときの入院生活が快適すぎた。

その後もずっとつらいことばかり。

また病気になれば,あのときのように誰かがかまってくれる。

そして子宮がんの再発と乳がんの発症。

がんになるのはやっぱり割に合わない!

ですが,やはり割に合わないのです。

誰かに頼りっぱなしで,自分の手で切り拓き,自分の脚で歩くということをしない人生なんて,なんともったいない。

 

入院生活は,誰かに管理されている生活でもあります。

自分自身のことを自分自身で管理できなくてどうする。

「生きよう」「あきらめるな」とか,熱く拳を握るつもりはありません。

淡々とであろうと,自分の人生を生きなければ,生まれてきた意味がないと思うのです。

ここで伝えたいのは,病気になった事実から,自分の生き方を省みるきっかけになればいいよね,ということなのです。 

 

子宮頸がんが再々発したのは,乳がんの治療がさらに快適すぎたからかもしれません。

もちろんそれは,『疾病利得』の概念を通して見た,私の甘えが再々発を引き起こしたという,単なる素人である私の浅い発想に過ぎないこともつけ加えておきます。

 

『疾病利得』の概念をこの本で知ったとき,「一刻も早く,ここから脱出しなければ」と決めました。

再々発の手術で入院した病院では,設備も古く,一部のスタッフや患者さんとの折り合いも悪く,何よりも開腹手術というダメージを受けました。

だからこそ,「もう,二度とこの状態には戻らない」と固く決意することができたのです。 

※病気を道具に使うのではなく,他の手段を使って,病気から得られていたのと同じ利益を得る工夫をする。

※治った先の人生,どんな毎日を送りたいかというイメージを持つ。 病気が治ったとき戻る場所がつらいものならば,潜在意識はやっぱり治ることを拒否するかもしれない。

どんな手段を使って,どんな毎日を送りたいか。

これをイメージするのは,なかなか大変です。

それまでの自分の領域にないものですから。

 

私は,イメージというか,「またこの病院に入院するようなことにはなりたくない」と思いながら,1か月半の入院生活を過ごしてきました。

その前の病院に戻ることも,もちろんあり得ない。

 

おとなしく病気のことだけを考えるような日常にはしたくない。

退院したらしたいことを考えたりしていました。

習い事をしようか,旅行へ行くならどこにするか,資格の勉強でもしようか,そんなことばかり考えていました。

 

がんになったくらいで、おとなしくなるな

「おとなしくなるな」という言葉を,私は「楽しいことだけをやる」と解釈することにしました。

他にも様々な解釈の仕方はあるでしょうが,私はあえてこうしました。

 

治ったら,もっと楽しいことが待っているのです。

二度と,あのつらい毎日には戻りたくありませんし,戻りません。

 

治った先にある人生が,自分の納得できるものであるという選択をしなければ,本当の治癒・寛解は望めないのかもしれません。

おとなしくしてはいられません。

もっと違う世界があることを知って,頭の中を楽しいことで埋め尽くしていきましょう。

デリカシーのない人【やっぱり誰にでもがんだと話すべきではない】

前回の記事はこちらから読めます↓  

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子宮頸がんを告知されたとき,親しくしていた友人から受けた,デリカシーのない発言について書いてみます。

 

Mさんは,面倒見がよくて,誰からも頼られる人でした。

私も,そう思っていました。

 

同い年で,恋愛話などもしていて,とても仲良くしている間柄でした。

あるとき,私はMさんに,こんな昔話をしました。

 

Mさんに話した元彼とのエピソード

かつてのおつき合いした人と一悶着あり,お別れしました。

彼は,新しい彼女を作ったのですが,その彼女が,どういうわけか私の電話番号を知り,何度か電話をかけてきました。

自分のことを自分の名前で言うような女性でした。

 

「彼とはぁ〜,『彼女には幸せになってほしいよねっ』なんて話してるんですぅ〜」

などと,よくわからないことをわざわざ報告してきます。

 

ほんの些細な誤解が解けないまま別れたことを悔やんで疲れて果てていた私に,そうやって新しい彼女アピールを吹っかけてこられたのですから,ますます傷の痛みは倍増です。

他にもエピソードはありましたが,ここでの本筋ではないので省略します。

 

結果から言うと,その彼女,実はとんでもない浮気者のサセコちゃんで,彼はただ遊ばれていただけだったようでした。

私もいろいろと誤解があったことを数か月かけて話し合い,元の鞘に収まりました。

 

そのときの,浮気女の名前を,ジュン(仮名)といいました。

デリカシーのない人

結局,その彼とも再び別れ,数年が経ちました。

 

あるサークルの中で,冒頭に書いたMさんと知り合って仲良くなりました。

打ち解けていろいろと話すうちに,このいざこざについても話しました。

Mさんは,一通り話を聞いた後,笑いながらこう言いました。

 

「ジュンって,私の弟と同じ名前」

 

たしかに,男性でも女性でもどちらでもある名前です。

 

今でこそ,結婚して,この彼との一件はなんとも思わなくなりましたが,それでもこの名前を聞くと,いまだにどこかでムッとする自分がいます。

子宮がんだと話したらとんでもない答えが返ってきた

さて,さらに数年が経ちました。

 

私は子宮頸がんを告知されました。

 

まさか自分が。

どうして?

どうしたらいいんだろう?

 

過去の記事では,がんであることを伝える相手は選んだほうがいいという趣旨のことを書いています。 

(過去記事:がんになったことを友人にカミングアウトすべきか【相手を選ぼう】

 

ですが,告知されたばかりのこのときは,パニックになっていて,身近な人に自分ががんを告知されたことを話してしまっていました。

 

当時の私は,思慮が浅く,とにかく誰かに助けてほしかったのです。

初めて突きつけられた重大な事実に打ちのめされるばかりでした。

その話した人たちの中に,Mさんもいたのです。

 

Mさんに言いました。

どうしよう,私,子宮がんだって。

 

聞かされたMさんはすごく驚いて,心配していました。

 

ちょうどその当時,「子宮頸がんはウイルス感染による発症の可能性が高い」というニュースが,世間に広がり始めていました。

 

HPV(ヒトパピローマウイルス)に感染することが,子宮がん発症の原因とされているというのです。

このHPVは,性的接触による感染が多数を占めることから,「子宮がんは男遊びが激しい女がかかるものだ」といった偏見を生んでいます。

 

もちろん,それは誤った見方です。

米国に興味深いデータがあります。18〜25歳の女性3262人を対象にHPVの罹患率を調べた研究があり,それまでの性交渉の相手が1人だけの女性の14.3%にHPVが検出されたのです。この論文では,結論として「ただ一人の男性しか知らなかったとしてもHPV罹患率は高い」としています。

「子宮頸がんは性感染症」が生む偏見 | 実践!感染症講義 -命を救う5分の知識- | 谷口恭 | 毎日新聞「医療プレミア」

自分のことについては,ここで深く掘り下げて書くつもりはありませんが,少なくとも私の立場は,こうした偏見に大変迷惑を感じている一人であるということは述べておきます。

 

話は戻ります。

 

そうした説があるらしいという話をMさんにしました。

子宮がんって,ウイルスが原因かもしれないんだよね,と。

なぜ開口一番にその名を出すのか

 

子宮がんって,ウイルスが原因かもしれないと話したら,Mさんは笑いながらこう言いました。

 

 

 

「え? ジュン? ジュン?」

 

 

 

笑ってる…

しかも,忌まわしいあの名前を,何度も繰り返し私に言ってる…

頭が真っ白になりました。

この後,Mさんとどんな会話をしたのか,もう憶えていません。

 

 

彼女は何が言いたかったのでしょうか。

 

 

私の子宮頸がんは,かつての元彼が一時期つき合っていた女性・ジュンがとんでもないサセコちゃんであり,そのジュンのHPVが彼を経由して私に感染したからではないのか,という意味だったのです。

 

そして,その名前がたまたま,自分の弟と同じ名前であったという,彼女から見たおかしさに笑ったのでしょう。

 

もちろん,彼女は,そこまで言葉にして私に説明してはいません。

 

ですが,私が「子宮がんはウイルス感染でかかる可能性があるらしい」と告げた瞬間,開口一番に出たセリフが,「ジュン?」だったのです。

 

ただでさえ,がんを告知されてパニックの精神状態の相手に,笑いながら,HPVに感染していたのかということを問うとは。

しかも,聞きたくない名前まで出して。

 

デリカシーも何もあったものではありません。

もしかしたら,彼女は別に,私のことを友だちと思っていなかったのかもしれませんね。

Mさんと一切の連絡を断つ

その日を境に,彼女からの連絡を断ちました。

理由も言いたくなかったので,電話もメールも一切無視しました。

 

無視された訳がわからないMさんは,入院先をどこかから聞きつけ,お花を持ってお見舞いに行ったそうです。

窓口にお花だけでも預けて帰ろうとしたらしいのですが,その病院ではお花のお見舞いは禁止だったため,受け取ってもらえなかったようです。

行き違いで,その日に退院したこともあって,私も病院側からは何も知らされていません。

 

術後の体調も落ち着いた頃,電話が来ました。

 

私は,自己満足のための謝罪は受け入れないことにしています。 

(過去記事:自己満足のための謝罪は不要です【誠意すら受け入れられないこともある】

とは言え,共通の知人も多いことから,このままだと周囲にも迷惑が及ぶと思い,一度会って,私が会わなかった理由を話しました。

 

Mさんは,泣きながら謝ってきました。

ですが,なぜそんなことを言ったのか,まるで憶えていないようでした。

 

友だちががんと知って,自分までもパニックになったとか?

いいえ,そんなことは言っていませんでした。

ただ,ごめんなさいと言い続けていただけでした。

 

そのMさんとは,今は付き合いがありません。

後に私が結婚してメールアドレスを変えた際に,変更のお知らせメールを送ったら,アドレス不明で返ってきました。

 

以降,連絡の取りようもなく。

やっぱり,そこまでのお付き合いだったのでしょう。

 

クドイようですが,がんになって誰かに頼りたくなっても,病気のことを話す相手は,本当によく吟味すべきなのです。

がんを告知されたら,慌ててパニックになるかもしれません。

ですが,どうか落ち着いて,冷静になることを最優先させてください。

余計なことで傷ついて,さらに消耗しないためにも。

子宮頸がんのことをこのブログであまり書いていない理由

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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2005年に子宮頸がんが見つかったことから,私のがん患者生活は始まりました。

ひょんなことから受ける羽目になったがん検診で,告知されました。

(過去記事:がんが見つかるかるまでの経緯〜子宮頸がん編

 

それから3年後,乳がんの発症と同時に,子宮頸がんの再発がわかりました。

さらに,鹿児島で乳がん放射線治療した後,子宮頸がんが再々発したのですが,最終的にこちらは手術で子宮を温存しました。

 

乳房も子宮も温存することにこだわりました。

その過程で,乳がんは鹿児島で苦痛なく,楽な治療を選びました。

ですが,子宮頸がんは,開腹手術となりました。

 

どちらのがんも鹿児島で治療できればよかったのですが,30代半ばで未婚だったこともあり,妊孕性=妊娠できる機能を維持したい意思が強く,あえなくこのような選択となりました。

 

どちらも温存できたとはいえ,鹿児島で楽しく過ごせたことと,東京の病院での入院・手術とでは,あまりにも違いが大きすぎました。

まだ整理できない

開腹したという事実をどこかでまだ受け入れていないような気がしていること。

入院・手術した病院での1か月半が,あまりいいものではなかったこと。

 

この2点が,このブログで子宮頸がんのことを今でもきちんと書けていない理由かなと,自分では感じています。

 

乳がんの治療が終わった当初,PDTという治療法を見つけていました。

 

PDT(光線力学療法)とは,レーザー光に反応する薬剤を注射し,レーザー照射するというものです。

 

初期の子宮頸がんには著効であるというのですが,光を遮る生活を送らなければいけないというデメリットがあります。

とはいえ,手術によるダメージや抗がん剤の強い副作用などに比べれば,苦痛は軽いものといえるでしょう。

 

このPDTを受けたかったのですが,何時間にも及ぶ検査の末,2回の円錐切除で頸部が短くなっていた私には,適用できないと言われました。

 

この治療法が適用できないとわかると,あとは子宮頸部を極限まで切除する術式しか残されていませんでした。

開腹しない手法でこの手術を行う病院があると聞いて,岡山までセカンドオピニオンを受けにも行きました。

ですが,ここで受けた検査が,なぜかClass1と出てしまい,門前払いとなりました。

 

最後に手術を受けた病院でこのことを尋ねたら,

「それはない。摘出した病巣にちゃんとがんがあった」

と言われました。

 

もう開腹してしまった後だし,検査の方法が甘かったのか,もはや真相はわかりません。

 

また,担当看護師との相性が悪かったことや,同室の患者さんの言動にも,あまり良い思い出がないのです。

 

こうしたことも含め,鹿児島での乳がんの治療が終わってから,子宮頸がん再々発の開腹手術まで2か月半,東京の病院で起きたことはつらいことが多すぎました。

10年以上が経過した今でも,まだきちんと気持ちを整理できていない部分が大きいのです。

 

それだけ,鹿児島の放射線照射による治療がすばらしい,ということでもあるでしょう。

 

今ならもう少し冷静に当時のことを振り返ることができるかな,と思い始めています。 

時薬(ときぐすり)がようやく効き始めています。

 

こうして書くことで少しずつ整理できているのでしょう。

近いうちに子宮頸がんのことも書けるのかなとは思うのですが…

いや,やはり,もう少し時間がかかりそうです。

また植松先生の本をレビューします【抗がん剤治療のうそ】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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もともと本を読むのは好きなのですが,この機会にと,植松先生のご著書をすべて一気に読んでいました。

現在,5冊が出版されています。

 

これまでの記事で『明るいがん治療』のシリーズと『世界初からだに優しい高精度がん治療』をレビューしましたが,あと1冊残っていました。

抗がん剤治療のうそ』については,何度かちょっとだけ書いてはいましたが,レビューらしいことをあまりしていませんでした。

 

今回は,この『抗がん剤治療のうそ 〜乳がんケーススタディとして〜』という本について書いてみます。

 

タイトルからすると「抗がん剤は効かない」「抗がん剤は使うな」という内容のように感じる方もいるかもしれません。

そうではなく,正しくデータを読み解いて,抗がん剤を使うべきときには使い,使わなくてもいいときに無駄に使われないよう,理解を深めましょうというお話がメインとなっています。

抗がん剤治療のうそのレビュー

初版は2012年,私が植松先生のもとで乳がんの治療を受けていたのが2008年ですから,4年後の出版です。

医療は4年もあれば,確実に進歩を続けていることでしょう。

 

進歩のためには臨床試験が必要です。

臨床試験の結果を論文などで示す際には,統計学が使われます。

その統計の手法によって,解釈ががらりと変わってしまうというのです。

それはいったいどういうことなのでしょうか。

 

まず,がんは個人差が大きく千差万別であるということは,先生の他の本でも常に述べられています。

(過去記事:植松稔先生の本を読み直してみました【『明るいがん治療3』レビュー】 ,治療法もさることながら先生の人柄に惚れていました

  

個人差が大きく,ひとくくりにできない病気であるとはいえ,「がん」という病気としては,まずくくらなければなりません。

 

そして,今回のこの本では,抗がん剤がよく効くとされる乳がんを中心として書かれていますが,対象とならないがんの種類がきちんと明示されてあります。

これら以外のがんは,乳がんと同じくらいの効き方であるか,乳がんよりも抗がん剤が効かないといいます。

(参照:『抗がん剤治療のうそ 〜乳がんケーススタディとして〜』植松稔 p.9 ワニブックス

 

その上で,自分のがんが抗がん剤治療の対象となるのかならないのか,そこでまた,判別が必要になるわけですね。

 

この本におけるその判別の手段の一つが,転移や再発です。

 

それまでの医学界では,「臓器転移が見つかってから抗がん剤で治療しても間に合わないから,微小転移のうちに治療する」という考えが主流だったといいます。

 

ですが,植松先生はこう主張します。

過去に行われた臨床試験の結果を正しく解釈すると,乳がん抗がん剤治療やホルモン療法は,『肉眼的な転移』にも『微小転移』にも同様の効果である。だから存在の確認できない『微小転移』を治療すべきではない。はっきりと転移がでてしまってから,その時点でどういう治療をしたらいいかを考えるのが正しい」

(『抗がん剤治療のうそ 〜乳がんケーススタディとして〜』植松稔 p.15 ワニブックス

 

そう言えば,私もすべての治療が終わって,「再発防止のためにはホルモン療法をやったほうがいい」という情報をどこかで読み,植松先生に尋ねたことがありました。

 

「やりたかったらやればー?」

 

おしまい。

 

今では「賢い患者であるべき」と考えてはいますが,あまり詳しく調べすぎるのも頭でっかちになってしまうので,専門的な用語は未だによく知りません。

自分がナントカネガティブだとか,ナントカ陽性のタイプだとか,聞いてもいません。

 

当時からそんな人間でしたから,納得も理解もできないままホルモン療法を受けなくてよかったと,今でも思っています。

ステージⅢで転移もあったのに,10年以上,再発も転移もしていません。

 

やや脇道にそれてしまいました。

何が言いたいかというと,主治医から「ホルモン療法をやるべき」という事実を突きつけられていない以上,やっても意味がないわけです。

それと同じように,目に見えない,あるかどうかもわからない『微小転移』のために抗がん剤を治療すべきではないのです。

 

とかく「がん」に対しては「再発や転移の防止のために」という治療もついて回ります。

それは当然の考えなのですが,受けなくてもよかったかもしれない治療を受けて苦痛を与えられるよりも,今そこにある病気に対しての治療を重視したほうがいいのです。

 

とはいえ,やはり「発見が遅れてしまうのでは」「手遅れになったらどうするんだ」という見方もあるでしょう。

その点に関しても,きちんと論理立てて説明が展開されています。

本当に「微小転移」が隠れている人もいるのですが,そのような人たちも再発・転移がでてから抗がん剤を考えれば十分なのです。

(『抗がん剤治療のうそ 〜乳がんケーススタディとして〜』植松稔 p.76 ワニブックス

臨床試験の結果を正しく理解することで,受けるべき治療と受けなくてもいい治療が明白になるのです。

 

しかしながら,その試験結果の統計手法も,インチキともいうべきルールが適用されているなど,医学統計の闇についても触れられています。

 

私も大学の科目で統計学を少し学びましたが,こうした見方・使い方をすることもできるのかと,逆に関心すらしてしまいました。

 

そして,先生のどの文章もそうなのですが,時おり,詩的な表現が織り交ぜられるのです。

統計学は金融学と同様に,もともとこの世界には存在していなかったものを,人間が数学的手法を使って,自分の都合で勝手に作り上げた一種のアイデアでありルールです。まず,何かしらの仮定を決めて,その上に理論を構築していくゲームのようなものといってもよいかもしれません。

そもそも存在していない基準を,誰かが仮定するところからスタートするのですから,本質的に砂上の楼閣のような危険性を秘めた代物です。けれども,構築された理論が巧みだと次第に信奉者が増え,そのうち誰も正面から否定できなくなってしまう。

裸の王様ならば本人が恥をかいて終わりですが,大きくなったら砂上の楼閣は土台から崩れて人々に向かって倒れてくるかもしれません。

(以上,『抗がん剤治療のうそ 〜乳がんケーススタディとして〜』植松稔 p.144 ワニブックス

こうした文学的ともいえる表現によって,むずかしい医療の世界のことでも,さらに読みやすくわかりやすいというのが,植松先生の文章術なのですね。

 

またどこかから「はいはい,植松教の信者さん,おつかれさまでーす」という声が聴こえてきそうなので,これくらいにしておきます。

 

私も抗がん剤治療を受けましたが,副作用はほぼありませんでした。

そのときのことは,いくつか過去にも書いていますので,よろしければご参照ください。

 

私も最初は「抗がん剤を使うのか…」と,泣きそうになりました。

それは,脱毛や激しい嘔吐などの激しい副作用のイメージが強すぎたからです。

でも,使うべきときに適切なやり方で使われたこの手法なら,安心して受けられると思います。

 

もちろん,誰にでも「抗がん剤,受けちゃいなよ」と勧めるわけにはいきませんが,納得のいく説明をしっかりと受け,とことんまで熟考し,拒否できないのであればその医療機関からは去ったほうがいいでしょう。

 

その熟考のためのヒントが,この本にはいくつも隠されています。

抗がん剤治療のうそ ~乳がんをケーススタディとして~ (ワニブックスPLUS新書)

抗がん剤治療のうそ ~乳がんをケーススタディとして~ (ワニブックスPLUS新書)

賢い患者であるために【お医者さんだって人間です】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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前回に引き続き,2008年7月8日の日記からです。 

『植松時間』

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「さぁて,どうしようか。いつまでいられるんだっけ?」

 

ぇ,先生が今月いっぱいかかるっつったじゃん。

これが噂の植松時間?

ある程度の情報以外はテキトーだって説。

 

「じゃあ,今日から来週月曜まではまた全体にかけましょう。

 来週からピンポイントをやりましょうか」

 

来週からって,のべ15回くらいじゃないですか?

わたしのって数が多くて,間に合うんですか?

「できるよ」

わたしの腫瘍って何個くらいあるんでしたっけ?

「たくさんあるよー。数えらんない」

 

そか。

それよりも,まだ全体にも照射しなきゃならないくらいの数なのか…

 

また痒くなるのぅ…?

やだよぅ…

「うーん,避けては通れないからねぇ。そんなに抵抗感あるのかぁ」

 

点滴もまたやるの…?

「やってく?」

ぇ,やらないよりはやった方が治るんなら,やってく。

「じゃあ,やってってください(にっこり)」

 

隣の処置室に誘導され,シスプラチン再開。

受けるよ,より良く治るんだったら,受けてくよ。

副作用が強いものならやめとくんだけど, 腫瘍が小さくなっている実感を思うと,威力を期待したくなるから。

 

植松医師との会話は,やはり楽しい。

ちぐはぐなような,堅いような,そして自分が賢くなるような異空間。

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いつも診察室で先生のサポートをしている看護師のKちゃんとは,同年代で,よくおしゃべりしていました。

もうひとりの同年代の患者だったHちゃんと3人で一緒にごはんを食べに行ったり,仲良くさせてもらっていて,当然,植松先生の話題になったりもしました。

 

なつかしいな。

Kちゃんも元気にしてるかな。

 

そのときに聞かされていたのが『植松時間』でした。

コアな部分以外は本当に適当で,時間という概念に関してはゆるすぎるくらいだという話。

 

考えてみれば,先生もお忙しい方ですから,患者の一人ひとりがいつからいつまで鹿児島にいるとか,すべてを把握できるわけがないんですよね。

そのあたりは,カルテの記録や看護師さんからの報告,そして患者との会話で再確認することになるわけですから。

ベテラン歯科医ですら確認を忘れていた

話は少し変わりますが,現在,私は歯医者に通っています。

前回の診察までは,『カウンセリング』という位置づけでした。

そして先日,本格的な治療がいよいよ始まりました。

 

詰め物を作り直すのに,歯を削る必要があったのですが,これから始めますという段になって,「次回はレントゲンを撮りましょう」と,カウンセリングのときに言われたことを思い出しました。

 

神経がないなら,麻酔をしなくても済みます。

神経があるなら,麻酔をしないと激痛です。

一大事です。

 

あれ?

先生,レントゲンは?

 

お医者さんだって人間です

  

「あ,そうだった,レントゲン撮るっつってたね」

 

このことを伝えていなければ,きっと激痛に襲われながら歯を削られ,また歯医者ジプシーに逆戻りしていたことでしょう。

 

もちろん,途中で気づいてストップしたでしょうが,ただでさえ歯のこと全般にトラウマのある私。

(過去記事:歯医者さんがオススメするTePeの歯ブラシ

 

加えて,歯の痛みというものは,簡単には言い表せませんから,想像しただけでも恐ろしい。

 

詰め物が取れたまま放置していた治療痕がむき出しのままで,そこに神経がないと先生は思い込んでいたようです。

それまでセカンドオピニオンを受けた歯医者さんで診てもらって神経があることを確認していることを,私は伝えました。

 

「痛くないの? 本当に神経あるの?」

そう何度も訊かれるくらいのむき出しぶりでしたから,歯科医師として,神経がないという見立てだったのでしょう。

 

私は,歯医者さんとのやり取りの中で「本当に神経あるの?」「あるんですよ,これが」と,何度も押収したのが強いインパクトとして残っていたので伝えることができました。

 

もちろん,先生はベテランの歯医者さんですし,経験からくる先入観というものもあるのでしょう。

そこは素人が責めるべきではないと,私は思います。

『賢い=頭がいい 』ばかりではない

今回のタイトルに『賢い』という表現を用いましたが,『賢い=頭がいい』とか,東大王とか,そうしたイメージをしがちです。

 

そうではなく,自分の人生に責任を持つためには,自分のことを一番知っていなければならないという意味です。

そして,自分でさえも知ることのできない部分を教えてもらい,治してもらうのがお医者さんの仕事だと,私は思うのです。 

 

がんに限らず,治療という行程に身をおくことになるのなら,本当に病気を治せる最後の砦は自分自身の管理にあるのではないでしょうか。

 

お医者様だって人間ですから,伝え方も失礼のないように伝えなければなりません。

相手はプロなのですから,敬意の念は持つべきです。

崇め奉るのではなく,実直に疑問や事実,自分の認識を伝えればいいだけだと思います。

 

それで傷つけられるようなら,誤解は解くべきだし,わかり合えないなら去る。

それだけのことです。

つらいけど。

 

患者としては,病に襲われた不安から,相手を傷つけるような発言をしてしまうかもしれません。

ですが,それはお医者さんだって同じで,診断の内容とは関係ない部分で患者を傷つけてしまう可能性もあるわけです。

 

人間対人間ですから。

記憶が苦手ならメモで身を護る

記憶力に自信がなければ,メモを取っておくなどして,小さなことでも把握しておきましょう。

「そーんなこともわからないのー?」なんてことは,お医者さんは言わないはずです。

もしも,そんなことを言う医師に出会ってしまったら,診察室から即刻退室しましょう。

 

患者としても,お医者さんからの情報はきちんと憶えておきましょう。

素人である限り,少しでも疑問に思ったことは医師に伝えないと,万が一,間違った認識のまま治療が進められてしまえば,痛い目に遭うのは患者です。

 

自分を守るためにも,賢くあるべきなのです。 

治療法もさることながら先生の人柄に惚れていました

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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治療当時に書いていたブログの下書きである日記が,まだ手元に残っています。

この中からピックアップして,UMSオンコロジークリニックで治療していた日常を思い返す『UMSオンコロジークリニックでの入院生活をほじくり出そうシリーズ』です。

 

今回は2008年7月8日の日記です。

当時の名称はUASオンコロジーセンターといいました。

 

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いつも照射は15:00から。

なのに,連絡によると“30分遅く来て”とのこと。

言われたとおり15:30に出向き,治療室の前室で待っていたら,点滴担当の看護師さんが呼び戻しに来た。

昨日までで治療が一段落しており,今日からどうやっていくか,植松医師が話したいという。

皮膚の状態を見た先生,「こうして見ると,意外と大したことなくなってるね」 だけど、焼けた部分はさらに黒くなり,そして,ほろほろぼろぼろと皮が剥けまくってしまった。

痒みは大分おさまってきたけれど… 嫁入り前なのに,きちゃない。

くすん。

「だーいじょーぶ。 半年や一年たったら“嫁入り前”に戻るから!」

ぅ,ぅ,うん…

先生の口からそのフレーズ聴くのってビミョーな心理。  

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鹿児島で治療を始めてから丸1か月が経ったくらいです。

 

過去のこの記事の1枚目の写真の頃です。

blueguitar.hatenablog.comおかげさまで“嫁入り前”の状態に戻りましたし,翌年には嫁にも行きました。

 

過去の日記を読み返してみました


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同じ病気のMさんも,最近になって痒くなってきたらしい。

焼け具合いや痒みは,わたしと全然違って皆無だと話していた彼女。

場所が違うから,照射する角度なんかも違ってくんのかな? とかなんとかMさんと話していたんだけど。

「Mさんも痒いのが出てきて,ほんっと個人差あるよねぇ」 と感心する植松医師。

実はMさんもわたしも,治療の範囲や線量はあまり変わらないそう。

著書の前書きにも『がんはほんとにいろいろです』 と著しているくらいだから,熱のこもった口ぶり。 

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このときの先生のご著書とは,『明るいがん治療』のことです。

これ以降に出版された本でも,がんは本当に個人差が大きいことを何度も言われています。

『がん』とひとくくりにできないのです。

別の著書,たとえば『世界初からだに優しい高精度がん治療』でも,このように述べられています。

一人の患者さんの身体の中の,一つのがんの塊の中でさえ,がん細胞はこれほどに複雑なのですから,ましてや他人のがんなど,たとえ同じ病名がついていたとしても,まったく違う性質を持った,別の病気といえるかもしれません。

「同じ病名がついていれば誰の病気もみな同じ」という前提で出来ているガイドラインなどに縛られてがんの治療していくことは,本当にむなしいことだと思います。

(『世界初からだに優しい高精度がん治療 ピンポイント照射25年間の軌跡』植松稔 pp.51-52 方丈社)

この日の日記は,まだ続いています。

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先生,あのね,ここらへん,たま~に『ずきゅーんっ…!』って痛くなるときがあるの。

鋭利な刃物で一突きされたようなのが,一日に一回くらいの割合で。

 

「へぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。

本人にしかわかんないもんだからねぇ。

細胞が破れたりとかしてるんだろねぇ。

そぉなんだぁ」

 

がんと一口に言っても、痛みも似たものはないようだ。 

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先生の口ぶりはいつも,どこか他人事でもありました。

もちろん,ぶっきらぼうというわけでもなければ,そんなの知らん!という態度でもなく,知らないことには責任が持てないという姿勢です。

 

その口調がまた,なんともおもしろおかしく感じられてしまう,不思議な先生なのです。

  

看護師さんと生理痛の話になったときなど,「だってボク,なったことないからわかんないもん」と真顔で言われてしまいました。

そりゃそうだよね〜と,看護師さんと顔を見合わせて笑うしかありません。

 

ところで,私は,子宮頸がんではこの治療は選択しませんでした。

未婚だったので,妊孕性=妊娠できる機能は維持しておきたかったのです。

放射線照射は卵巣機能を停止させるので,妊孕性維持には向いていません。

 

電話で子宮頸がんの再々発を報告したときも「放射線でやればいいじゃん」と勧めてくださいましたが,子宮頸がんに関してはやむなく手術を選択しました。

 

結婚はしましたが,紆余曲折あり,最終的に妊活はやめました。

その間もアドバイスをもらったりしていました。

 

UMSオンコロジークリニックでの治療がすべてだ!という気はありません。 

そのあたり,『植松教』と卑しい揶揄をする人からみれば,私はその宗教には入信していないことになりますが,どうなんでしょう。

 

とはいえ,鹿児島での2か月,ほとんどストレスなく治療を終えることができましたが,この植松先生のお人柄によって乗り切ることができたと言っても過言ではありません。

治療法もさることながら,医師として最大限の努力と奉仕を惜しまないプロフェッショナルな意識と,憎めないかわいらしいキャラクター。

 

尊敬する人は誰かと尋ねられたら,私は植松先生のお名前を挙げます。

その点を鑑みれば,やはり私は植松教の信者なのかもしれません。

 

というか,そういう価値観なんてどうでもいい。

わかる人だけわかればいいし,本物を知らない人は遠吠えしていればいいのです。

私はずっと,先生の味方でいたいと思っています。

 

さて,植松先生,治療が終わったらデートしてくれる約束,まだ果たしてませんよ。

樹木希林さんとか南果歩さんみたいな有名人じゃないけど,一緒に飲んだりしてくれるかな。

ごちそうしてくれるって言ったじゃない。

もう忘れちゃってるだろうな。

私ももうかなりおばちゃんになっちゃったけど,まだ間に合うかな。

 

また楽しくおしゃべりしたいよ,先生と。

主治医と患者としてでなく,人間対人間として。

イマジネーションの力を使わない手はない【怪しいと思われてもいい】

前回の記事はこちらから読めます↓ 

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怪しいと思われるかもしれないことを覚悟で書きます。

2008年,鹿児島のUMSオンコロジークリニックで放射線治療を受けていたときに起こった,不思議なできごとを書いてみます。

自己治癒力の医学

その数年前,イメージ療法に関する本を読みました。

『自己治癒力の医学 実録・イメージ療法の勝利』というタイトルです。

今も手元にありますが,初版が1989年という古い本です。

 

現在は絶版になっているようです。 

イマジネーションの力によって,脳腫瘍を治したというアメリカの男の子の治療記録です。 

自己治癒力の医学(表紙)

自己治癒力の医学(裏表紙)

この本に登場するギャレットくんは,9歳のときに脳腫瘍が見つかり,手術は不可能であると告げられました。

両親は健康管理の専門家であり,難病患者とその家族に接する仕事をしていました。

加えて,近親者が相次いでがんで亡くなったことをきっかけに,がん関連の書籍を読み始めます。

そのなかで,がんに心理療法が有効な面があることを確信しました。

そして,カリフォルニア大学で放射線治療を勧められ,すぐにそれが開始されます。

 

ギャレットくんと共著者のポーター博士は,治療を宇宙戦争に見立て,腫瘍を小惑星という設定にして攻撃するというシナリオを作り,テープに録音して聴いていました。

 

途中経過で,探検隊の設定に脚本が書き直され,腫瘍までたどり着く迷路を進み,おびただしい数の白血球が腫瘍を攻撃してやっつけるというイメージを使うようになります。

 

そして1年ほど経過したとき, 「敵のイメージが浮かんでこない!」と父親に報告し, CTで見てみると,腫瘍が消えていたというのです。

 

家族や周囲の人たちの支援体制も充実していたのですが,最終的にはギャレットくんの脳腫瘍は完治しました。

 

いろいろな設備や環境に恵まれていたギャレットくんのケースではありますが,この本をヒントに,私も使える部分は使ってみようと考えたのです。

魔法少女のイメージで治療に臨む

どういう経緯でこの本を読もうと思ったのかはもう憶えていません。

たまたま,がんを告知されるさらに何年も前に読んでいました。

乳がんの治療が始まる頃,ふと,この本のことを思い出し,自分なりに実践してみようと思い立ちました。

治療中に実践した自己流イメージ療法

クリニックの地下にある治療施設では,ベルトコンベアのような台に寝て,それが機械の下に移動し,また次の機械の下に移動し…という流れで治療が行われます。

 

私の腫瘍に対するイメージは,思春期の頃の自分。

誰も助けてくれない。

ひとりぼっち。

甘えているし,だけど成長したい,なんとかしたい。

中学のときの制服を着て体育座りでうずくまっている。

 

機械の上に横になって,放射線が当たっているときは,腫瘍に光が射しています。

すると,セーラー服の私に七色の光が注がれます。

そうすると,魔法もののアニメのように,きらきらきらーっと変身していくのです。

 

ミンキーモモとか,クリーミィマミとか,ひみつのアッコちゃんとかみたいに,華麗にかわいく。

自分がアニメの魔法少女が変身するときのイメージを思い浮かべていました。

 

的確な映像が見つからないのですが,近いのはこんな感じでしょうか。


Mary Bell Transformation

13歳の自分をイメージしようと決めたわけではありませんでした。

なぜかいつも,中学の制服を着た私が体育座りでうずくまっている姿が頭の中に描き出されるのです。

  

理由はわかりません。

 

まあいいやと思いながら,13歳の私に魔法がかけられ,キラキラしたものが降り注ぐようなイメージを思い描いていました。

 

美しいレディに生まれ変わるようなイメージも加わります。 


Minky Momo transformations

私は乳がんで,脇の下にも転移があったので,腕をバンザイした状態で受けていました。

呪文は唱えていません。

 

ほんの15分の間,目を閉じて,バンザイして,キラキラ,キラキラ。

 

とにかく,毎日毎日,セーラー服で膝を抱えてうずくまっている13歳の私に,キラキラ変身パウダーが振りかけられます。

 

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。

 

いつの間にか,治療が始まるときに13歳の私が出現することは当たり前になっていました。 

13歳の私がいなくなった日,腫瘍が消えた

約2ヶ月の治療があと2週ほどで終わろうとしていたある日。

 

治療室に入りながら,「さあ,今日も13歳の私が…」と,いつものように脳内が準備を始めました。

 

しかし。

 

登場しないのです。

13歳のセーラー服の私は“こんにちは”とも言わないのです。

どこを探してもいません。

おかしいな,いつもの場所にいない。

すっかり行方不明,挨拶もなしに出ていってしまいました。

 

すると,通りを掃き掃除しているおじさんがいたので尋ねてみました。

13歳くらいのセーラー服を着た女の子がいませんでしたか。

 

おじさんは答えました。

「ああ,その子なら,“もう私は大人になったの,だからもう帰ってこないわ”って言って,あっちに行ったよ」

 

え。

そうなの…?

 

なんだかちょっとさびしくなって,もう少しあたりを探しましたが,13歳のセーラー服の私はどこにもいませんでした。

 

その日の治療後,週1回恒例,植松先生の診察がありました。

画像を見た先生が言いました。

 

「これ見て,がんがきれいに消えてるんだよね,あんなに大きかったのに。

 思ったより早く終わりそうなんだよね,ほとんどきれいに取りきれてる」

 

先生の声も表情も,とても嬉しそう。

 

私の目の前にある治療前の写真と並べられた直近の写真は,まったく違うもののようでした。

 

 

……本当なんですって!!!

 

 

毎日毎日,私のイメージの中にうずくまっていた13歳のセーラー服の女の子が消えたのと同時に,腫瘍がなくなっていたのです。

 

もしも,あの直径10cmにも育った腫瘍が,幼い私の化身だったとしたら。

 

私のイマジネーションの力が,治療の一助となったのでしょうか。

子宮頸がんの手術でも使ってみた

そして,子宮頸がんの手術のときにも,「今回の手術ではどうなるんだろう?」と,少し考えていました。

 

術後,死んだほうがマシだと思うくらい傷が痛かったり,体の自由は利かないし, 体から管がいっぱい繋がれたりしてグロッキーだったのに,どこかスッキリしている自分がいました。

 

えもいわれぬ爽快感。

もちろん,手術当日の朝まで悩んでいたので,「ついにやってもた…」という, 到達の事実からくるものかもしれません。

 

しかし,ずっと抱えていた,自分の中の暗黒の自分が,ちゅるちゅるちゅるーっと排出されたのだとしたら。

 

この手術も,やはり大大大成功!だったのです。  

イマジネーションの力を使わない手はない

現代の心理療法でいわれているイメージセラピーとは違うのかもしれません。

 

冒頭にも書いたように,この本は初版が1989年であり,それを実践というよりも真似というべきこのことを治療中にやったのは,2008年です。

 

心理の専門家ではないので詳しいことはわからないのですが,こうした関係の研究は,現在,もっともっと進んでいるに違いありません。

 

もちろん,これが最大の効果であるなんてことを言うつもりは毛頭ありません。

とはいえ,自分がイメージしたことが,病気を治す手助けになるのなら,使わない手はないのです。

 

私は無宗教ですし,スピリチュアルなことは信じません。

「宇宙と一体になる」といった表現をするものは好きではないし,先祖が〜とか,天使が〜といったことは非科学的なものとして,距離を置いています。

 

しかしながら,そうしたものが,思い描かれたイメージの権化であるとするならば,それが宗教やスピリチュアルな世界が求められている理由なのかも…と,思わなくもない。

 

もしも何かの病気やケガの治療を受けているとしたら,1日のうちの,治療を受けているほんの数分,ほんの数時間のあいだだけでいいんです。

 

余裕があれば,また興味があれば,こうしたイマジネーションの力を,ぜひ活用してみてください。

 

疑ってかかるくらいがちょうどいいですし,はまり込みすぎて法外なお金を取られるような団体に入信しないよう注意する必要はあります。

 

ですが,一人ひとりの個人が頭のなかで思い描いた世界には,誰も邪魔をする権利はないのです。